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”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第2話「クセが強い妻との結婚準備編」

南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。

第1話では、妻と出会った経緯や、世に稀に見る成り行き任せの「プロポーズ」がどのように成立したのかをお伝えした。

そして、2021年11月、私は日本に一時帰国することとなった。年1回の健康診断や本社での業務打ち合わせを除けば、我々に残された滞在期間はわずか2週間。この間私は、妻と2度目の対面を果たし、結婚に向けた準備に取り掛かった。

今回はこの2週間で体験したことと、その中で知った彼女の知られざる一面について綴った。

“一生に一度の買い物”を効率的に済ませる妻

この時のメインタスクは、妻への婚約指輪を購入し、彼女のご両親にご挨拶を済ませることだった。

この期間で最も印象に残ったのが、婚約指輪を決めた時だった。彼女が自分の中で明確な理想を持っていて、それに従って行動しているということをはっきりと思い知らされた。

妻は各社のサイトを見て、事前に指輪の候補を2つに絞っていた。そして、私の帰国後、二人で各ショップを訪れ、実物を確認しただけで指輪を決めてしまったのだ。

実はこの「一生に一度の買い物」を前にして、私は恐れおののいていた。なぜなら、この時点ではお互いの懐事情は把握しておらず、彼女が私には手が出せないブランド物を選ぶかもしれないと思っていたからだ。

ところが、妻の選定軸はブランドや価格ではなく、デザインだった。指の細さや日常での使いやすさを踏まえ、インスタグラムなどを通して日ごろから自分に合ったデザインについて理想を掘り下げていたのだった。

購入当日。妻は2つのショップでそれぞれの指輪を指にはめると、実際の輝き具合を確認するやいなや、最初に見た指輪がほしい、と私に伝えた。

そこで、最初のショップに戻ってくると、一時間前に我々の横に座っていたカップルがいた。彼らは、陳列される指輪の数々を目の前にし、候補を絞る気配すら見せなかった。一方、妻は他の商品に目もくれず、粛々と購入手続きを進めていった。

我々を接客してくださった女性スタッフからは、「こんなに効率的に決断されるお客様は初めて見ました」と感心されるほどだった。こうして、我々は2時間という短時間で指輪の購入という一大ミッションを完了させた。

その後、妻に言われる通り、108本(“永久"とかけているらしい)のバラを用意しアマン東京で正式にプロポーズ。タイミングが急すぎたせいか、プロポーズに指輪が間に合わなかったというハプニングが我々の忙しなさを物語っていた。

何事にもこだわりがない私にとって、自分の理想に従って選択を重ねていく妻の姿は、海外生活で体験したカルチャーショックに劣らないほど衝撃的だった。

これが結婚というものなのだろうか。この時点ですでに、今後の夫婦生活がどのようなものになっていくか予期できそうな気がした。

鋼のように芯が強い妻のルーツを知る

無事婚約指輪の購入を済ませると、我々夫婦は妻のご両親へのご挨拶に向かった。

事前に妻から結婚の意思を伝えられていたこともあって、ご両親はあっさりと結婚を受け入れてくださった。かくして、私の緊張とは裏腹に、このイベントは難なく終わった。

実際にご両親にお会いしてみて私はある疑問を持った。それは、妻の個性の強さはいったいどこから来たのかというものだ。

妻の実家は、かろうじて関東と言える範囲にあり、都心から電車と車で2時間近くの場所にあった。山と海の両方が楽しめる欲張りな町。いや、率直にいえば、東京から千kmも離れた鹿児島の出身である私が地元を思い出すほどの田舎だった。

(妻の地元の風景)

駅から実家に向かう県道沿いには、古民家のような一軒屋と田んぼが並んでいる。また、これらの家々と違わず長い歴史を感じさせる家屋に、ご両親は居を構えていた。

いかにも真面目で厳格そうなお義父さん。そして、笑うと下がる目尻の優しそうなお義母さん。のどかな田舎に住むご両親からは、きっと柔順な娘が育つはず。

ところが、現実に私が目にしている妻は、そんな”常識”からは大きく外れた、鋼のように硬い芯を持つ人間だ。

このギャップに、私の頭の中には言いようのないモヤモヤ感が生まれた。しかし、この疑問は、このあとすぐに解き明かされた。

夜に予定があった我々は挨拶を切り上げ、東京へ戻る電車に乗った。この電車の中で私は、妻という人間のルーツを知ったのだ。

電車がゆっくりと駅を離れ、徐々に加速していく。彼女の母校の高校。高校時代のアルバイト先だったコンビニ。妻が、車窓の中に次々と現れてくる思い出スポットを教えてくれた。

