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小さな鍵穴から見える世界は思い込みや偏見に満ちている。

つい先日のこと。
私は自分でも驚くほど
大きな怒りに襲われました。

それは主人との
些細なやり取りがきっかけでした。

主人の何気ない一言に
私の心は、突然ザワザワし始めました。
やがてそれは怒りとなって…

(私のことを
役に立たないと思ってバカにしている…
どうしてそんな言い方をするの…)

私は、心の中で叫んでいました。

怒りの感情は
みるみるうちに大きく膨れ上がり
心拍数が上がり
心臓がバクバクしていました。

傷付けられた…
そう思った私は
そのまま黙り込んで
すねてしまったのでした。

それにしても
なぜこんなにも
怒りが込み上げてきたのだろう…。

かなり時間が経ってから、
自分に起こった出来事を
ようやく理解することができました。

あの時
私はこの広い世界を
小さな小さな鍵穴から
覗き込んでいたのでした。
世界はこんなにも広いというのに…。

小さな鍵穴から見える世界、
それは私の思い込みで出来た世界でした。

その世界から見ると、
私は被害者、
主人は加害者に見えるのです。

役に立たない…
頼りにならない…
ダメな人間…

主人はそんなことは
一言も言っていないのです。

それは
私が私自身に放った言葉。

呑み込みが悪くて
不器用で
頼りにならない
だから私はダメな人間。
心の奥で
私は自分のことを
そう思っていたのですね。

だから
主人の言動や表情を、
即座に
私は役に立たないダメな人間
と変換をしてしまったのです。

私の一番の味方であるべき私自身が
自らを否定し、
自らを傷付けていたのです。

ごめんね…

私は自分に謝りました。

あなたはダメ人間ではないよ…。
呑み込みが悪くても
不器用でも
たくさんのことを
一度に処理できなくても
あなたは
かけがえのない存在。
私はあなたの全てを愛している…。


私たちには
偏った見方、
思い込みと言った
心の癖のようなものがあって
それらが
何かをきっかけに
発動してしまうことが
あるのですね。

それは単なる妄想で、
事実無根なのですが、
あの人はこんな酷いことを考えている…
明らかに私の主張が正しい…
と言うように
相手をジャッジしたり
自分を正当化したり
あるいは、
どうせ誰も分かってくれないと
すねてしまったり…

あの時の私もそうでした。

もし、あの時
主人に向けた怒りを
この怒りの正体はなに?
と私自身の心に問いかけることが
出来たなら…

私の中にあった悲しみだったんだ…
と気付くことが出来たなら…
あれほどまでに
大きな怒りを感じずに
済んだのかもしれません。

私は傷付くことが怖くて
主人を悪者にすることで、
自分を守ろうとしていたのかもしれません。

でも、
仮に主人がごめんねと
謝ってくれていたとしても
救われることはなかったと思います。

これは、
私が正しくて、主人が間違っている
という問題ではなくて
私自身の問題であり
私自身の課題だからです。

私がそのままの自分でいいと
自分をまるごと受け入れることが
出来ない限り
私の心が満たされることは
ないのですね。


こんな風に
心がざわざわした時、
それは
あなたの心の中に
向き合うべき問題がありますよ
というサインなのですね。

そして、それは、
自分の思い込みや偏見に
気付くチャンス、
成長のチャンスとも
言えるのかもしれません。

私たちは知らず知らずのうちに
自分の考えに縛られ、
知らず知らずのうちに
誰かを非難したり
正しさを主張したりしているものです。

世間的に正しいと
言われているようなことであっても
それをやたらと主張したくなったり
その正しさを盾にして
誰かを非難したくなったりする時も
何か縛られている考えや
思い込みがないか
一度自分と向き合ってみると
良いのかもしれませんね。

あなたはそういう考えなのですね
私はこうです
そんな風に
互いを尊重し
違いを認め合い
一人ひとりが自由に
軽やかに生きることが出来たら
とても幸せだなと思います。


どんな生き方をするか
それは
自分で選ぶことができるのですね。

あなたは
どんな生き方を選びますか?

鍵穴から世界を見て
被害者であり続ける人生を選びますか?

それとも
広い世界に出て
自由に、
そして
軽やかに生きていく人生を選びますか?


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