愛を磨くため、集中力を研究した

集中は洞察につながり、洞察は理解に、理解は思いやりにつながる

この言葉を知ったのは高校生の時でした。当時の僕にとっては核心をついた言葉に思えました。

というのも、当時すごく大切に思える相手がいて(今もたくさんいます)、どうしたらもっとその人を理解できるだろうか、どうしたらその人のように優しい人になれるだろうかという思いで苦しいくらいだったのです。

もっと優しい人間になりたい、そばにいるだけで相手の心が安らぐような存在になりたいと、大真面目に悩んでいたんです。今は悩んではいませんが、考え続けています。目指すは握手しただけで相手が優しさに包まれて泣くレベルの優しさを手に入れることです。

ほんとですよ?笑


あれから数年

そんな僕にとって冒頭の言葉はどう見えたのか?当時の頭の中のつぶやきを再現します。

たしかに、相手を理解するにはまず相手を知らなくてはいけないよな。相手の言葉、ボディーランゲージ、背景に完全に集中し、適切な質問を投げ、相手を深く知ることなしには洞察も理解も始まらない。ほとんどの人が話を聞きながら「どんなふうにアドバイスしてやろうか」「私のことどう見えてるんだろう」「お腹すいた」みたいな、理解とは関係のないことに意識が散乱してしまっていることは想像に難くない・・・理解のない思いやりは、単に余計なお世話に過ぎないのかもしれない。なんならただ迷惑なだけかもしれない・・・

とまあこんな風に思考を巡らせたわけです。

思考を巡らせながら、当時読んだばかりの本からの知識も織り混ざっていき、僕の中で理論も実践のためのテクニックもまとまった1つの大きな作品が出来上がりました。大げさに言うならば、ですが。

思考がまとまっていく中で大きな役割を果たしたのが、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』とチクセントミハイの『フロー体験 喜びの現象学』でした。

あれからいろいろなことがあり、さらに読んだ本の数が増えた今、考えていることをまとめていこうと思います。

集中力の話から入り、思いやりや愛や優しさの話まで持っていきます。後半にいくにつれ、僕の生きる姿勢が垣間みえてくると思います。

どうぞお付き合いください。


集中できなければ始まらない

現代人の集中力は金魚なみ”、“現代において最も重要な資産は集中力である”と言われるくらい現代社会は集中するのに労力が要ります。

これは前にも書きましたが、今世界を牛耳っている巨大企業が“あらゆる衝動を、即座に、ストレスなく実現させる”競争をしているのも原因の1つでしょう。

僕らは、常にちょっと気になることが無数に手の中にあって、即座に確認できるようになってしまっています。どんな時間においても誘惑に晒され続けることで、僕らはふにゃんふにゃんの根無し草になりかけているのです。この前、「縮退」という言葉で説明しましたね。

そのような社会では、どこに意識を向けるかコントロールできなければ操り人形も同然です。

集中できないというのは思いの外致命的なのです。

話を聞くと言うことで考えてみましょう。話を聞くには、まず相手が発するメッセージ(言葉、表情、仕草・・・)に意識を向けなくてはいけません。

ところが多くの場合、僕らは相手の話よりも自分の頭の中の連想や思惑や自分の体に目がいっています。相手の背後にある絵や別のこと(SNSの通知とか)に気を取られているかもしれません。話の半分だけをしっかり聞いて、あとは「要するにこう言うことでしょ」と結論づけ「どんなアドバイスをしてやろうか」と頭がいっぱいになっている人もいるはずです。

そんなわけで、「話を聞く」のは難しい。話を聞くと言うところさえクリアできない人が過半数なんじゃないかと僕は思っています。

聞けたとしても、今度は相手の話を解釈するのに集中力が要ります。

相手の立場になって想像するというのが必要なはずですが、これもなかなか難しい。1つのことについて想像を広げることに集中できない人は多いのです。

考えだすとすぐに関係のない連想が邪魔をし、事実と解釈は入り混じり、誤解の上でえいやっと出た答えを伝えるものの、伝えた先から不安になったりさらに連想が広がったりして相手の反応もろくに見ていない・・・よく見かける光景だと思います。

