台湾生活② 隔離終了、寮へ移動。
今日も本当にお疲れ様です、キノです。
わたしは現在、台湾の国立大学に通っています。今年の9月で大学4年生になりました。大学に来たばかりの頃、振り返りシリーズです。
隔離終了!やっと台湾を実感
隔離寮から生活寮へ移動 虫に愕然
2週間の隔離終了。やっと出れた!
だけど台湾の夏暑過ぎ。太陽ギンギン。
台湾ってキャンパスの中に寮があるので、
マットレス、枕、キャリーケースを抱えて炎天下の中徒歩でこれから住む寮へ移動。
寮に着いたらそれはそれは壮絶で。
シャワールームにはアリ、アリ、アリ。
ゴキブリデカ過ぎ、声も出ない。
机の下に干からびたヤモリ。
こんな寮に住んで居られない、そう思い夜中3時まで一人暮らしの部屋探しをしました。
結局諦めて寮に住むことになるのですが。。。
後から知ったのですが、その寮はキャンパスで一番綺麗だったらしく。初めて台湾で暮らす私にとってはムリ、以外の言葉が見つかりませんでしたが。
でも今では家賃2万円くらいのお化け屋敷みたいにアパートに住んでるんですから、当時の私には考えられないでしょうね。5階の部屋でエレベーターなし。コンクリートの階段、鉄の門。ゴキブリはすでに三匹部屋に出ました。
自分で退治できるようになってる自分が誇らしくてしょうがない。
人間って慣れるものですね、3年も住めば。笑。
必要書類の用意
はんこ作りに行ったり、郵便局へ口座開きに行ったり。
日本円を台湾ドルに変えるため、玉山銀行に行ったり。(当時のレートはたしか1TWDが3.6円くらいだったような。。今は4.7円くらいです泣。)
学部の生徒一斉に健康診断をしたり。生徒証を取りにいったり。
台湾のお店に初めて!
Poya(ポヤ) 生活用品を買い。
愛買(アイマイっていうスーパー)アイス買ったらマズ過ぎて。
大学の近くのお店に海鮮丼食べに行った。不味いとこ。笑
滷味(ルーウェイ)激辛。火吹いた。台湾の微辣って日本の辛口です。お気をつけて。
当時は中国語が話せる日本人の友達がいないと何もできませんでした。一人でコンビニに行くのも怖くて泣。
このことも数日後、記事にしますが。。
感慨深いです。。。
ツヅク。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?