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自分は役に立っているのか? と不安になったら、「いい仕事してますねぇ」と言われるような成果を目指す

■ 「自分は役に立っているのか?」という不安


仕事において「自分は役に立っているのか?」と不安になる人がいる。
いくら上司や周囲が「ちゃんと役に立っていますよ」「いつも助かっているよ」と伝えても、当人の不安は完全に拭いきれることはない。

それは仕事に対する焦点がズレているからである。これは仕事を適当にやっているとか、不真面目だとかいう話とは違う。能力不足とも違う。

仕事において自分がに立っているのか不安になるのは、仕事に対する焦点が「仕事の成果」ではなく「その仕事をしている自分」に合わせてしまっているからである。

そもそも仕事とは、社会全体あるいは個人が抱えている「困ったな~」に対しての課題解決や「こうなったらいいのに」という期待に応えることに意義がある。それに対して対価としてお金をいただく。

これら「困ったな~」「こうなったらいいのに」に応えることに焦点を合わせると、自然と成果も課題解決や期待を応えるカタチになる。その仕事の成果を受けた顧客も満足するので、仕事をした自分も「役に立つことができた」と実感を得ることができる。

しかし、最初から「周囲から役に立つ存在だと認められたい」という動機が優先してしまうと、ニーズとしての「困ったな~」「こうなったらいいのに」を正確に捉えきれなくなる。仕事の成果も”最低限レベル”や”そこそこ” となり、仕事をした当人も役に立てたのかどうか曖昧に終わってしまう。

つまり、「自分は役に立っているのか?」という不安の正体は一生懸命にやっても結果が不完全燃焼で終わるからである。
また、その根本的な原因は、仕事の目的がいわば自己実現としての「自分」に向いてしまっているからである。

向いている方向が違うのだから、いくら頑張っても成果を出せても「自分は社会(他人)のために役に立てた」という実感につながらないのは当然と言えよう。


■ 好かれようとすると過剰サービスになる


自己実現として「自分」に目を向けること自体は悪いことではない。
憧れや理想を追求したり、キャリアアップを構築するための指標やモチベーションになる人もいると思う。

しかし、自己実現として「自分」に目を向けすぎると、それはリスクになることは念頭に置いておいたほうが良い。

特に「役に立っている自分でありたい」「役に立っていると思われたい」という気持ちが優先されると、「好かれたい」「好かれよう」という行動になってしまうことがある。

それはいわば過剰サービスと呼ばれるものに発展してしまう。もちろん、過剰サービスを受けた側は嬉しいだろう。しかし、それは「困ったな~」「こうなったらいいのに」という気持ちが次第に「まぁいいか」と本質的なニーズを曖昧にしてしまいかねない。

それは決して、顧客にとって良いこととは言えない。


■ 過剰サービスは双方にデメリットをもたらす


これは介護サービスにおいても起こりやすい現象であり、一部の介護職員が利用者たる高齢者に気に入ってもらいたいばかりに、サービス対象外の対応をしたり、予定時間を超過してコミュニケーションを図ることがある。

介護サービスは利用者の状態や環境に合わせて支援計画(ケアプラン)に沿って提供されるため、過剰サービスは介護そのものの意図を崩してしまう。
場合によっては、利用者ができることもやってしまい、結果的に物事に消極的になってしまう可能性もある。また、チームプレイとしての介護サービスにおいては、他職員や関係者との足並みを崩してしまいかねない。

話が飛んだが、仕事において自己実現として「自分」に目を向けすぎると、顧客にもデメリットを与えてしまうことがあるのだ。


■ 「誰かのために」「仕事の成果」に目を向ける


このようなデメリットに気づかないまま「自分」に目を向けたまま仕事を続けていると、真面目な人であれば今度は「誰よりも頑張ろう」と”量” を追求するようになる。

しかし、お分かりのように「自分」に目を向けたまま”量” をこなそうとしても渇きは満たされない。役に立てているのかという不安は解消されないどころか増すばかりになる。

・・・こうして、心身ともに疲弊してしまう。頑張っているのに報われない気持ちばかりに包まれてしまい、役に立つどころか仕事への意欲もなくなってしまう。こうならないためには、仕事に対する考え方を改めるしかない。

まず、「役に立つ自分でありたい」から「誰かの役に立ちたい」という言葉を変えることが大切だ。

同じようなことを言っているように見えるが、前者は役に立っている「自分」という存在を見てほしいという承認欲求だが、後者は純粋に他者のために役に立つことを優先している。この違いは大きい。

次に「その仕事をしている自分」から「仕事の成果」そのものに目を向けることをする。

これも「自分」からの視点の転換である。具体的にはその仕事をしている自分という存在を褒めてもらうことではなく、自分が行っている(行った)仕事そのものを的確に評価してもらうことを第一にするのだ。


■ 目標は「いい仕事してますねぇ」と言われること


仕事の成果を的確に評価してもらうと言ってもピンと来ない方は、考え方として「いい仕事してますねぇ~」と言われることを目指してはどうだろう?

何だか動機が不純だと思われるかもしれないが、極論すれば仕事とは顧客からすれば誰がやっても良いものである。その仕事の結果が良ければ、その仕事をしたのがキャリア10年のAさんでも新入社員Bくんでも関係ない。
(アイドルやアーティストなどであれば別だが・・・)

仕事の成果を出す側もまた、本質的には顧客が満足できるならば「その仕事を誰がやったか」なんて気にする必要はない。個人であってもチームで成果を出したとしても「私たち、頑張ったな」と労って終わり、そこから次の仕事に向かうだけだ。

そこで顧客から「いい仕事してますねぇ」と言われたら、もうそれだけで「自分(たち)は役に立てた」と思えばいいのだ。


――― 何だか偏屈かつ説教くさい話となって申し訳ない。特に仕事において「誰がやったかなんて気にするな」ということに対して「自分がやったと言いたい!」と思う方だっていると思う。それはそれで構わない。

ただし、過度に「自分が」「自分が」と主張してしまうと、それこそ質の良い成果を出してもケチがついてしまいかねない。まずは「これが私たちからの成果です・・・いかがでしょう」で区切ることも大切だ。

また、人によっては顧客に褒められても喜ばないこともある。それは質の良い仕事をしても「素人には分かるまい」と思うため、同業者から褒められたほうが満足するらしい。
しかし、これもまた「その仕事した自分」ではなく「仕事の成果」に重点を置いているプロフェッショナルとしての1つのあり方だろう。

何にせよ「自分って役に立っているのだろうか?」と思うならば、仕事の意義を改めて振り返り、「自分」に目を向けすぎていないかを確認する機会にしていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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