エーリッヒ・フロムは「他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず相手の話を聞くということである。」「いうまでもなく、いちばん集中力を身につけなければならないのは、愛し合っている者たちだ」と述べています。

さて。

聞くことを例に考えてみましたが、勉強でも仕事でもスポーツでもだいたい同じだと思います。集中力がなければ始まらないのです。


集中力と愛

フロムは集中力がなければ人を愛せるようにはならないと述べていました(フロムの言う愛についてはこちら)。人の話もちゃんと聞けなくなるんだから当然といえば当然かもしれません。

ここでちょっと集中力をもう少し詳しく定義してみましょう。

・注意力を統制することで、自己を正しく認識したり、考えるべきことに鋭く強く意識を向ける力。
・外部環境によって注意を逸らされ続けることをなくし、憎悪や嫉妬を喚起されることを減らす力。

ひとまずこれらを集中力と呼ぶことにします。

僕らが何に意識を向けるか、というのはある程度コントロールすることができます。

完全な集中状態である“フロー”を研究しているチクセントミハイは「何に集中するかをコントロールすることは、感じ方をコントロールすること、したがって人生の質をコントロールすることである。情報は関心を向けているときにのみ意識に上る」と述べています。

もちろん放っておいても意識は何かしらには向けられるのですが、それが意識を向けるべきことであるかには全く関係がありません。コントロールされていない意識は、誘惑に惑わされ、習慣化した不安についてばかり考えてしまう原因になり得るのです。

おそらく、集中力がなければ他人について考えるどころではありません。自分について理解することさえ難しいでしょう。注意のコントロールを学ばなければ、内省はむしろ危険な行為となってしまいます。

とはいえ、集中力は技術です。つまり伸ばすこともできる。こんな言葉があります。

どんな技術を習得する場合にも、学ぶべき大切なことはまず第一に原理であり第二に方法である。『アイデアのつくり方』ジェームズ・W・ヤング

この手順に乗っ取って考えてみましょう。

集中についての本格的な本質本が読みたければ『フロー体験 喜びの現象学』を、すっきりわかるお手軽な本質本なら『ヤバい集中力: 1日ブッ通しでアタマが冴えわたる神ライフハック45』をお勧めします。

脱線しまくりながら集中力について本質を書いている記事はこちら


集中力はすぐ身につくものか?

残念なことにそうもいきません。集中力を鍛えるにはどうしても反復が不可欠です。『ヤバい集中力』が一番まとまっていて安めなのでぜひ読んでみてください。

とにかく集中力をハックする45の方法だけ見たいのであれば、Amazonで『やばい集中力』と検索して2回左右方向にスクロールするとまとまった表が見られます。

1つだけ、集中力を鍛える簡単な(簡単に見える)方法を挙げるとすると、呼吸に意識を集中する時間を設ける習慣をつけることです。

1日に1回5分からでいいので、静かな空間で姿勢を正して座り、呼吸のみに意識を向けるということをするのです。たった呼吸数回分でも、呼吸のみに意識を向け続けるのはかなり難しいです。はじめはとにかく注意が散漫になるでしょう。

逸れた注意を何度も呼吸に戻すという過程で集中力が磨かれるので、注意が逸れた自分についていちいち自己嫌悪する必要はありません。とにかく呼吸に集中してください。

これを半年とか一年のスパンで続けられたら目に見えて変化が現れます。途中で1日やめたくらいでは無駄になったりはしないので、細く長く途切れ途切れでも続けたらいいと思います。

僕自身は高校の時にやってました。いろいろ要因があると思うので一概に言えませんが、効果があったように思います。


資源をどう配分するか?