流れる景色に見入る私に、妻が笑顔を作って自虐気味に言った。
「ここ、何もないでしょ。本当に田舎だよね。嫌になるくらい」

上京してからというもの、実家にほとんど帰省していない私にとって、こののどかな風景はかなり新鮮に見えた。一方で、この言葉を聞いて初めて、この地で生まれ育った妻には、私が見ている景色がどれほど平凡に映っているのかを想像できた。

地方出身の私には理解できる。この時妻が言及していたのは、田舎の環境の悪さではなく、田舎には保守的な考えの人たちが多いという傾向の話だ。私にも大学卒業後は地元で就職したものの、地元の閉鎖的な雰囲気に嫌気がさし、上京したという経緯がある。

そして、彼女がポツリとつぶやいた。

「私、高校を卒業したらファッションの専門学校に行きたいと思っていて、お父さんと大ゲンカしたんだよね」

話を聞くと、高校3年生の秋、進路を真剣に考え始めた妻は、当時興味があったファッションの専門学校に進学したいと思うようになったそうだ。しかし、気持ちを打ち明けた両親からは、猛反発にあった。18歳の意思が受け入れられず、両親と喧嘩を重ねた挙句、妻が家出するほどの大騒動に発展した。結局、彼女は父親が通っていた大学に進学することとなった。

以前から田舎の保守的な思考に対して、うっすらながらも妻が抱いていた違和感は、この時はっきりと輪郭を持ったのだった。一方、地元への愛着を捨てきれなかった彼女は、大学卒業後の社会人4年目まで実家に住み続ける。胸につっかえた違和感を抱えながらも、地元にとどまり続けた妻の葛藤が理解できた気がした。

彼女はケンカ話にさらに一言を加えた。

「まあ、このファッションの専門学校は、私が社会人になってから通ったんだけどね」

以前妻から、彼女が社会人5年目の時、自身のキャリアに疑問を持つようになった結果、働きながらファッションの専門学校に通ったという話を聞いていた。しかし、この専門学校が、彼女が高校時代に進学を断念した学校だった、とは今まで知らなかった。

親と進路で揉めるケースは世の中に珍しくないだろうが、学生時代に果たせなかったことを、10年近くも経ったあとに”取り戻しに”行くとは。よほど彼女の中で尾を引いていたイベントだったに違いない。

この専門学校を卒業したあと、彼女がファッション業界に身を投じることはなかった。しかし、この期間がなければ、間違いなく今の妻は存在していない。

私はこの時初めて、彼女の軸の強さが、田舎での生活に反発するように育まれていったのだ、ということを知った。

新たな困難が待ち受けているとも知らずに南アフリカへ再出発

かくして、目まぐるしく過ぎ去った滞在を終え、私は再び南アフリカへと発った。

妻と過ごしたのが2週間だけというのはやはり物足りなかったが、これから彼女との新しい生活が控えていることを考えると、寂しさの中にも確かな希望があった。

(私が搭乗した飛行機が離陸した)

そして、2022年の年明け、妻が婚姻届を提出。我々は晴れて夫婦となった。もちろん、私はその場にいなかったので、結婚したという実感はまったくと言っていいほどなかったのだが。

実は、婚姻届を提出する前に、もう一つ大きなイベントが控えていた。本来であれば、2021年の年末に、妻が私と同居するための下見を兼ね、南アフリカに旅行に来る”はず”だった。新型コロナウィルスの変異株・オミクロン株が、当時世界で初めて南アフリカで発見されるまでは。

次回は、我々夫婦がオミクロン株を乗り越え、南アフリカで再会するまでの軌跡をお話ししたい。

(第3話へつづく)


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