見出し画像

雨の恵みと、文庫(ふみぐら)の宿

天気予報は雨だった。

私は天候に恵まれているほうで、それは例えば「雨だけど荷物を運ぶ間だけ雨が上がった」とか「降水確率80%なのにいいタイミングで晴れ間が出た」とか「雨予報が数日ずれた」とか、どちらかというと上がる方が多いからつい晴れ女を自称したりすることもあるのだけど、雲が見たいなと思ったときに良い雲が流れたり、雨を期待した日に雨が降ったりという幸運にも出会いやすい。

この日はなんとなく雨が良いなと考えていたら、なかなかいい感じに足場のぬかるむ一日になった。

雲に隠れる山

人工的な音から隔離された信州の山で、私が訪れたのはふみぐら社さん。
同じ信州暮らし同士としてご縁を感じていたこの場所にいつか来てみたいと思っていた。

上記のnoteを公開する際に奥様であるあやこさんと連絡を取り合い、このたび願いが叶った。

すっかり冷え込む季節なので薪ストーブの火で温まりながら、私はまず、ふみぐら社さんと正座で向かい合った。初めてちゃんと見る正面の顔だった。「ZOOMとかで会ったこともないんですか?」と驚かれたけど、そうなんです、本当にその程度といえばその程度の間柄で、ただnoteと信州暮らしと車の話くらいしか共通点がなかった。個人的にはそれ以外にも様々な思うことがあったので、それは後ほど語った。
怪しいものではないです、とちゃんと身分証明書(笑)持参で伺った。

薪置き場や玉切りされた木材に、どうしても目が行く。

猫野サラさんはじめ有志の方々で作成された寄せ文庫『ふみぐら小品』は選者もまた書き手であることが多く本当に珠玉の作品集になっていて、開くとつい時間を忘れて読み込んでしまう。

聞かせてもらいたい話がある、と言う私に、分かることならどうぞとのことだったので、この機会にと前々から疑問だった話をいろいろ質問させてもらった。

「ふみぐら社さんがなぜヤギなのか」は、ご本人のお顔立ちや雰囲気が確かにあったし、信州ではヤギを飼う家がぽつぽつ実在しているのでそういう縁もあったようだし、実際にヤギが決定的になった出来事は『ふみぐら小品』にも収録されていた。

その場に立ち会っていなくても空気が伝わる。

下記のnoteは、タイトルと結末から「根があれば再生できる」っていうのが話の主題なのだけど、私はナスの茎から妻が針金で虫を取り出してみるというくだりがあまりに興味深過ぎて、聞いてみたら当時の様子を手振り交えて教えてくれた。

(私にとっては)虫を取り出した話

移住にあたりお二人で自然菜園の勉強と実習もされていて、独学や見よう見まねではなくちゃんとした知識を持って土を耕していることがよくわかるエピソードをいくつも聞かせてもらった。

そして今回、お渡ししたかった薄明さんの写真詩集を一冊、持参した。
雨や水分が多く含まれている作品集。

薄明さんとはけっこう長い友人で、私が小説を書くことについて伝えている数少ない一人。Twitterに元来の共通の知人はいなくて、写真と小説ではジャンルも違うのでSNSでの交流もほぼなく、現時点の共通フォロワーは本人の別アカや公式含めても一桁。note繋がりになるとさらにわずかで片手でも余る。
その中の一人にふみぐら社さんがいた。
どういうきっかけで繋がったのかな?っていう疑問とともに私はなんだかちょっと不思議な共通項のような気がしていて、『ふみぐら小品』は2冊入手して1冊を薄明さんに送った。(余談ながら他には教養のエチュードの嶋津さん、ふみぐら小品のまとめ役である猫野サラさんがいて、妙にご縁が濃い。)

この中の一冊。

お互い「どういう繋がりなんでしょうね」と言いつつ、ふみぐら社さんご夫妻も写真を撮る方なので「やっぱり写真かなぁ」なんてつぶやきながら写真集をめくりつつ、ふと、そういえばという感じで思い立ったように席を外して、持ってきたのがこの一冊だった。

『熊にバター』

写真はあやこさん、文章はふみぐら社さん。
何年も前にわずか3冊程度しか作らなかったというこの本を手にすることが奇跡のように感じて、震えるような感覚で読み入ってしまった。目を通したあと、もう一度とまた読み返す。不思議で貴重な作品を私が手に取ってしまった。

「同時に投稿したら匂わせだね」って笑った写真。

あやこさんのTwitter投稿

bar bossaの林伸次さんが、ふみぐら社さんに小説を出してほしいとたびたび言っていたことが記憶に残っていて、それが思い出された。

林伸次さんへのアンサーnote的なふみぐら社さんのnote。

最初こそ緊張気味に言葉を選んだり共通言語を探るように会話をしていた私たちは、長く話をしているうちに、いい意味で雑になってきた。私は途中で方言やため口が出ていたと思うし、あやこさんも思ったことをフィルターを通さずにぽんと口に出したりしてたし。
お互い憂いを抱えた話をしながら、笑っていい話じゃないかもしれないけどとりあえず笑っとけって感じで声を出して笑う場面もあったり。

そんな流れの中でだったと思う。
私が自分の書くものについて"エッセイ"と言えないって話をした。例えばさくらももこさんや村上春樹さんが書かれるエッセイは明確にエッセイだと思うし、エッセイとして書かれたたくさんの文章もそう思って読むし、私の書いたものを誰かが「ケイさんのエッセイ」と表現してももちろん問題ない。ただ、自分で自分の書く文章をエッセイと言えない。定義がどうも消化できてないのか。
小説は、はっきりと小説と思って書いている。他の誰かが「こんなもの小説ではない」と言ったとしても私は小説だと言って出せる。ところがこれが”掌編小説”になるとまた使えない。形式が当てはまっていたとしてもそう名乗れない。
それを聞いていたあやこさんが、ぽろっと「ケイさんはウイスキータイプですね」と言った。
「なにっそれ!」(ガタッ)と身を乗り出して(笑)聞き直した。
帰ってからもしつこくもう一度確認し直した。
なんだか、すごい言葉を得てしまったかもしれない。
ふみぐら社さんは、そんな私たち二人のやり取りをにこにこしながらずっと眺めていた。

軒先の雨どいに並ぶ水滴

雨が降っていたので、私が寄せ文庫に選んだサラダの畑を見ることはできなかった。

その代わり、種を蒔いたのがあやこさんだったという話が聞けて面白かった。話自体が変わるわけではなく、同じ話が多角的で立体的になった。
相談しながら畑仕事をする姿、薪を割る姿、軽トラを操る姿、二人の掛け合い。

コーヒーを飲んでいるうちに日が暮れたので、これを飲み終わったらお暇する頃合いかなと考えていたのに、その後さらにもう一杯お茶をいただいて話し続けた。

聞きたい話をメモっていった。

私はごく軽い登山をする。
数年前、山に登る友人たちと信州の日帰り登山にあちこち出かけていた時期があって、その頃に初歩的な原因で2回も登頂を断念した山が心残りだった。それは偶然ふみぐら社さんの近くだった。
地元の人にとっては散歩感覚で登るような身近な山なので、いつか一緒に登りましょうと話した。
山頂で信州の山々を見渡しながら、コーヒーを淹れて飲みましょう。

スキやシェア、コメントはとても励みになります。ありがとうございます。いただいたサポートは取材や書籍等に使用します。これからも様々な体験を通して知見を広めます。