集中力が身につくということは、自分の心理的なエネルギーを必要なことに投射できるということです。

自分が持っている資源をどのように配分するかを戦略と言いますが、自分の心理的なエネルギーも戦略的に使うことはできます。

僕らの注意力を惑わすのに一役買っているGoogleという会社でそれを鍛えるサーチインサイドユアセルフという研修を開いているチャディー・メン・タンという人の言葉を引用します。

鍛え上げた注意力を使い自分の認知プロセスや情動のプロセスを高い解像度で知覚できるようにする。そうすれば、自分の思考の流れや情動のプロセスをとても明瞭に観察できるようになる。

サーチインサイドユアセルフでは、まず集中力を鍛える訓練をし、次に鍛えた集中力を用いて自己認識を深め、自制することを学び、最終的に「役に立つ心の習慣」を創出していきます。

これが集中力の戦略的な使い方の一例かと思います。

この例で注目すべきは、集中力を使ってまずやることに自己認識を深めることを設定していることだと思います。

どうして自己認識なのか?

『insight いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』(ターシャ・ユーリック著)という本を参考に話してみます。

この本によると、自己認識は共感力、影響力、説得力、コミュニケーション力、協調力のもとなんだそうです。人に理解を示すにも、人に影響するためにも自己認識は不可欠ということです。

自分の中をモニターできなければ変化させたい部分もぼんやりとしか見えませんし、「自分」は世界を見るフィルターなので、それが曇ってないか見極められないと誤解が生まれそうですよね。

自己認識が大切と聞いて、「私は考え込んでしまうタイプで既にたくさん内省している」と思った方はぜひ『insight 』を読んでみてください。自己認識についての勘違いにはまっていることに気づかされるでしょう。

今回は詳しく語りませんが、どうしても気になる方はこちらのまとめを読んでみてください。だいたい伝わるかと思います。

ただ、僕はあくまで本自体を当たることをおすすめします。


洞察の話

はじめに、「集中は洞察につながり・・・」という言葉を取り上げてみましたが、洞察について少し具体的な話をします。

僕らは意識をコントロールすることで、自分の感じ方と考え方を客観的に認識し、出来事と体験、刺激と反応の間に間を設けることができます。間を設けることができれば反応を選択することができるんですね。それができないために僕らはよく残念なコミュニケーションや残念な考え事をしてしまうことがあります。

僕が思う賢い間の使い方について述べてみます。

例えば、嫌なことがあって無力感を感じたとき。放っておけば自己嫌悪に陥るといういつもの流れがあるなら、それは変えることができます。

まず自分が自分に打ちひしがれていること、うんざりしていることを認知します。感情を知ることです。頭の中に溢れる「自分は何もできない」とか「私は昔からこうだ」「なんで私だけが」といった思考も認知します。

これらの“自然に”溢れてくる言葉は、あなたが“考えた”ことではありません。あくまで習慣などに基づいて自動的に再生されたものです。

自然な現象についてとやかく言っても仕方がないように、いま認知したことについてさらに追加で思い悩む必要はありません。追加で思い悩んだとしても、それが自分にとって自然なこと(直感的なこと)ならとりあえず判断を加えず認知します。天気を眺めるような感覚でいいと思います。

認知したら、次に浮かぶ考えや行動を変化させることができます。

冷静に考えることを選べば、本当に“何も”できない人間はいないし、“いつもこうだ”というのはこうであった記憶以外を見ていないだけだと気づくかもしれません。

様々な思考のバイアスがありますが、そのどれかに陥っていないか調べてみることもできます。例えば自分がこうなったのは〇〇のせいだと考えている時には「単一原因の誤謬」に陥っているでしょう。

何が学べたか、どうネタにするかに視点を向けることを選ぶのも可能です。僕は落ち込んでいるときそれを小説のネタにするために気持ちを詳細に書きとめたりします。

ボケるという方法もあります。けっこう単純で、♪を思考の最後につけるだけで十分です。「俺は何にもできない♪」「今日もわったしは不幸♪」これだけで少し冷静になるきっかけになります。

「私は何を求めているから現状を変えたいと思っているんだろう?」と問いかけるのもいいでしょう。

落ち込むということは思い描いた通りではなかったということだと思います。この問いかけによって、「自分はこういうことを求めていたからそれが満たされなくて今〜だ」とニーズに意識を向けることができます。

