岸本 たくみ

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岸本 たくみ

1997|日記・コラム・フォトエッセイ・まとめ記事|トキドキ執筆・撮影| https://lit.link/en/tkm1212ampm

マガジン

  • デジタルエージェンシーTAMKOメンバーの頭のナカ

    • 8本

    一緒にお仕事をさせていただく方、働く仲間へ向けて、最近考えていること・仕事のアイデア・働き方など、多様な考え方を「インクリュージョン」するための発見のマガジンです。”TAMKOにはこんなメンバーがいます!”お仕事を一緒にしたい方、一緒にメンバーとして働きたい方、お気軽にご連絡ください!:https://tamko.co/contact/

  • 僕の頭のなか

    物事に対する考え / 人間性 / 関心ごと etc

  • 福島探訪

    福島の全復興拠点を徒歩で探索して回る中、発見したことや考えておくべきことのnoteをまとめました📚 写真アーカイブ >>> https://kishimoto-takumi.squarespace.com/works/fukushima-by1212

  • 写真について

    写真を撮ることや、撮ったものについてのnote集

  • ソーシャル・エクスプレス

    Z世代を中心とした社会変化やデジタルサービスなどが、彼らのインサイトにどのような変化を引き起こしているのか... それをZ世代本人が考えてみるマガジンです。

最近の記事

溶けゆく肌に

「境界」は、そう簡単に弛みをみせることがない。 たとえば昨日と今日。眠りが分断しているようで、そこにある明らかな時間的継続を否定することはできない。 旧友。場所を隔てようにも、切っても切れない堅固な糸が破綻を無意識に阻む。 そのほかに、血の繋がりはどうだろう。家族や親族同士の肉体的・骨格的な傾向は、歩き方、食事、性格など、生きる中にあらわれるあらゆる要所にその継承があることを、側からも見て取れる。 ◾️ しかし、自らをセルフポートレート写真に収めることを続ける中、気がつ

    • 頭の中を卓上に

      綴ろうとおもえない中を、強いて言葉を絞り出そうとするのはどうしてだろう。 夜遅くにみた映画のせいだか、そうでなければ、捗らない作品づくりのせいだろうか。 静かに唸るMacと、時おり山手通りを走らせる車のエンジンをよそにして、タイピングでテーブルのグラスの氷が揺れる。ヘンに古い映画のせいか、シューマンを徐ろに聴いてみたりする。 ー 高校の学園祭のように、義務感も使命感すらもない心地で、ひとと一緒になってものをつくり続けてみたい。 秋の開催めがけて、夏休み中でも部活の後でも

      • 心象日記

        もうあと半年、という所までたどり着いた。 その間にこちらは、27歳を迎える年になってしまった。 大学を中退し飲食業を興して職や住まいを転々としていて、ずっと見て見ぬふりをしていた負債。それでも知らないふりを続けていると、家に届く封書の色がどんどん毒々しくなっていって、仕舞いには実家にまで封書が届いて両親を飛び上がらせるまでになっていた。 もうこのままだと手に追えなくなってしまって、20代・30代の貴重な時間をお金に追われ棒に振ってしまう。そんな恐ろしさが俄かに沸き起こった。

        • 2024年5月22日 銀座にて

          意思疎通について言うが、誰しも最初は、極めて率直で感情も丸裸なコミュニケーションを取っていたのだった。 嫌なものがあれば泣き叫んで拒絶し、不都合があれば人目をはばらず大声を上げ、反対に愉快な気分になると諄いくらいに肢体をともなって声を上げながらはしゃぎ回る。 それがいつからか、可笑しいことがあっても押し黙り、相手の機嫌を伺って自身の考えを述べるのを脇に据え置き、自らを、首肯せざるを得ない状況へと引き摺り込むようになった。社会が、文化が、権威が、それを取り巻く人と人の関係を

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        記事

          言葉の不感症

          とあるシットコムを見ていた時 "It's relatable!" というフレーズに出くわした。 コンパクトにまとまる訳がパッと浮かばず、《relatable》をググってみたところ、「関わりを持ち得る / その経験などに類似性を見出し、理解や共感を催し得る」という定義が記されていた。しっくりこない。 日本語字幕を見てみると、『それ分かる〜!』とだけ訳されていた。 ◾️ じつに4年ぶりに一人暮らしを始めてから、はや1ヶ月が経った。 家にいる面々でがちゃがちゃしながら囲ってい

          心の筋肉とひとの暮らし

          朝、日の差さない湿り気の多いベッドで目を覚す。 平日の11時だというのに、二段ベットの階下に横たわる同居人の一人は未だまどろみの中にいるようだ。 誰もいないリビングに降り立つ。 それについて取り立てて驚くこともなく、そういえば昨日はシャワーを浴びずにベッドに入ったことを思い出し、おもむろに浴室へ立ち入る。相も変わらずかびに塗れた壁の先から、西武線のけたたましい轟音と踏切のサイレンが響く。 誰かがいれば、きっと何かが起こる。 夜に目を閉じた場所と、翌朝に目を覚す場所が同じ

          心の筋肉とひとの暮らし

          ピュンとの会話

          写真はいつか死ぬのかな。 ハッセルで撮った曲線滑らかな写真やフジの鮮やかな発色の写真も、全部ぜんぶがAIに取って変わってしまうのかな。 『これが私のオリジナルだ!』と思って撮る写真も、同じように? なら何のために撮ろうか? 何を撮るために生きようか? ただ一つそれを考え続けることだけが、あなたの写真を写真たらしめるのだろう。

