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彼女の傷はばんそうこうの中にかくしている

あれ……?

と思ったのは、評価学の授業の時だった。

私はまだその頃はリハビリテーションの専門学校の学生で

「評価学」というのは、関節の固さ、筋力、感覚、バランス、反射、高次脳機能といった、患者さんなどの対象者に起きた困りごとや困難感の一因を探るような、身体機能を確認するアセスメントの技術を学ぶ授業である。

その日の授業は、筋力のテストをお互いに実技を交えて確認するものだった。二人一組で検査する役と患者役を交代しながら、体を接近しながらクラスメイトと技術を確認していく。

相手の子の手首に

見慣れない絆創膏が貼ってあった。


「この前まではなかった…..」


私は目の前にいるおーちゃん(仮名)の目を見つめた。

私は彼女のことが好きだった。

背は低く小柄。まるで小動物のような人で、見た目は少し幼い。
高校の学生服を着ていてもなんら違和感はない。
そして見た目と裏腹に、時々目の前からすっと消えてしまいそうな
透明感のある
まるで春の桜のような
儚い
危うい雰囲気にたぶん惹かれていたのだと思う。

おーちゃんはねこのような人だった。

いきなり甘えてくることもある。

かと思えば、私なんか見えないのかというくらい、そっけない態度を取ったりもする。

しかし基本的には仲良しの私たちは
毎日、ばかなことやあほなことを思いっきり楽しんでいた。

オールナイトニッポンのラジオ番組について熱く語ったり、好きな音楽を一緒に聞いたり、先生をからかってみたり、お互いに悩みを相談したり、買い物や旅行に一緒に出掛けたりした。

おーちゃんは天然なので、笑いは絶えなかった。

私たちはいつも笑っていた。

時々おーちゃんがとてもさみしそうな表情をする時は

私の心の中の小さなカケラがちくっと痛んだり

壊れてしまいそうになることがあった。


絆創膏の下には

傷があるんだよ

と教えてもらった。

あれは思い起こせば図書室だった。

図書室で調べ物をしていた私達二人は、ソファで横並びに座っていた。


おーちゃんとお付き合いをしていた彼は

私に耳うちするようにささやいた。


「リストカットってやつ。」


私はその日、頭の中がおーちゃんでいっぱいになった。

そして彼はやはり私の友達だったが

私がおーちゃんのことを好きなのも知っていて

あえて私に伝えてきたこともわかっていた。


誠実で丁寧な評判の彼は
甘い毒を仕込むのが上手い人だった。


結局私は

最後まで彼女にリストカットのことを聞けないでいたし

普段と変わらず卒業まで過ごしたし

絆創膏の中身は見ることもなく


全ては終わった。


おーちゃんと彼も卒業と同時に関係性を解消したと

のちに彼から話を聞いた。

おーちゃんのおねえさんは
精神的に弱い人で
通院していたが
希死念慮がひどく
たびたび失踪をくりかえしていた。

おーちゃんのお兄さんは
学校に行けなくなり
家にとじこもっていた。

そしておーちゃんに暴力をふるうこともあった。

私は何もできずに

ただいつも通り、そばにいるだけだった。

「困ったねえ」と困り笑顔でしゃべる彼女を

ただ同じような笑顔で「ねぇ」と返すだけだった。


でも、本当は


本当は

その時の私は


彼女の傷を確認して

力になりたかった。

彼女と一緒に泣きたかった。

彼女の悲鳴を

ヘルプを聞きたかった。

まあ、それは私の勝手な願いであり

彼女はそんなことはきっと望んでいなかった。

今ならわかること。


私もヘルプが言えない時がある。

自分の気持ちをしまいこむ時もある。

それはまるで
おーちゃんの絆創膏のように。

傷はなかったように演技する。


想像してみる。

助けてほしいと言ったところで何も変わらないことがあることを。

自分の気持ちを素直にぎこちなくとも不器用でもなんでも

やっとの思いでひねりだしたものが

簡単につぶれてしまう現実があることを。

出してしまったところで、自分の大好きな人たちが

傷ついてしまう可能性があることを。


そしてそんな時は自分を傷つけたくなる。

全部自分のせいにした方が楽だから。

世界を悪いものにしたくないから。

絆創膏の中で

おーちゃんが最大限の抵抗をしていたこと

自分の存在を確かめていた事を


今の私だったら

もうちょっとうまく受け止められるかもしれない。


そして人の傷なんか癒すことなんかできない

こんな私ができることは


傷があるのもむしろ気づかないふりをして


ただそこにいて


離れていても私らしく生きていること。


結局、やり直すとしても
あの頃と同じ道を辿ると思うし
今はただ
おーちゃんの幸せを

桜をみつけるたびに

願うだけである。







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