9.寝食を忘れて仕事に没頭したのは、紛れもなく貴女の右腕になりたかったからでした。

私は2019年の5月にブライダルのプロデュース会社に入社した。
それまではコルセンの営業事務をしたり、某ブライダル系カウンターの相談アドバイザーをしていたり、某葬儀手配会社のサポート事務アルバイトをしていたりした謎の経歴の持ち主である。
結婚式とお葬式の仕事を行き来するとはまあ縁起が悪いのか人生の機微をよく感じるのか。

バリキャリをしたくて、正直履歴書だけではB判定だった私は面接で勝負に出た。
受けたプロデュース会社は和装婚専門の会社だったため、店舗は足を踏み入れた瞬間、畳の香りと、色とりどりの折り畳み棚に並べられた色打掛と純白と生成りの白無垢。圧倒された。

某ブライダル系カウンターではそんなもの見る機会はなかった。
(謎にン十万円のダイヤの付いた指輪は借りて試着案内等はしていた)

正直にテンションが上った私は面接官の女性と近くのカフェまで歩き、そこで面接をすることになったのだが、道中しきりに話しかけていた。
「店舗のあの入った瞬間畳とお衣装が目に飛び込んでくるの凄くテンション上がりますね!」
「でしょう!先にオープンしている地方の店舗で畳に棚を導入したら評判が良くて、引っ越ししたての時は本当に新しい畳の匂いがして気持ちよかったんですよー」
「畳の匂いって大阪じゃなかなか嗅げないですもんね、お客様にとっても新鮮というか、和装だな、和だなって思えますね!」
「でもうちのマネージャーがあの畳でお昼寝して頭の脂がついてシミになってるところがあってさぁ」
「そ、れは、落とせないやつですね…」
「でしょう?ほんとそういうとこあるマネージャーなんですようちのは笑」

そんな会話をしつつドトールに。
40,000円オーバーした紺の新しいテーパードパンツスーツはブルベの私によく似合い賢く真面目で清楚で出来る女を演出していた。
ざっくばらんに「なぜブライダル業界を目指したのか?」「なぜ和装婚専門の弊社がいいなと思ったのか?」「弊社でどんなことをしたいのか?」と聞かれ話す。驚くほど用意していなかった質問にもさらさらと応えられた。

新卒で入った営業事務の会社がとてもグレーな仕事内容で病んで実家に帰っていた間に従兄弟の結婚式にお呼ばれした。人生初の結婚式参列だった。
私は新郎側の親族なのに、新婦入場で今では凄く仲良くしてもらっているけど当時は名前すら知らなかった嫁はんの登場シーンで何故か大号泣した。
披露宴では従兄弟の兄(双子なのでどっちが兄とかあんまりよく分かってない)がすっごく泣いてて、「えw」と思いつつ、母方のみんなはこういう温かい家族だから好きだなあってとても思った話。
父方の実家に住んで色々問題がある家庭で育ったけど、その分、家族と家族の結びつきを大事にする和装での神前式の準備で、おこがましいけれども、もし自分がこじれた家族関係を解けるきっかけになれたらそれってこれ以上無い幸せだなと思ったこと。
そういうお節介で、自分が関わることで誰かが成長したり良い方向に頑張ろうとしてくれたりすることに喜びを感じる性格が自分の長所だと思っていること。
だから趣味のライブに行くと学校のようにファンの皆と「2週間ぶり~」とお喋りして、ライブのない日でもお茶をしたり飲みに行ったり恋愛相談するようになったこと。

そんなすらすら喋る私は顔がキラキラしていたらしく、「もうドトール来るまでの会話で8割採用しようと思っていたけど、通常お返事に1週間ほど時間いただきますが、もう文句なしに一緒に働きたいです、合格です」と言われ、一瞬ぽかんとしてしまった。

そんなおぼこく夢いっぱい希望いっぱいで入った会社でのプランナー人生の幕開けはなかなか大変だった。
求人情報サイトでは1年かけて一人前に育てますとあったが、作法や何やらを覚える前に提携先の情報を山盛り覚える日々。
と、同時に雑務処理と電話担当になる。残業申請や小口精算の書類の書き方を習ったのは1週間くらい経ってからだった。

つまり、教育制度というか、教育マニュアルが皆無なのだ。

それでも畳に頭の脂をつけたマネージャーとプランナー歴7年になる私と同い年の教育係をしてくれていたチーフは、1ヶ月目はこれらが出来るようになってねと計画書を渡してくれた。(3ヶ月計画と記載があったのに2ヶ月目からは渡されなかった、そういうとこ!)
どこからどこまで自分の仕事で、優先順位はどれが高いのかわからないまま、とりあえず問い合わせメールの処理や電話対応は積極的に行った。
今では電話が鳴る前の赤いランプがついた瞬間受話器を取るレベルにまで到達した。
先輩たちにも「さすが、かるたみたい!」と言われるほどだ。近江神宮に行くべきだろうか。

