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シネマノスタルジア【私が毎日映画館で過ごしたあの日々】
シネマノスタルジアといえば
久石譲さんのこの曲ですね。
私はこの歌が流れてくる金曜日の夜がたまらなく好きでした。
この映画がはじまる瞬間というのは、いつになっても、年を重ねても、何の映画のはじまりでも、心がわくわく躍るような気持ちになります。
アクター達が日常と非日常のあいだを鮮やかに演じる時のあの表情やあの立ち振る舞い、あの仕草。
心を震わすセリフが訪れるあの瞬間。
バックミュージックがさりげなく気持ちを昂らせて、思わず息を呑んでしまうあの演出。
映画館で映画を見ている時は、ドキドキしたり、悲しくなったり、嬉しくなったり...お客さんの表情も意外と変わるものです。
なんでこんな事を知っているかと申しますと
私は映画館のアルバイトを2年ほどしていたからです。
話はさかのぼること二十年以上まえ
私は当時、高校を持病の喘息発作で中退したのちに大検資格を取得しました。
大学入学資格検定(略して大検)とは、2004年度(平成16年度)以前の日本で実施されていた、日本の大学に入学する学力の有無を判定し、試験合格者は高校卒業者と同等の資格が得られる国家試験のことであった。
2004年度(平成16年度)末に廃止され、2005年度(平成17年度)より高等学校卒業程度認定試験(高認)に移行している。(Wikipediaより)
と言う訳で現在は「高等学校卒業程度認定試験」という名前に変わっているのですね。(知らなかったです)
この資格を取得すると、高校を卒業していなくとも大学や専門学校へ入学する資格が得られます。
この試験になぜか運よく1回で合格してしまった私は、当時17歳でした。
かといって「大学受験したい」という気持ちもさらさらなかったため(社会をドロップアウトしたものとして、かなり気持ちが暗黒面に傾いておりましたので)
ひとまず希望する進路を見出すまで、社会を知りたくて(もちろんお小遣い稼ぎもしたくて)アルバイト生活をすることにしました。今でいうフリーターのようなものなのでしょうか。当時はよくわからなかったんですけどね。うちの両親も娘の(しかも長女の)このような状態をよく許していたな....と思います。
最初は、近所の焼き肉屋さんから始まったアルバイトは、その後コンビニエンスストアに移行し、その後、映画館のアルバイトに辿り着きました。
きっかけは忘れてしまったんですが、人づてに「アルバイトを募集しているようだ」という話を聞いて、映画が好きだったので面接に行ったらすぐ採用となった訳です。
ここで少し映画館についてお話します。
今の映画館のほとんどは複合映画館、いわゆるシネマコンプレックスの営業形態になっているのだと思います。(シネコンというやつですね)
日本でもシネマコンプレックスが1990年代~2000年代ころから徐々に増えてきており、現在では映画館の主流はシネマコンプレックスという状況になっている。(Wikipediaより)
映画館は、新作映画を全国規模で一斉に上映する封切館(ロードショー館)と、独立系の新作映画を上映するミニシアター、旧作映画を主体に上映する名画座に大きく区分される。(Wikipediaより)
私がアルバイトを始めた頃の映画館は、ちょうどシネコンに移り変わる前だったので、単一の劇場型の封切館にあたります。
シネコンと違って、スクリーンは一つの映画館に一つです。
その中で、1〜2つの映画を毎日上映していました。
私の市には当時、4つの映画館がありました。
【A館】
本屋さんとオムレツ屋さんに囲まれた映画館。専務(雇い主)が大体常駐している。なので、専務がいる時はまじめに働いている(フリをする)。おやつのショーケースが充実。一番映写機が新しく、アルバイトレベルでも簡単な操作は可能。従業員は若い子が多い(大学生とか)専務のお気に入りの子が配置されるのでは?という噂があった。(あくまでも噂ですよ。専務はそういうデレデレするタイプの人には私には見えなかったです。)
【B館】
うちの市のメイン通りに面している。しかしシャッター街になってしまったため、人通りは少なめ。一番建物が古く、汲み取り式のトイレだった。従業員はなぜかおばちゃん率が高い。おせんべいがいつも置いてあるイメージ。映写技師がいないとフィルムのつなぎができない。
【C館】
隣が銭湯。ゆえに銭湯の男湯に入っていると映画館の音が丸聞こえという噂があった。一番街からは外れたところにあった。近隣に寿司屋やスナック通りがある。ここも映写技師がいないと上映できないタイプ。昔は任侠者の映画を上映していたが、私が働いていた当時は子供アニメを上映することが多く、客席数が一番大きい。春や夏は稼ぎ頭となる。従業員はフリーターみたいな20代位の女性がメインだった。専務がほとんど来ないので好き放題遊べる。
【D館】
ボウリング場の上に併設されていた。私が初めて親以外と行った思い出の映画館。入場するとボウリングの音が丸聞こえだった。ちなみにこのボウリング場はスコアも手書きで、床が傾いているという噂があったとかなかったとか。
この中でA・B・C館が同じ経営者で、D館は別経営者でした。
私はこのA・B・C館の経営者のもとでアルバイトをしていたわけです。
その中でも私は特にC館に配置されることが多く、時々A館やB館に助っ人に行くような勤務スタイルでした。
こんな話で良ければ、ひとまず思い出せる範囲で過ごした日々を細々と書いてみたいと思います。
筆が遅いので、ゆっくりですが、関心のある方はお付き合いください。
今日はここまで。
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