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15.私の家族の呪い

私の人生の諸悪の根源である父方祖母(以下、祖母)が亡くなった。
悲しくなんかならないのは当然だったが、「やっと終わった」と思ったと同時に、「幸せに簡単に死にやがって」と悔しくて許せなくて死んだというのに「クソが!死ね!」と少し泣いた。理由はどうであれ涙をこぼしてしまったことにも悔しかった。

父方祖父(以下、祖父)は妻方住居婚で祖母の姓になった人だった。
ただそれでも別に肩身は狭くなかっただろう傍若無人・サル山の大将、そして県庁勤めで通勤が難しいため単身赴任のような形であったらしい。
一方祖母は家付き、元々農家で近所の人たちの働き口にもなっていた家らしいので、平たく言うと威張り散らしたお嬢さん気質がすごかった。
外貨稼ぎはほぼしていないが、「女だてらに」と機械を使って農作業ができるのが自慢だったらしい。

何が問題だったのかというのを、「私だけが特別悲劇的な生育環境だったのだ!」とならないように、だが過不足なく他人に伝え理解してもらうのはとても難しい。

一番大きかったのは母への「嫁いびり」。
多分祖父も祖母も嫁いびりとは認識していなかっただろうし、そう指摘しても否定して「あんたたちのために」とか言う感じだった。
ただ母からしてみたらそれは間違いなく嫁いびりだったし、孫でも女である私も躾と称した男尊女卑含めてのいびりの対象だったし、母への攻撃の材料だった。
「親の躾が悪いから」「里でどんな躾をされたか分からない母親だから」
私は平成元年生まれだが、昭和の煮凝りみたいなセリフをよく仰ってた。
それをわざと意地悪で言ってるのではなく本心で言っているという。信じられないけど全国で見たらままあることなのだろう。

母方祖母はこれを心配して「良い子でいなさい」「母を助けなさい」と口酸っぱく私に告げた。母方祖母からしたら娘可愛さからの別に責められるべきことでは何ら無いのだけど、おかげで私の思考ベースは「母」が中心になったし「母にとっての良き娘」であることが最重要・最優先事項になるまでにもそう時間はかからなかった。

昨年、知人に勧められて読んだ辻村深月『傲慢と善良』にあった一節を読んで思わず苦い顔になった。

いい子だから打算的になれない。容量が悪いから人にも出し抜かれる。

辻村深月『傲慢と善良』

親の望んできた「いい子」が、必ずしも人生を生きていく上で約に立つわけじゃないんだよ。

辻村深月『傲慢と善良』

私は親が直接的に望んだわけではないが、攻撃される隙が無いようお手伝いをし、口答えをせず、成績は優秀に、部活の大会にも精を出し、近所の評判も上々となるお付き合いをし、祖父母の鼻高々、母は安堵のため息、といった生活をして成長した。

慕うはずもなく、好きになるはずもなく、最近の子のように「じいじ」「ばあば」といった距離感など絶対取れなかった。取りたくもなかった。
いとこの子供たちが伯母に「ばあばー!」と満面の笑みで抱き着き一緒になって遊ぶ光景を、見慣れてきたとはいえ、まあまあ信じられないでいる。

この「敵」でしかなかった祖父母と同じくらい嫌いになったのが父親のことだ。嫌いというか関わりたくないというか。
「お前は助けてくれなかったよな」という気持ちが強いのだ。
祖父母の被害を一番被ってきたのは確かに実子の父だ。だから「黙ってやり過ごすのが一番得策」という処世術を身につけざるを得なかったのも理解できる。
しかし、毎度のように食卓につけば激しい口論で論理の破綻した罵りあいをする祖父母にドン引きし、不快感も露に「このまま見てない聞いてないふりをして飯を食えと?」となっている私たちへのフォローもせず、貝になったままさっさと飯を食って逃げる父の姿は、分別の分かる大人になってから嫌悪の思い出となった。

最も「なんだこいつ」となったのは祖母の告別式の喪主挨拶の時だ。
5年前亡くなった祖父の時では、葬儀社が用意したカンペを堂々と持ち読み上げるだけのような挨拶をした父が、この時は言葉に詰まり号泣したのである。

言わずもがな私と母はポカーンである。

あんなに迷惑かけられ性格ゆがめられ問題が絶えなかった人でも実の母親が故人となると「そう」なるのか。と、ちょっと絶望した。
「私たちの苦しみ、なーんも理解してなかったのでは?」「私に至っては認知や思考がゆがんで今もなお精神疾患という形で苦しんでいるのに」「ていうかそんなに泣くならもっと関わってたら良かったじゃん、そうすれば母が祖母の介護のせいで家出せざるを得ない状況も回避できてたはずじゃん」
父へのどす黒い感情が渦巻いて告別式で絶対泣かない・泣いてやるもんかと思っていた私が悔し涙一粒だけこぼしてしまった。それも腹立たしい。

死んだら「良い人だった」的になるのどうなん?とは世間で先月からめちゃくちゃ言われているが、まさにそれな!の気持ちになった。

母は、父に関しては諦めているし、天敵だった祖母がもういないので「終わった、忘れよ!」とすっきりしているようだ。それはなにより。
しかし私は現在進行形で呪いにかかってるし、もう二度と復讐はできないし、「早く死ねばいいのに」と呪詛を吐くことも出来なくなった。全然良くないのだ。

復讐は何も生まないとはよく言われる言葉だが、当たり前である。
生もうとはしてないのだから。
復讐は呪いを消すためにするのだ。少なくとも私は。
復讐が唯一の解呪だったのだ。
私には二度とその機会がない。

それがこの上なく悔しい。夏ですね。

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