岡本太郎

日記、記録

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最近の記事

7.22

全然大丈夫じゃなくてさー。 こどもが夏休みにはいって、"わたしがいなきゃいけない"がなくなった途端、張り詰めてたものが一気にはじけた。 はじめて仕事を休んだ。 学生の頃のわたしを想うと、春からのこの4ヶ月一度も休まずに仕事に行ったことは本当に奇跡だし、頑張ったよなあと思う。すごく頑張ったんだよなあ、たぶん、と思う。 頑張ったねって言ってあげたい。 だけどこんなのって、社会人の誰しもがやってること、当たり前のこと、と思うと、少しも自分のことを褒めてあげられない。なんならもっと

    • 7.13

      休みの日になると、途端に涙がとまらなくなる。仕事がいや、の涙なこともあるし、なんでわたしって愛知にひとりなの?の、涙のときもある。 なんにしろ、どうしようもなくなる。 今日は、昨日買っておいたミスド8個のうち、2個食べた。昨日残しておいた海苔巻きも食べた。 これで今日やりたかったこと、全部やってしまった。 そしてまた布団に潜っている。 たぶんたわたしは、つまらない人間なのだと思う。夢中になれるものがないのだと思う。みんなこんな感じかなあと思いながらも、このまま一生を過ごすの

      • 社会人

        日曜日はいつもしにたくなる。 毎週毎週仕事なんてやめてやろーと思う。 本当にこんな仕事いつか辞めてやるって思う。だけど、あー結局やめられなくて続けてしまうんだろうなあーってことも少しだけわかる気がして、なんか逃げられなくて苦しい。 いつも息苦しい。大丈夫な瞬間だってあるけれど、そんなの一瞬で、苦しい時間を過ごして過ごして過ごした先に一瞬だけ息ができるだけ。いつになったら大丈夫になるんだろう。わたしが甘えてるだけなのかなあ。 大学生のころから、漠然とした「大丈夫になりたい」があ

        • 車を買う 6.22

          デカい買いものをしないともう仕事続けられん! バスに揺られながら、わたしってなんでここにいるんだろう とぼんやり考える。 名古屋まで出てくると、とてもシュンとする。 バス停を見つけるだけでも一苦労で、携帯の地図アプリでは徒歩2分と書いているのに、20分かけてたどり着いた。「さっき地図とにらめっこしてた場所から見えるなあ、ここ」と思いながら、地下道を通って歩き回った20分のことを思ってバスに乗った。 目的地は車屋である。 ついに車を買おうと決断して、名古屋まではるばる出てき

          2024.6.8

          西尾行きの電車に乗っている。 毎週末の散財が、特に給料日前の「金がない!!」状態でする散財がストレス発散になりつつある。 日々過ごしていると、弘前も愛知も特に大差はない。さみしいなあと思うくらいで、それ以外の不便はあまり感じていない。(交通とか、食とか。あ、赤味噌を除いて。給食の豚汁が黒かったときは本当に震えた。それと、"しろみそのおみそしる"が献立にあったとき。"しろみそ"ってわざわざつけてるところが、あ〜〜〜こちらでは白味噌かがメジャーじゃない!という事実を突きつけてき

          社会人になりました(仮)

          念願かなって、誰かに見つけてもらえた。(まさか職場の人に) が、まあ心地の悪いもので。 本名でやっていたけれど、名前を変えた。 愛知に越してきてからまる2ヶ月が過ぎてしまった。 仕事にも毎日休まずに行っている。 あー、案外簡単に社会人になれて、慣れて、いくもんだなあと。 スーパーのレジ打ちのバイトですらあんなにだるくてズル休みばかりだったわたしが、大学すらつらくて苦しくて行けなくなりそうだったわたしが、仕事など、まして学校の先生などできるものか!できてたまるか!と思っていた

          社会人になりました(仮)

          悪夢悪夢悪夢

          わたしはとても元気がない。 大学に入ってから、ずっとそうな気がする。 何かがおかしい、、 わたしが気づいていないだけで、忘れているだけで、 ずっとこんな風だったのだろうか。 でもやっぱり、大学に入ってから、 ""生きずれ~~~~~""と感じることが、圧倒的に増えたと思う。 今日は特に書きたいこともないんだけど、ダラダラいつもみたいに日記を書いていたら、これは自分の中に溜めておいたらダメなやつだ!と思って。だからなんとなく。なんとなく投稿する。 消えたい。 消えたいが常

          悪夢悪夢悪夢

          父の怪我と、二千円

          これは、あったか〜い大切な思い出として、残しておきたいお話です。 父が2階から降りてきた。 パシン、と扉を閉める。 父の動作はいちいちうるさい。 また何か、気に食わないことがあったのかなと思った。 面倒くさいし、うるさいし、鬱陶しい。 父はそのまま座り込み、 こちらに背を向け何かをしている。 私たち、母と妹と私は、 父には目もくれずお笑い番組を見続ける。 「もうだめかもしらねえじゃ」 父が言った。 怒っているわけではなさそうで、少しほっとする。 ふと、父の手元を

          父の怪我と、二千円

          父と私と音楽

          音楽について考えるとき、いちばんに父の顔が浮かぶ。 私はもう20歳になるのに、父とうまく話せない。 ずっと、思春期の娘と父親のような関係。 そんな父と唯一繋がれるものが音楽だった。 私が小さい頃から、 車の中では清志郎やエレカシ、ハナレグミ、ストーンズ、スライダーズ、たくさんの音楽が流れていた。 たくさんのアーティストの良さを私に教えてくれた父に感謝している。 父と仲良くないけど、父が聴く音楽が好きだし、 ずっと、お父さんに認められたい。 そんな父との特に思い出深い3曲

          父と私と音楽