目的を思い出したら、それについて考えたらいいと思います。そもそも掲げた目標が高すぎたのではないか、今考えようとしていたことは目標達成に自分を近づけてくれることか、目標達成のために今できる一番良さそうなことは何か・・・云々。

このように反応の仕方はいろいろあります。もっとたくさん有効なものがあるでしょう。しかもそれは選ぶことができる。

出来事に対してどう反応するかは決まっていません。ただし、注意のコントロールをできるようにしておけばですが。

こんなことを言ってますが、僕も落ち込みますし、落ち込んでいるときはこんなに冷静じゃありません。そういう時には寝たり人にぶちまけたりします。今日は思い切り感傷に浸るかと決めて大げさなくらいに泣いたりする時もあります。

とはいえ、落ち込んでいる時にもいずれは平常状態に戻ることを確信しているので死にたくなるようなことはなくなりました。回復したら集中力を鍛えてみようかと思う回数を増やすようにしたりします。


役に立つ心の習慣

先ほどの洞察の話がまさに“何に意識を向けるのか”の話の例でした。人の話を聞く時にも、何かについて建設的に考える時にもこれは役に立つはずです。

通常、人の注意は、遺伝的教示、社会的関係で、子供の時に学ぶ慣習によって方向づけられている。したがって、何に注意を向けるべきか、どの情報が意識に上るかを決定するのは、我々ではない。そのため、我々の人生はいかなる意味においても我々のものではない。我々が体験するほとんどの事は、あらかじめプログラムされているのである。(略)。歳を経るにつれ、我々の体験は生物学や文化によって記された脚本に従うようになるだろう。自分の人生のオーナーシップを取り戻す唯一の方法は、自分の意図と一致するように心理的エネルギーを導く術を学ぶことである。『フロー体験 喜びの現象学』

チクセントミハイが言うには、自分の意図と一致するよう心理的エネルギーを統制できれば自分の人生の舵を取れるということですが、これは始めはなかなか大変な作業です。

ですが、繰り返し行うことでそのコストは下がっていきます。習慣の力に助けてもらうのです。

自分を充実した状態にし、長期的・社会的によいことのために行動する習慣を身につけるには「役に立つ心の習慣」を生み出す必要があります。

具体的な話をします。

僕らは、すぐに必要な行動を起こせる人のことを「行動力がある」と言います。ところが、多くの人はそもそも「行動力とは何か?」ということがわからずに悩んでいます。

みなさんも感じている通り、行動力というのは安定しないもので「今どんな気持ちでいるか?」によって、実にいい加減に上がったり下がったりします。

そこで、心の習慣です。

実は、「行動力がある人」とは「行動する感情の状態を作りやすい」人なんです。同じように「続ける力がある人」とは、「行動を続けるのにふさわしい感情を作りやすい」人ということになります。

たとえば、感謝する習慣が身についている人は「恩返しだと思ってもう一踏ん張り」と思う可能性が高いでしょうし、自己効力感を高めていればくじけずに頑張る可能性が高いわけです。

では、どうすれば役に立つ心の習慣を生み出せるのか?

培った集中力を、感情を構成する3つの要素に向けることで、です。

感情を構成している3つの要素というのは、
意識の向け方 ②言葉の使い方 ③からだの使い方です。

意識の向け方 =今、自分はどこに意識を向けているか?
です。自分が今、目を向けているところ。または、頭の中でイメージしていることです。特定のイメージを自分が選んでいることに気づきましょう。

言葉の使い方 =今、自分はどんな言葉を使っているか? 
声に出したり文字で読むのはもちろん、頭の中でしゃべっているものもそうです。いろんな言葉がある中で特定の言葉を必ず選んでいるはずです。

体の使い方=今、自分はどんな体の使い方をしているか?
動かしている場合もそうですが、姿勢、表情、呼吸などもあてはまります。体は強張っているのか、緩んでいるのか、どの辺に違和感があるのか観察します。あくまで観察ですから判断は加えないことです。

