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掌編

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記事一覧

猿と月

 月に兎を連れた猿は、ぼんやりと煙草を吸いながら眺めるしかないのでした。森には心優しいドラゴンがいました。小柄で非力なドラゴンの瞳はそれに反して大きく美しく、みんなドラゴンのことが大好きでした。
 その夜、森が焼けました。ある者は逃げ、ある者は守り、ある者は火を沈めようとはたらきましたが、二日かかってとうとう森は木々を失い、荒れた野原だけが残りましたが、悲しむ暇もありませんでした。火が起きた夜から

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富くじ

目が覚めたのは陽が射したからでなく、妻に身体の上に乗られていたからだということに気づくのにすこし時間がかかった。
妻は一昨年のクリスマスにやったショルダーバッグを肩にかけ、厚化粧をし、コートを羽織り薄いスカートも履いたまま、息も絶え絶えだった。まだ寝ぼけていたおれは抱きしめようとすると、頬を張られた。妻は涙ぐんでいて、娘が子ども用の椅子に座って卵をぐしゃぐしゃに潰したのを食べているのが見えた。

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掌編 『マイ』

最近、全身がぴりぴりしていてどうしようもないんです。というのも、ひどいストーカーに遭っておりまして。
名前はーーまあ、この時代、色々ありますから伏せますが、男性アイドルです。広くメディアに長く出演されている方なので、これを読んでくださっている方で知らない方はいない、と言えるような方だと思います。
私ももう32歳で、しかし男性経験もほとんどない身ですから、ありがたいのですが実家に住んでいるという

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掌編 『火を点ける』

煙草……ガキのころ、おれにはたくさん親戚がいて、どうしてかみんな煙草を吸ってた。おれは何よりクリスマスを楽しみにしていた。みんなが集まるのもあるが、従姉妹の姉ちゃんと会えるのは、クリスマスだけだったから。
姉ちゃんはーー名前はすっかり忘れてしまったーー醜いおんなだった。にきびやそばかすだらけで口の端は汚れていて、糸みたいに細い目に目やにをつけて、鼻はひん曲がり唇は腫れ、いつもよれたタンクトップを

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掌編 『蜘蛛』

リサは初めての女ではなかった。僕らは大学で知りあった。彼女は僕の4歳上で、2年留年していた。どうやって知りあい、どのように仲を深めたのか、何年も経ったいまとなってはあまり覚えていない。
彼女に訊ねたことがある。
「なに言ってるの。バレンタインデーの前日、あなたが同じゼミの池畑くんと一緒に、バレンタインに何か欲しいからって、私と、たまたま一緒に食堂にいたレミに話しかけてきたんじゃない。昼間から酔

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掌編『Killer Cars』

その日、僕ら2人は何となく苛々していた。そしてそのことを、互いに感じ取っていた。
何というわけでもなかった。だから、何も出来なかった。これまでも、どちらかの機嫌が悪いことや、あるいは調子が悪いことはあった。けれど、そんな時は、そうでない方が工夫し、なんとかうまくやり、ほとんど喧嘩もないまま穏やかに過ごしていた。
そんな風にして、僕らは高校2年のころから付き合い始め、10年が経っていた。

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掌編『巨人殺人』

はじまりは、ネコ探しの紙だった。家の近くの貼り紙。綺麗に整えられた毛が、銀白に輝いたネコの名前すら覚えていないが、とにかく、そのネコはアパートの入口で上品に目をつぶっていて、俺が帰ると待っていたかのように立ち上がり、駆け寄り身を預けてきた。

300万円はその場で手渡された。警察が見ていると面倒だからと、そのネコを擬人化したような上品な女は、泣きながら俺に何度も頭を下げ、別に封筒に10万円を入れ

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掌編『左ききの女』

大学生のころ、左ききの女と知り合ったことがある。
女とはマッチングアプリで出会った。アイコンを花にしていたが、見た目なんてどうでもよかった。問題は、女なのか女じゃないのか。それだけだった。
女は女だった。僕は女の最寄り駅で買ったケーキを片手に、オートロックのチャイムを鳴らし、アパートに入れてもらった。平日の昼間、アパートは古すぎず新しくもなく、駅からバスで15分ほど、210円を支払って降りた。

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掌編『祈り』

煙草も酒も忘れてしまった母は、パチンコにはまった。
目を覚ますと公園に行き、水道水を飲む。蛇口に歯をあて、音を立てて飲む。顔も服もびしょ濡れになる。そのまま近くのコンビニへ。何も買わないまま、ぶらついて店を出る。そしてまた同じ公園に行き、水道水を飲み、パチンコに向かう。
パチンコで使うのは3000円。あたりが暗くなり、店が賑わい始めたころに玉はなくなってしまう。
しばらく手もとを見る。厚く硬

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掌編『青と黄色のトイレの絵本』

「青と黄色のトイレの絵本」女の子は恥ずかしそうに、消えてしまいそうな声で僕に言った。
エプロンからボールペンを取り出す。母親は隣で「すみません」と申し訳なさそうに眉をひそめながら、微笑んだ。
感じのいい親子だった。母親は赤いカーディガンを羽織り、デニムを履き、キャラメル色に染めた髪を首にあたらない程度の長さで切り揃えていた。女の子は目が大きく、4、5歳くらいに見えた。赤いスカート、白いTシャツ

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掌編『机の上にミントチョコレートも置いていない宿泊施設をホテルと呼んでよいものだろうか』

机の上にミントチョコレートも置いていない宿泊施設をホテルと呼んでよいものだろうか。
そう言ってみると、女はあからさまに嫌な顔をした。
「べつに気にしませんよ、私は。ミントチョコレートなんて置いているホテルに泊まったことありませんし」頬を膨らませながら荷物を整理する姿は、妻を思い出させた。

女は大学生で、21歳だった。
私は映画を作っていて、彼女とは親子ほど歳の差がある。彼女は映画制作のア

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