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失われそうなコミュニケーションが復活するとき

 「“ありがとう” をやりがいに仕事をしている。」
そんな方もいるかもしれません。
でも、私はそれとは違う“やりがい”を見つけたいと思っています。

通訳の現実

 私の仕事は手話通訳ですが、聴者の世界と当然同じく、ろう者にも色々な方がいます。
家族に暴力を振るう人もいれば、公的機関に当たり散らす人、犯罪を犯して取り調べを受ける人もいれば、金銭問題で訴訟を起こされる人もいます。

 彼らが皆、私たち手話通訳に感謝する訳ではありません。
そんなアウトレイジな人でなくとも、私の気持ちからしても誰も通訳に感謝する必要などないと思っています。

 言語は権利です。
それにコミュニケーションは双方向ですから、ろう者が感謝を述べるなら、当然相手側の聴者の家族も公的機関も、警察も裁判官もお店の人だって、私たちに皆お礼を言わなければなりません。
それを期待したら、お礼を言った人と言わなかった人とで差を作ってしまいますし、言われなかったことでモヤモヤしなければならなくなります。

 お礼は副産物。
私の行いに対しての表現ではなく、伝えてくださった方の思いやりの強さが表れたものなのだと思っています。
やりがいは自分の中に見つけたい。
対象者の思いやりに頼らないやりがいを常に探しています。

知らぬ間に失われていたコミュニケーション

初めての依頼

 ある日、普段通訳依頼をしないろう者から依頼がありました。

「ある治療を始めることになった。
普段は通訳などいらないと思っているが、大事のようでちゃんと説明を聞きたいので通訳を依頼したい。
その日は姉(聴者)も一緒に来るが、姉は通訳は要らないと言っている。
姉に叱られるかもしれないが、大事なところだけでも通訳をつけたい。」

 初めてお会いする方でしたが、先輩通訳者曰く日本語ではなく完全に手話ベースで暮らしていらっしゃる方。
今まで通訳を付けていなかった分の理解度も埋めてこなくてはならない大事な場面です。

 ただ、もしお姉さんが通訳に対し嫌悪感や邪魔者的な見方をされる方なら、それ以前に修羅場になる可能性もあります。通訳を帰すかどうかで通院前にトラブルになる可能性もあるのです。

実際の状況

 当日お会いすると、お姉さんは全然怒ってなどいませんでした。
よくある言語間文化間の違いによるすれ違いです。
お姉さんは通訳不要、つまり
「通訳要らないんじゃない?今回は私がついて行くし」
と提案した“つもり” でしたが、
弟は
「姉が不要と言っている、どうしよう。怒られる。」
と受け取ったのです。

 一緒に暮らしていてもすれ違う、ろう者と聴者の家族によく見られる状況です。
小さなものでも積み重なり溝が深くなって、お互いに悪気がなくても歪み合ったり、変な主従関係ができてしまったりします。
今回、通訳を介してお互いのすれ違いに気づき、未然に防げたということにまず安堵しました。

60年で初めて知ったこと

 彼はとにかくよく喋りました。もちろん手話でです。
医師から言われてきたこと(自分がそう受け取ったこと)や、お姉さん夫婦とどのように暮らしているのかも、私にたくさん教えてくれました。
その場でお姉さんにも、彼がどんな話をしているか適宜お伝えしました。
するとお姉さんはとても驚いていました。

「〇〇ちゃんは昔からすごくおとなしい子だったんです。
まさか(手話だと)こんなにおしゃべりな子だったとは…
今日初めて知りました。」
 
恐らく50〜60代のごきょうだいだと思いますが、約60年で初めて知ったようでした。
彼が自分らしさをご家族の前で初めて発揮した瞬間。
お姉さんがそれを知れた瞬間。
もちろん私が何かすごいお膳立てをした訳ではありません。
そんなことをしなくても通訳という存在が2人の理解の一助になった、意味があったということがとても嬉しかったのです。

天職、やりがい とは

 お姉さんは弟の新たな一面を知れたことがよほど嬉しかったのか、「私も今更だけど手話勉強しようかしら?」と言って帰られました。
まだ通訳者になって2、3年目の出来事だったと思いますが、私にとってはこれが何より印象に残る通訳現場となりました。

 私にとってのやりがいとは、
すれ違ってうまく嵌まらないコミュニケーションが、
新たな気づきや理解で繋がったこと、
更にそこからの双方の前進に繋がったときに感じるものだと思います。

 法廷で理解されなかった被告の考え方が、通訳を通してやっと理解された時、
警察の憶測で勝手に判断されるのではなく、被疑者が自分の言葉で「通訳なんか要らん!」と伝えることができた時、
失われそうだったコミュニケーションが復活するのです。

 通訳者は居なくなった後にも影響を与えます。
でも事前にろう者も聴者も気づいている必要はありません。
言語の差がなければ起こり得なかった摩擦は、通訳者がこっそり取り除いておく。
当然のようにコミュニケーションが成立する。
別にお礼を言われることもなく通訳者は帰る。
その後も双方の関係は継続していく。
かっこいい!
これができたとき、通訳は天職だと感じるのかもしれません。


 

私の通訳論はこちらでまとめています。


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