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平井俊徳の高千穂八十八社巡り

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高千穂神社を総社とする、高千穂郷八十八社を紹介していく
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高千穂八十八社【尾仲野神社】

高千穂八十八社【尾仲野神社】

高千穂神社を総社とする高千穂八十八社の1つ、【尾仲野神社】を紹介する。(延宝2年神明帳より)

※ 時代によって八十八社に加えられたり、無かったりする場合もある。

熊本県高森町草部、大仲野バス停を高千穂から見て左手に入った所にひっそりとある。

佐藤光俊さんの高千穂八十八社の本によると、御霊大明神、尾中野天神となっている。

所祭神は不明とある。

草部村小史によると、草部と高千穂堺の峠の平は原

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草部吉見神社  何を比喩する?

草部吉見神社  何を比喩する?

熊本県阿蘇郡高森町にある草部地区には日本三大下り宮として有名な『草部吉見神社』がある。

主祭神は神武天皇の長子、【日子八井耳命】である。

草部吉見神又は国龍神とも称され、阿蘇神社に三の宮として合祀されている。

※草部吉見神社にあるパンフレットより

国龍とは、イザナギ・イザナミが生まれる頃のずっと昔から龍体として吉野池に住んでいた。神武天皇誕生を「吉」と「見て」(吉見の由来)、人体となって草

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端午宮さま

端午宮さま

三田井、中川登地区にある高千穂八十八社の1つである、年大明神である、端午宮歳神が祀られている。

通称『だご宮』といわれている。

中川登地区は、桑水流、島戸、栃又の3集落をあわせた場所で、この島戸というのが、川登の発祥ともいわれている。

年大明神とは、素戔嗚命、神大市比売命(大山津見神の娘)との間に生まれたといわれ、ざっくり説明すると稲作、農業に関係の深い神様である。

春に種を撒き、夏、秋と

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高千穂八十八社 三ヶ所編

高千穂八十八社 三ヶ所編

五ヶ瀬町は鞍岡、桑野内と、それからもう一つ三ヶ所地区に大きく分けられる。

今回はその三ヶ所地区の高千穂八十八社を紹介する。

まずは三ヶ所の由来だが、廻渕(めぐりぶち)という地区があり、ここには御番所もあったところだが、鏡山。また、室野地区にも明神山そして、坂狩地区にも中登(ちゅうのぼり)山。

この三ヶ所に鏡石があり、この三ヶ所の鏡山として、『三ヶ所』と呼ばれたとある。

まずは廻渕にある鏡山

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高千穂八十八社 桑野内

高千穂八十八社 桑野内

五ヶ瀬町桑野内にある高千穂八十八社を紹介していく。

桑野内の名前の由来であるが、二つの説がある。

一つはこの地方に桑の木の自生する村、桑の木村。これが訛って、桑野内村となったと伝えられている。

もう一つは桑野内と押方の境の山は「米の内山」と言われ、高千穂側は昔から水田もあり、米もあり、山の向こう側が米の内、桑野内側は水田が無かったので米食わぬ内と言うようになり、桑野内のことを「くわぬうち」と

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田部家にせまる

田部家にせまる

上野、柚木野(ゆのきの)地区に柚木野神社があります。

所祭神は大山祇神、大年神、御年神、若年神、菅原道真公となっており、御縁起に十社大明神御縁起所也となっており、高千穂八十八社の一つです。

ここの神主を務めていたのが田部氏です。

そして、高千穂神社の十社大明神の鍵役であったと言われています。

この田部家は三毛入野命こと十社大明神が高千穂へ戻られた際、暴れまくっていた鬼八をやっつけた時に丹部

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日之影の神社を巡る旅

日之影の神社を巡る旅

前回の記事の続きとなります。

前回は楠原神社で終えていましたが、そのまま見立地区方面へ向かう為に大菅(おおすげ)地区を通過しました。

その時に道路沿いにあった『大菅神社』。

高千穂郷八十八社ではないのですが、鳥居も立派だったので寄ってみました。

菅原道真を祀っているので、『天満宮』と云われていたそうですが、明治4年からは『大菅神社』と改称したそうです。

他に祭神は明谷大明神、大國主、八幡

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御霊神社に御用心

御霊神社に御用心

高千穂町向山地区の稗の上集落には高千穂八十八社の1つである御霊神社があります。

御霊信仰は不慮の死を遂げた貴族の怨霊が祟る事により、疫病、さわりが流行すると信じられ、その災厄から逃れようとその怨霊を鎮める為に『御霊神社』の名称を付して祭祀する信仰です。
※ みちしるべ こんな高千穂いかかですか
佐藤光俊著より引用