この3つの要素をしっかりモニタリングすることができれば、僕らはゆっくりと心の習慣を変えていくことができます。あくまで、ゆっくりとです。

今日自分にとって長期的に望ましい考え方や感情に意識を向ける回数を上げることは、次回からもそのように考える確率を上げることになるでしょう。

そう思ってゆっくりゆっくりと変えていけばいいと思います。


個人的にすごく感動した「心の習慣」はこれです。激しく同意します。

誰であろうと人と出会ったらかならず、「この人が幸せになりますように」と反射的に思う習慣が身についているところを想像してほしい。そんな習慣があれば、職場が一変する。このような誠実な善意に他の人が無意識のうちに気づくし、とても建設的な協力関係につながる種類の信頼をあなたが生み出すからだ。そうした習慣は、自分の意思で身につけられる。『サーチインサイドユアセルフ』


優しさとか愛ってなんだ?

これで準備は整いました。僕としては、集中力と洞察、そして自己認識を話さないとこの先へ進みにくいのです。

少し前に優しさとは何かについて思うことばっかり書いていた時期がありました。ずっと読んでいただけてる方なら(2人くらいはいるでしょうか)覚えてくださっているかもしれません。

今の僕も考えはだいたい同じです。

愛とか優しさってすごく抽象的で感覚的で、たぶん、端的にこれのこと!って言うのには向いてません。青とはこんな色だと説明するようなもんだと思います。見た方が早いに決まっている。

ですから、優しさとはこれ!愛とはこれや!というようなことは言えませんが、それでもあえて無理やりやります。


優しさは受け取りに気づくところから

この世界ではどこでも、先に受け取りに気づく競争が起きていると思っています。

唐突になんの話やねんと思うかもしれませんがお待ちを。

僕たちが人に優しいと感じる時ってどんな時でしょう?
おそらく、「どうしてあの人はこんなに与えることができるんだろう?」と思っている時だと思います。

わかりやすいところだと、濡れている人に傘を差し出したり、人に席を譲ったり、真摯に人の話を聞いていたりというのがあります。話を聞くというのは自分の集中力とか時間とか優しい気持ちを差し出しているわけですね。

「どうしてあんなに人に与えられるんだろう?」というのは、一見すると不合理なまでに釣り合いの取れていない贈与を感じ取ることで起きているのがわかります。

久しぶりに母の手料理を食べて優しさを感じる(泣)みたいな時はどうでしょう? これも、今までは気づいていなかった母からの贈与に気づいているから、優しさを感じているわけです。

では、一見不釣り合いなまでに人に与えられる人は、どうしてそんなことができるのか?

それは、与える人が与えられた人よりも先に受け取っていることに気づいているからだと思うのです。

おそらく、濡れている人に傘を差し出そうと思う人や誰かに席をゆずる人は、それ以前に誰かの優しさに気づいたことがある人です。

親というのが子供に無条件ですべてを与えられるのも、自分が親から受けた優しさや愛に気づいたからこそだと思います。生物学的にそうだというのももちろんあるでしょうが。

この、受け取っているという感覚は、実際に受け取っているのかとか直接受け取ったのかには関係ありません。

たとえば、”今日も昨日のように自分のことに集中して生きられるのは世界を回してくれる無数の人たちがいるからだ”という受け取り感覚は、ほとんど幻想だということもできるでしょう。しかし、一見不釣り合いな贈与ができるのはこういう考えができる人たちです。そして僕らは彼らを優しいと思う。

受け取ったと感じた人が別の誰かに優しさを送ること(恩送り)で贈る(与える)という行為は生まれています。

そんなわけで、僕らは先に受け取りに気づく競争をしているというわけです。


受け取りに気づくという習慣

受け取りに気づくというややこしい言い方をしましたが、要は感謝するということです。

なるべく想像力を広げて、どれだけありありと受け取りの感覚を得ることができるか、僕はこれを自分の優しさの指標の一つとしています。

この、「ありありと」というのはけっこう重要だと思います。僕らはありありと感じられた受け取りに対してしか恩送りを発動しないのです。

僕自身は、たとえば「食べ物が食べられること」や「今日も生きていること」についてはありありと受け取っている感覚をまだ感じられたことがないので、まだまだ優しくなる余地があると思っています。