          ピュンとの会話

          満ちた気泡

          深く息を吸うと鼻の奥がキッと締まって、何かまずいものでも吸い込んだような心地になる。 瞬間、それが何一つ害悪のないものだと悟る。体中に、暖かで力強くほど走る気泡が充ち満ちるために。 それを「春」と呼べるのが、どれほど心地の良いことか。 人が新たな場所へ舞い降りる。 愛し憎みそれでも向かい続けたなにかを離れ去り、未到の世界へ踏み入れる私的な世紀の瞬間。 惜別の念、希望の空気、寂寞の中の躍動。 そのうちのどれを選び取ろうとも、変わらず「春」は在り続ける。 その選択の行方

          心の筋肉

          ヒトが食べたものは、咀嚼し粉砕され分解されて、必要な栄養分が吸収されて生きるための糧となっている。 人が抱く感情も、同じような過程を経て私たちの生きるエネルギーになっているのだろうか。 感情。 『心の筋肉』といわれ、ないものは『馬鹿だ』といわれる始末だ。 身体において精神が未熟だと馬鹿だといわれるけれど、肉体がなくても馬鹿だと言われないのはどうしてなんだろうか。 舌打ち一つ。棘ついた言葉一つ。 それだけ取り出してみても、今でも忘れないくらいの苦々しさや腹立たしさの味わ

          「誰も見なくとも、誰も関心を向けなくとも、ひたすらに何かをつくり続ける」 正直そんなこと、虚しくて無益で非生産的で自己満足的で、一体何のためにやるのか分からなかった。でも、今それはそれを生活の主軸に向けようとしているし、それを以てして生きていることを感じようとしている。

          「誰も見なくとも、誰も関心を向けなくとも、ひたすらに何かをつくり続ける」 正直そんなこと、虚しくて無益で非生産的で自己満足的で、一体何のためにやるのか分からなかった。でも、今それはそれを生活の主軸に向けようとしているし、それを以てして生きていることを感じようとしている。

          前髪を下ろした時

          前髪を下ろした時、その日一日がどうも風変わりなものになる。 まず、どうしてか突然、割り箸を皮切りに環境トークに花が咲き、林業に興味をむけるきっかけがひょんと生まれた。 『嘘を吐くから今こんなのなんじゃないのか』と、決してネガティブなニュアンスでなく内省させられるような記事を目にする。 社用車をガードレールに擦ったのを事細かに確認しようとする先輩を横目に、素直に立派だと思っていることに気がつく。 気になっている子に話しかけられたのを、素直に嬉しいと思っている。 小中学校で、今

          前髪を下ろした時

          おかねのはなし

          大学の時分は、最低賃金スレスレの格好ばかりのバーのバイトバーテンダーだったわけで。どの年の私にも、たいした収入はなかった。 他にももう2店舗同じようなバーで掛け持ちバイトをしていたけれども『同業種で同じエリアだからねえ』と各店のオーナーに告げられ、結局最初の最低賃金バーだけで大学時代の私の生活は支えられていた。 繁忙期の年末。アルコールで喉がへしゃげるほど飲んで働いて、月に10万円くらいが限度だったと思う。奨学金があったからあの時はそれでOKだったけど、今になって痛い目を見

          おかねのはなし

          予定の長さ、少年少女と大人のそれは

          『来週末で』『明日に』『今日の夜から』 気のせいだろうか。どんどんと年齢を重ねるにつれ、決められる予定のスパンが短くなってきている。 友人と会うのは …1週間先の週末? 同僚との飲み会は … 数時間後の退勤時刻? 年イチの旅行なら … 2ヶ月先のゴールデンウィーク? ずっと今より小さかった頃、夏休みはあっという間だった。 いつもそれが終わる頃には、もう次の夏休みのことを考えていた。 憧れていた大人になるのも、実はあっという間のことだった。今思えば『何年かかるんだ』なんてこ

          予定の長さ、少年少女と大人のそれは

          「どっかそのへん」の眼前

          「眼前」という言葉に、どきっとする。 道を歩いているとき。机上で考え事をしているとき。ぼうっとタバコを吸っているとき。 その時、一体全体わたしはどこを見つめているんだろうか。 目はその時、じつはカメラのように働いている。 どの場所ともいえない場所に、習慣と身体の構造から自然に身についた場所にフォーカスポイントを据えている。 それは『どっかこのへん』としか言いようのない場所で、でもそれは決まってメートル単位なんかで言い表せられるような明確な距離で。 辞書に記された「眼前

          「どっかそのへん」の眼前

          写真を「撮ることが好き」と「写真が好き」は全然違うようだった。 撮ってる時やその自分が好きな人のは、誰の目にも明らかな熱に充ち満ちてる。 でも写真好きのは、ホッカイロだ。 ずっと見なきゃその熱が分からない。それは、どこまでも上昇する沸点を持たない物質を孕んでるみたいだった。

          写真を「撮ることが好き」と「写真が好き」は全然違うようだった。 撮ってる時やその自分が好きな人のは、誰の目にも明らかな熱に充ち満ちてる。 でも写真好きのは、ホッカイロだ。 ずっと見なきゃその熱が分からない。それは、どこまでも上昇する沸点を持たない物質を孕んでるみたいだった。

          新しいランニングシューズに足を通す。 立ち仕事にくたびれた足はその真新しいカタチに、捏ねてこねて型となる粘土のようにして段々と馴染んでいく。 すると規則正しくつくられた靴に揉まれ詰られ、走り方に左右とで差異があったことに気がつく。双子のようにしてリズム正しく動くこの足ですらも。

          新しいランニングシューズに足を通す。 立ち仕事にくたびれた足はその真新しいカタチに、捏ねてこねて型となる粘土のようにして段々と馴染んでいく。 すると規則正しくつくられた靴に揉まれ詰られ、走り方に左右とで差異があったことに気がつく。双子のようにしてリズム正しく動くこの足ですらも。