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アニメの文学的昇華①〜細田守&奥寺佐渡子コンビの演出力〜

彼は夢の舞台から一度、突き落とされた。

細田守監督は、2000年、東映よりジブリに出向して新作の監督に抜擢されたものの、その後作品の完成をみずに監督交代という絶望に、一転突き落とされてしまった。

そんな彼が復活の狼煙を上げたのは、ジュブナイルSFの金字塔「時をかける少女」のアニメ映画からだった。

ご存知の通り本作品は、筒井康隆の小説が原作だが、これまでにも映画やドラマなど、ありとあらゆる形で発表されている。

1983年 『時をかける少女』監督:大林宣彦
1997年 『時をかける少女』監督:角川春樹
2006年 『時をかける少女』(アニメ映画)監督:細田守
2010年 『時をかける少女』 監督:谷口正晃

1980年以降で4回も劇場映画化された小説は他に存在しない。

テレビドラマも、1972年・1985年・1994年・2002年と制作され、今年2016年7月より、新ドラマが放映された。

こうして見ると、本作の人気の高さは、ある意味異常であり、もはやちょっとした昔話やおとぎ話にも匹敵するポピュラーさである。

ではこの原作のどのあたりが、王道なだけでなく、観る人の印象に残るのであろうか?

それは

やりなおすことの出来ない「青春時代」を舞台に、時間を逆行してやりなおす

という設定の大勝利であろうと僕は思うのだ。

一昔前までは「時をかける少女」といえば原田知世だし、大林宣彦監督だし、尾道三部作だよね!と誰もが認識していた。

しかしこの10年で、長い間不動だったはずのみんなの「時をかける少女」の心のベストテンランキングがぐらぐらと動き始めている。

それは、細田守監督・奥寺佐渡子脚本の「アニメ映画・時をかける少女」が発表されたからにほかならない。

この作品は、二人をはじめとする実力派のスタッフで制作され、公開されるや瞬く間に話題を独占し、数多くの賞を受賞するなど、高く評価された。

画面いっぱいに映し出された青空にそびえる入道雲、街並みや学校の風景、夕日に照らされる土手、イキイキと動く高校生たち...

どれもこれも一級品の仕事である。

今風にいえば、質のよいアニメと評すればよいだろうか?

確かにそれは間違っていない。しかし、本作は単なる質の良いアニメをさらに一段階上の作品とした仕掛けが存在する。

それは、青春時代を表すメタファーである。

メタファーとは暗喩(隠れた比喩)のことであるが、こと傑作と呼ばれる映画作品や文学作品には、作者が意図的に配置した演出装置が存在する。

この「時をかける少女」においての演出装置は自転車である。

当たり前のはなしだが、 自転車は前にしか漕げない乗り物である。

思い出してもらいたいのだが、本作は”やりなおすことの出来ない「青春時代」を舞台に、時間を逆行してやりなおす”物語である。

「自転車」=「青春時代」を連想させるメタファー

「自転車」というこれ以上ない演出装置は、細田・奥寺コンビの原作に対するリスペクトであり、愛であり、プレゼントなのだ。

取り戻すことの出来ないきらきらとした青春時代を、少女たちはがむしゃらに漕いで、そしてそこをあっという間に通り過ぎていってしまう。

遥か昔に通り過ぎた自分たちの青春時代を思い返しながら、ぜひもう一度この作品の素晴らしさに触れて欲しい。


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