受け取りに気づく力は、感謝する習慣を作り出せれば育めます。

自分が本当にありがたいなと感じられることだけでもいいので、感謝の気持ちに目を向ける時間を設定することは優しさを育むのにもってこいだと思います。

与える側の体験をするというのもいいかもしれません。僕は自分がライターをする側になって初めて、記者の方やインタビュアーの方や翻訳者の方のすごさをリアルに想像できるようになりました。ありがたみも10倍くらいリアルに感じられます。


優しさとは引き出す力

優しさとか愛についてもう一つ思うのは、相手から引き出す力を持ってるよなということです。

何を引き出すかと言えば、相手の優しさとか愛とか面白さです。魅力といってもいいと思います。

個別の相手のことを注意深く、愛情深く観察し、感じ取り、相手の良い面を引き出せるようこちら側から働きかけるという習慣の積み重ねが優しさとか愛とかいうものなんじゃないかと僕は思うんですね。

僕らがどんな態度で聞くのか、どんな風に話すのかで相手の反応はけっこう変わります。そのため、相手の話をちゃんと聞けることは前提の上で、僕らには次の洞察が必要です。

相手がどんな風にメッセージを発するにしろ、それらは全て何かについての「お願い」か「ありがとう」であるということです。これを読み解けるかが愛ある会話をするカギだと思います。これは去年NVC(非暴力コミュニケーション)の本を読んで腑に落ちたことです。僕自身実践には程遠いですが少しずつできるようになっていると感じています。

相手が怒っていても、嫌味を言っているようでも、それは私に何かをしてほしいという意図の表れだと考えられるようになれば、自ずと僕らの反応は変わります。

相手の伝えるのが下手だとしても、奥には私に満たしてほしい感情があり、それは普遍的なもの。読み解くことが可能です。

たとえば「お前は何もわかってくれない!」と言う相手の奥には、「もっと理解してもらいたい」「愛されたい」「深くつながりたい」といった普遍的なニーズがあるはずです。伝えるのが下手なだけ。

そういったニーズを読み解くことができれば、「何を知ってもらいたいのか」「何をしてもらえたら愛されていると感じられるのか」「深くつながるために何が必要なのか」について建設的な話し合いができるはずです。

伝えるのが下手な人は、ニーズを怒ることや非難することや恥をかかせようとすることでしか実現させる方法を持たないのです。そしてそのような方法では高確率でニーズが満たせない。そもそもこういった人たちは自分のニーズを理解していないことがほとんどです。

僕はこのことを理解してから人に対して継続的な嫌悪感や怒りを持つことはほとんどなくなりました。有益な習慣だと思っています。

自分のニーズもだんだん理解できるようになったので、それを妨げる会話にしかならない相手とは話さないようにしています。いずれ僕がもっと優しくなったら、彼らに対しても理解に努められるかもしれません。

そういう意味だと、より多種多様な人たちと建設的な話し合いを引き出せるのも優しさと考えているのかもしれませんね。


信じるのって怖い

前に「僕に悩みを打ち明けてくれる人へ」という記事に書いたようなことを友人に語った時、「どうしてそこまで人を信じられるんだ?」と聞かれたことがあります。

ここまでの文章を読んでそう思われた方(1名くらい?)もいるかもしれません。

たしかに、自分以外の人たちがどう考えているのか、本当にはわかりません。本当に現実がそうかはともかく、僕があえて意図的に優しく解釈する習慣を生み出しているのは間違いありません。

それはある種の信仰のように見えなくもないでしょう。

しかし、前にも述べたとおり人は常にある思い込み(環境に癒着したコード)の中にいて、思い込みを客観視した先にはまた別の思い込みがあるだけです。※科学を蔑ろにしろということではありません

ある見方から別の見方へ移行するというのが勉強じゃないかという話もしましたね。”ボケ”と”ツッコミ”でコードから離れることができるという話でした。

今回話したことを合わせてまとめると、僕らは何に意識を向けるかを選ぶことができ、それによって今の思い込みから離れ、ひとまず採用する別の思い込みを意識的に選ぶことができます。