三田井親武には男子の子供が5人いました。

長男と次男の親長と親町は共に討死し

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唵婆嶽神社について

唵婆嶽神社について

高千穂町岩戸の土呂久地区、折原には唵婆嶽神社があります。
唵婆宮とも言うそうです。

高千穂八十八社の1つで、祖母嶽大明神の拝み所八社のうちの1つと言われています。

御祭神は豊玉姫命、日子穂穂手見命。

昔はかなり大きな宮だったそうですが、道路拡張などにより、前側は切り取った為、奥行きのない宮となっています。

昔は大変気性の荒い神様で川向かいの畑中集落を馬に乗って通るものならたちまちに蹴落とさ

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くしふるの峯 その2

くしふるの峯 その2

【本組編第4弾】

さて、前回に引き続き今回もくしふるの峯にある史跡を紹介していきたいと思います。

くしふる神社右手側から道なりに下っていくと、看板が見えてきます。

まずは左側に進んで行きます。

少し坂道を登っていくと、まず高天原遥拝所があります。

ニニギの尊に従い御降臨された神々が国中からここ高天原遥拝所とくしふる神社に集まって、高天原にいる天照大御神始め、その他の神々を偲んで御遥拝さ

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くしふるの峰 その1

くしふるの峰 その1

【本組編第3弾】

くしふる峯
古事記、日本書紀によると、天照大御神の命により、瓊瓊杵尊が授けられた三種の神器を奉じて、天の児屋根命外多くの神々を従えて筑紫の日向の高千穂のくしふる峯に御降臨になったと誌されています。

古事記には
「筑紫の日向の高千穂の九志布流多気にお降りになった。」
日本書紀には
「日向の襲の高千穂峯に天下ります。」
と、あります。

日本書紀には更に「筑紫の日向の高千穂のくし

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女神に魅かれて

女神に魅かれて

高千穂町向山の仲山地区にある高千穂太郎の奥津城(おくつき)。
奥津城って、なに!?
と思って調べてみると神道式のお墓とあります。

向山から高千穂峡へ向かう途中に仲山城跡のある仲山キャンプ城がありまして、そちらへは登らずに高千穂峡の方へ行くと去来庵という茅葺の古民家があります。
この左手に看板とこの鳥居があります。

高千穂太郎は高千穂神社の祭神でもある三毛入野命の祖先で、血筋が途絶えた際に豊後

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高千穂郷八十八社、史跡巡り日之影編

高千穂郷八十八社、史跡巡り日之影編

今回は高千穂郷、日之影町を巡る。

日之影町には大きく分けて4つの地域がある。

七折、岩井川、分城、見立。

以前、見立地区は回ったので、今回は分城、七折を中心にまわってみた。

先ずは、八戸(やと、と読む)の清流園上部にある【三王子大権現】

祭神ははっきり分かっていないが、日之影町史より、「阿下熊野権現社」と関係が深いとある。

「三王子」とは、三柱の王子神の事で、王子神とは神が少年あるいは

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飯干さんのルーツ

飯干さんのルーツ

高千穂郷八十八社、諸塚村を巡る旅に第3弾。

次に我々が向かったのは、小原井地区にある、『松尾大明神』【小原井神社】です。

ここは説明にも書いてある通り、椎葉村の松尾より松尾大明神が御降臨されたとされています。

一度、明治42年に前回記載した【桂神社】に合祀されましたが、昭和37年に再び復社しました。

祭神は木花咲耶姫、そして少彦名命で、仏名『薬師如来』となります。

境内には大きくてコブの

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