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「自分たちは介護してやっている」という誤解をしていないか?

仕事とは、モノやサービスを提供する対価として顧客からお金をいただくことで成立する。

お店のレジで予め商品に提示された金額を顧客が支払うことで完結したり、モノやサービスを受け取った後に請求書の金額を後で振り込んだり、事前に契約を経てからビジネスとして関係が生まれるなど、プロセスは様々だ。

いずれにせよ、モノやサービスを提供する側も、それらを受け取る側も、お互いに自分の手元にある資本を対価にやり取りすることに変わりはない。

このような対価のやり取りがあるからこそ、モノやサービスを提供する側は「これは仕事なんだ」と実感できる。

――― 逆に言えば、このやり取りがないと「これは仕事なんだ」と実感できない。

このような「これは仕事なんだ」という実感がない介護従事者を割と見かける。つまり、自分たちが介護サービスを提供することで利用者(高齢者またはご家族)からお金をいただいるという構造を分かっていないのだ。

――― 別に分かっていないことを責めているわけでない。むしろ、これは仕方ない話である。そもそも、介護現場で働く人たちの多くは、契約やら支払いやらに係る機会はない。
事業独自の単発サービスでない限り、サービス提供後に「今回はXX円いただきます」といったやり取りはない。介護報酬も含めて大体は1ヶ月単位で請求することになる。

そのため、契約開始からサービス提供から請求、そして支払い(入金)までの全体流れを把握・理解していなくても仕方ないのだ。現場で介護サービスを提供するうえで直接関係することはほとんどない。
この辺りを確実に把握・理解しなければいけないのは、経営者や管理職くらいのものだ。

――― しかし、サービスの対価として利用者からお金をいただいているという構造を知らないと、やはり「これは仕事なんだ」と実感しにくくなるのは問題である。

それは、利用者からお金をいただいていることで、サービスを提供している介護従事者たちが給料を受け取ることができるという意識が薄れてしまうことでもある。

この認識のずれは、利用者に対しては仕事で介護をしているわけではなく、「自分たちは介護してやっている」という誤解を与えてしまう。

介護サービスが成立するのは、高齢者という顧客がいるからだ。
介護を要する高齢者に対して「介護させていただいている」のが現実だ。

それを「介護してやっている」とすると、一体何をもって給料を受け取っているのかがボヤけてしまう。それは仕事に向き合っていないことであり、仕事として顧客視点に立っていないことでもある。

また、「自分たちは介護してやっている」という誤解は、引いては高齢者虐待につながる。

それは「忙しいんだから早くしてよ」「余計な手間を増やさないでよ」「あの利用者は面倒くさい」といった、介護現場でときどき見かける介護従事者の言動からも伺える。

しかし、他のお仕事ではこのような言動はあるか?

――― コンビニの店員さんが「こっちは商品の陳列で忙しいんだから、レジに並ぶなよ」と来店客に言うだろうか?

――― 歌手がコンサートに来た観客に対して「今日は気が乗らないから、歌うのはここまでにするわ」と言うだろうか?

――― サポートセンターに電話したら「それくらい自分で調べてよ」なんて言うだろうか?

・・・もしかしたら、そのような接客をする人もいるかもしれないが、その場合は苦情に発展することだろう。

しかし、介護現場では時々、このような言動を平気に行っている人がいる。

それは介護に対して「これは仕事なんだ」という認識がないことを起点に、「自分たちが介護してやっている」という誤解を抱いているからだ。


――― 介護では知識や技術など、専門的なスキルが幅広く求められる。
しかし、それを発揮するのはあくまでも仕事の場であることを忘れてはいけない。それは介護サービスというビジネスであるという意識である。

「自分たちは介護をしてやっている」なんて思うのは三流である。
「介護させていただいている」と常に意識できて二流、それが当たり前になって一流と言える。

介護に携わっている方々は、ときどき介護の仕事における認識を振り返ってみてはいかがだろうか?


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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