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心象日記

もうあと半年、という所までたどり着いた。
その間にこちらは、27歳を迎える年になってしまった。

大学を中退し飲食業を興して職や住まいを転々としていて、ずっと見て見ぬふりをしていた負債。それでも知らないふりを続けていると、家に届く封書の色がどんどん毒々しくなっていって、仕舞いには実家にまで封書が届いて両親を飛び上がらせるまでになっていた。
もうこのままだと手に追えなくなってしまって、20代・30代の貴重な時間をお金に追われ棒に振ってしまう。そんな恐ろしさが俄かに沸き起こった。

中野駅前にて

アルバイトから契約社員に昇進するチャンスを迷わず選び取り、断腸の念を抱きながら大好きな仲間たちとのシェアハウスを後にし、賃料のかからない社員仮眠寮に住み込んで、仕事場で手配される弁当を3つも4つも持ち帰っては冷凍保存して食費を浮かした。そうして毎月5万円を手持ちにし、残りの給与全てを返済に充てた。

20代中ほどの弱輩にはいささか重みのある額面だったけれど、腹を括ってからはものの2年で終わりを迎えようとしている。今月の25日にやってくる支払い日が最後で、それが終わればようやく口座の表示額が黒字に変わってくれる。

なあんだ、こうも簡単に終えられるのなら、最初からそうすれば良かった。
なんて呑気な考えすら浮かんでくる始末だった。

シェアハウスのリビングからの光景

でも、お金の不安は結局いつになったって身にまとわりついてくるんだろうと思う。

今月の支払いで負債を片付けた後も、翌年春のフランス渡航に向けて月5万円生活は続いていく。つまり、向こう半年はこの暮らしなのだ。
そしておそらくだけれど、フランスでの暮らしを始めてからも、その先も、お金のことは頭のどこかにあり続ける。ビザの更新や語学学校の費用、保険料や税金、住まいや衣服や食事の費用など、お金が出ていく先はいくらでも思いつく。
…まずもってお金をどうやって手に入れようか、という不安もあるのだけれど。

新宿

200万円の撮影機材を気軽に売ったり買ったりする人や、5000万円のマンションを購入したファイヤーした友人や、2億円のローンを組んでいる人とか、身の回りには自分と比べようがないほどのスケールでお金を扱う人たちがいる。

でも多分、その人たちと私がお金に対して思うことはきっと同じで『増やすためには努力が必要だし、使う先を選ぶ時はきっちり考えなきゃいけない』ということ。
そんなに囚われ過ぎてもいけないし、無頓着なのもいけない。こうやって身をもってお金に苦しめられた分だけ、よくよくその取り扱いには注意しないといけないんだと思う。

⬜️

切り詰めて生活する分、簡単なことで心身は傷つく。
そういうわけで、手持ちの5万円の行き先はいつも同じなんだと思う。

成田空港の国際ターミナル

ほとんどは、ヘルシーな食材かカメラ関係のどちらか。健康でいたし、写真は一生涯続けていたいから。
こうやって意識づいていることは、この先もずっと自身の人生に関わり続けるのだろうし、そうしたいという意志があるからに違いないんだろう。英語もきっとその一つで、きっと今の会社を辞めて国外に飛び立ってからは、そういう外の世界での仕事をやってるんじゃないだろうか。

お金の行き先を抽象化すると、一体自分が何を求めているのかが見えてくる。さらにそれを長い目で見た時、一生のうちに自分が得たいものが形として立ち現れる。もしかするとその一部は、すでに部屋だとかバックの中とか身の回りにあるものかもしれない。

もしそれがお金と直接関係するものでないなら、疑うまでもなくそれは価値のあるものなんだと思う。

⬜️

「考えもなしに生きる人はいない」と綴ろうとした。

それは少なくとも、自分が考えもなく生きることを経験してこなかっただけで、不幸にもそう強いられたことやそうならざるを得ない人を無視している。
あまりに多忙な時、心を病んでいる時には、自分だって考えもなく呆然と生きているに違いないのに。

年末、台南にて

人と人との交流・摩擦があって初めて、全てが偶然の上に進んでいき何かを成すのだろうと思う。
その一人一人の意志なんてものは本当にちっぽけなもので、些細なことでアップダウンを繰り返している。永久に燃え盛る消えない炎は存在し得ない。

ただ、意思を、夢を。
そういう荒れ狂った破茶滅茶なコンパスをもって、上昇と下降とを繰り返しながら、生きていきたいというだけだった。

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