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父の怪我と、二千円

これは、あったか〜い大切な思い出として、残しておきたいお話です。

父が2階から降りてきた。
パシン、と扉を閉める。
父の動作はいちいちうるさい。

また何か、気に食わないことがあったのかなと思った。
面倒くさいし、うるさいし、鬱陶しい。

父はそのまま座り込み、
こちらに背を向け何かをしている。
私たち、母と妹と私は、
父には目もくれずお笑い番組を見続ける。

「もうだめかもしらねえじゃ」
父が言った。

怒っているわけではなさそうで、少しほっとする。

ふと、父の手元を覗き込んだ。
血のついたティッシュが、転がっていた。

え?

何したの?

聞けなかった。
父は答えてくれないとわかるから。

口が開くのを待つ。

「ビールの缶潰したら、缶、引っかかったじゃあ」
ボソッと父は言う。

散らばった絆創膏のゴミを見る限り、
相当深く切ったのだとわかった。

普段から弱音を吐かない父だ。
父というものは、それなりの怪我には動じないし、
というか、そもそも、怪我なんてしないと思っていたし、大抵の事は大丈夫だと、勝手に思っていた。

だからそんな父が、
もうダメかもと口にしたから、
怖かった。

けれどよくよく考えたら、父は弱い人だった。

酒ばかり飲んで、ろくに食事もしないから、
体は痩せてしまっている。

私が家を1週間ほど空けていたとき、
あのおっかない父が、
「さらがいないとさみしいな」
とこぼしていたことを母から聞いた。

父の小さい背中を思い出す。

私たちの前では強がってるだけの父だ。

父が死んでしまうかもと思った。
大怪我だけれど、なんだか怖かった。

心配になった。
心配だけど、何も声をかけられない。
そういう私たちの関係も嫌だった。

大丈夫?なんて言葉は、きっと簡単にスルーされる。

でも、心配しているということはわかって欲しくて、

「包帯とか買ってきた方がいいんじゃない?」

父に聞こえるように、わざと大きな声で私は母に尋ねる。

父も母も反応しなかった。
いつものことだから気にしない。

父は2階の自室へ戻っていった。

「ねえ、パパ大丈夫かな。絆創膏とかいらないの?」
私はもう一度母に言う。
さっきより、深刻そうに、だ。

「本当に必要なら自分からそう言うでしょ。」
母の返事はこうだった。
長い間一緒にいるとこうなってしまうのかと、
少し寂しかった。

また父が降りてくる。トイレへ行った。

「キズパワーパッド、必要か聞いてみれば」
母が妹へ言った。

どうしてこうも私の家族は不器用ばかりなんだと呆れる。

妹は父へ聞く。父はいらないと言った。


夜、ちょうど日付が変わった頃だった。

私が寝る支度をしているとき、
父がまた下へ降りてきた。

「これ、大丈夫だから、心配かけてすまなかった。」

指を見せながら、父が急に言う。

「うん」

私はすごくほっとした。
でも、心とは反対に、素っ気ない返事しかできない。

「ほら、小遣い」

父は私に、二千円を差し出した。

なんだか可笑しかった。
いらないよ、と言おうとしたけど、
ふと思い出して、素直に受け取った。

前に父は、
「おめは金のことは気にしなくていい。
親からの金は、素直に受け取れ。」
と言っていた。

私がありがとうと言ったら、
父はすこし嬉しそうだった。

私と妹が、父を心配したことが嬉しかったのだと思う。

「自分が酔って勝手に怪我しただけのことなのに、
おめんど心配してくれて、」

父は言葉を詰まらせていた。

「そういう、そういう心遣いというか、気持ちを、大切にしろ。」

ひとつひとつの言葉を噛み締めるように父は話す。

「うん、わかってるよ。」私は言う。

嬉しかったから、お金を渡す。
そんな父の不器用なところが、好きだなと思った。
ああ、私の父親だと感じた。
なんだか久しぶりに心がホカホカして嬉しかった。

うるさいし、
鬱陶しいし、
喧嘩ばかりだけど、

仕方ない、この不器用な人が、私の父なんだ。

仕方ないから、これからもなんとなく、上手くやっていこう。

そう思った。少しにやけた。仕方ない。

私は、父とのこの夜を、大人になっても思い出す。
思い出して、また心を温める。


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