でも今月末で私の教育係の先輩が退職されることを知った。
それは体を壊して繁忙期オブ繁忙期の11月を目前にした2019年の10月に退職した私を、無理のない範囲でバイトとして戻ってきてほしい人手がとにかく足らない、と成約率全国一位の現チーフからお声がかかった時に聞かされた。
「だから12月から私がチーフになってん」
「そうだったんですね…」

ちょっと、ショックだった。
教育係の先輩に憧れて、入社1ヶ月後には接客デビューに放り出されていた私は「初成約取れたら回らないお寿司食べに行きましょうね!」と言っていたのに、そこから前撮りや施行担当のフローやら当日スケジュールや請求書作成など教わりながら一発本番のように進めていたら、時間がなくて流れてしまっていたのだ。
でもそのバイトでのカムバックは3月から。先輩が辞めるのは4月末。
まだ余裕あると思っていた。

コロナがやってきた。
うちの会社が傾く勢いでの延期&キャンセルの嵐。
お寿司どころではなくなった。

そんな中での4月7日の緊急事態宣言。
弊社は休業とかしないと思っていたけど、休業となった。
ただでさえ有給消化中の先輩とシフトがかぶる日が少なかったのにと、急いで百貨店に駆け込み、アンプリチュードのアイシャドウを買った。
会ったら最後になるから嫌だと謎の駄々をこねながら、それでも在宅で資料作成が出来るようにと店舗に向かいPCを回収するミッションがある。
本音はそのミッションはついでで、先輩にお手紙とプレゼントを渡しに行くのである。
お手紙は4月7日の朝に急いで清書した。
ただただ先輩が憧れで、右腕になりたかったのに、だめな後輩で、先輩孝行も一つもできない後輩ですみませんでしたという懺悔の手紙になった。
それでも敬愛する先輩へと封筒には書いた。

号泣してしまうと思っていたけど、泣いてしまう前にさっさと「私一応今日オフなのでお先に」と帰った。
散々泣き顔は見せてしまっていたので、最後は笑顔でバイバイしたかったのだ。

ひょっこり中途採用された薄給激務のブライダル業界の小さなプロデュース会社で、こんなに「先輩の右腕になりたいんです!」と入社2日目くらいに思えることが普通あるだろうか?
そう思える先輩に出会えたことが幸せだったと思う。
全然手加減してくれない指導で、負けん気の強い私は、言われた通りに出来ない自分が悔しくてすぐ泣いていた。
それでも先輩は手加減はしなかった。でも目一杯落ち込んでる時はローソンのコーヒー飲みに連れ出してくれて、「なんでプランナーになりたかったの?」「結婚式はすき?」と私の根本の気持ちを聞いてやる気を復活させてくれた、大人な先輩だった。

そんな先輩がいなくなる。
そしてマネージャーは私が退職している間に若い塩顔男子になっていたのに、その塩顔男子も来月で退社するという。
私をカムバック要請してきた現チーフがマネージャー兼支配人、チーフは空席のままの店舗となる。
私は受けた恩は、周りに返して循環させていくタイプの思想を持つ人間である。

「いいように使われてるじゃん」って色んな人から言われる。
「なんでこれもこれも私がしなきゃなんだよー!私バイトだよー!」って思うこともたくさんある。
でも、それでも仕事は好きだし先輩達みんな好きだし、もう会えない辞めていった先輩たちも好きだったし、だから私はここで頑張れるうちは頑張りたい。

リーダーよりも縁の下の力持ちというか、二番手が一番動きやすいタイプの人間だもの。(二番手というかバイトなのでドンケツなのだが)

うちの会社は薄給激務で賞与も寸志だし昇給も鬼畜な階級制度なので正社員に戻る気はないというか、きっと体調的に無理だけど、バイトでいられる間はこの店舗の縁の下の力持ちで「居てくれて助かったー!」という存在でいたいのだ。

それが、直接先輩孝行出来なかった私の恩返しなのである。

別れが付き物な春とはいえ、私には出会いもあったから、再びそういう場で先輩と会えるように私は頑張っていきたいと思います。

先輩、ありがとうございました。
今生の別れではないと信じています。
私が婚活成功して結婚式する暁には、フリープランナーになっているであろう先輩に司会をしてもらいたいのです、私のドジ話なんかをアドリブで入れてくださいね。それを聞いて私はきっと場違いみたいな照れ笑いをしていると思います。
勿論衣装はどこかお母さんみたいなあの子に一緒に選んでもらって、リハメや当日の美容スタッフはどこか抜けてるあの子に頼んで、後日エンドロールを店舗で流して欲しいのです。爆笑する先輩たちを見たいのです。

会社は好きかわからないけど、先輩や仕事がこんなに好きになれたことは幸せなことだと思っています。

どうか、先輩の新しい未来に幸多からんことを祈って祈って五体投地してあらゆる寺社仏閣にお願いしておきますね。
私もまた会える日まで頑張って一生懸命生きていきます!

#オープン社内報

この記事が参加している募集

世の中の人類全てが感じる理不尽を打ち消し「ご自愛力」を普及するために活動します、この瀕死の体で。東西南北行ってやる!講演だったしてやる!サポートお願いします。