そして、はじめは意識的にせよ、ある感覚や思考に意識を向けることを繰り返せば、「役に立つ心の習慣」が生まれ、自然とそのように考えられるようになっていくのでした。

フロムは、「理にかなった信念とは自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信である。信念は、人格全体に影響をおよぼす性格特徴であり、ある特定の信条のことではない。この信念は、自分自身の経験や、自分の思考力・観察力・判断力にたいする自信に根ざしている。」と述べていますがその通りだと思います。

ちなみに彼の「思い込み」は、”自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しないかぎり、人を愛そうとしても必ず失敗する”というものでした。彼のいう「生産的」であるとは、”自分の中に息づいているもの(喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなどの表現)を与えるということ”です。

彼のこの思い込みは”理にかなった”ものに思えますが、いかがでしょうか?

いずれにしろ、僕らが何かを思い込んでいるのには違いありません。信じるのが怖い人も何かを信じています。何も信じていないと思っている人の方がむしろ固い信仰を持っていると言えるでしょう。

また、意識に上る情報や思い出してしまうことは、信じていることをより強化するものであると思った方がいいとも思います。

勉強し続けないと、自分は強固な信仰を持った原理主義者のようになってしまうのではないかというのが僕の数年前からの懸念です。


最後に

ここまで僕の優しさ語りに付き合っていただきありがとうございました。心から、みなさんの方が間違いなく優しさというものを体得しているんだと思います。

今回の内容は、少し前の「〜ダイエットとかアメリカとか集中力とか偶然について〜」では書けなかったことを書きました。あちらでは経済とかアメリカの歴史を取り上げて、どちらかというとビジネス書みたいな話になっていたと思います。

そういう話も大好きですが、冒頭でも述べたように、僕はとんでもなく優しい人になりたいのです(語彙力)。だから、優しさについても自分の中で整理したかったんですね。

その目的は、一応満足するラインまで達成できました。

もし、今回の話があなたにとって発見であったり思考のきっかけとなれたのであれば、僕が想定できる最高の状態と言えます。


ハートフルな内容だし謝辞も書いてみた

最近、僕がこういう長くて真剣な(いろんな本を参考に数日かけて書く)文章を書いているのにはいくつかの理由がありますが、そのうちのいくつかを述べたいと思います。

まず、はまのりさん、丸山修平さんというお二方の力添えでライターの仕事をいただけたことがあります。この大役を全うしたい僕は、ライターとしてまずはとにかくたくさん書けるようになろうと、月に8万字という目標を自ら設定しました。感謝しています。

それから、僕に悩みを相談してくれたり、離れていても話しかけてくれる友のおかげです。君たちの存在がなければこういうことを何日もかけて書こうとは思わなかっただろうと思います。

僕に影響を与えてくれた本を生み出してくれた人たちにも感謝しています。読んでいなければさらに数十倍説得力に欠けた文章を書いていたと思います。

最後に、毎回僕の記事にスキをつけてくれるみなさんに感謝を伝えます。めげずに書き続ける原動力としては、正直一番大きいのではないかと思っています(笑)。


本当に最後までお付き合いいただきありがとうございました!!


僕の頭の中でつながった本たちなどの案内

『しあわせ仮説: 古代の知恵と現代科学の知恵』ジョナサン・ハイト (著), 藤澤隆史 (翻訳), 藤澤玲子 (翻訳)
『ヤバい集中力』鈴木祐

『フロー体験入門』M.チクセントミハイ (著), 大森 弘 (翻訳)
『フロー体験 喜びの現象学』M. チクセントミハイ (著), Mihaly Csikszentmihalyi (原著), 今村 浩明 (翻訳)

『脳は「ものの見方」で進化する 』ボー・ロット (著), 桜田直美 (翻訳)

『サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』
著者: チャディー・メン・タン、 一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート、 柴田裕之

『insight いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』ターシャ・ユーリック著

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』飲茶

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義 』マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)

『NVC人と人との関係にいのちを吹き込む法』マーシャル・B・ローゼンバーグ

サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。