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至高の贅沢品に

三日間にわたり、「#毎日Uber Eats有りですか」についてnoteで書いてきて、3月から今日までの約半年にわたる自分の「食」について振り返ってみた。※過去三日と本日のnoteは関連性無し。

1日目 「出前館ではダメですか?」
2日目 「Uber Eats 収益構造から考えるデリバリー」
3日目 「クラウドキッチンの先へ fDaaS(food Delivery as a Service)とは」

Uber Eatsや出前館はじめとするフードデリバリーも当たり前の光景になりつつあるし、クラウドキッチンなんていうこじゃれた感のあるモデルも広がりつつある。余談ではありますが、私の住む町にもクラウドキッチン?シェアキッチン?何と呼ぶのが正解かわかりませんが、飲食店兼弁当屋兼シェアキッチン兼キッチンスタジオという謎のお店が先日OPENしていた。ちんまりとしたこじゃれたお弁当をいつもお昼に販売しているが、大食漢の自分には縁の遠そうなお店だ。

このたった半年の間に自分の身の回りにある「食」も変化を遂げている真っ最中にあるのだと感じる。世間に合わせているわけではないが、やはり自分の中でも「食」に対しての意識の変化があった。

仲間との会食はもはや至高の贅沢品となった

何度かnoteでも話題に出していたかもしれないが、私の週末の過ごし方としてキャンプやバスケットボールがこれまでの主たるイベントであった。しかし緊急事態宣言によって、全ての予定をキャンセルとし自宅待機の日々が続いていた。ようやく少しづつ社会活動を再開し始めても、なかなか仲間との会食は自分の中で解禁させることができなかった。これまで肩組みあって物理的な距離も心理的な距離も密な関係にあった仲間たちだが、どうしても万が一自分があるいは相手が、という思いが頭をよぎる。

ちょうど夏休み期間のタイミングで、仲間の一人の海外赴任が決まり送別会を執り行うこととなった。我々はこれまでジッと我慢をしてきたが、送別会という特別なことであるという意味付けを行い、開催にこぎつけることができた。

ガラガラのビアガーデンであれば、密を1つ回避できるということで19時に集合をしたが、皆おそるおそるマスクを外して乾杯となった。マスクを外して家族以外と話したり、夜の外食なんて何カ月ぶりのことだったろうか。

これまでは夜の飲み会なんて日常のささいな一コマに過ぎなかったのに、仲間とわいわいできることがなんと贅沢な日常なのかと、この日改めて思い知らされた。さらに目には見えないウィルスなので、この仲間うちでもひょっとすると自分か他の誰かが感染しているかもしれない、と思うとある意味決死の覚悟の上臨んだ会食であった。

その後も以前ほどではないが、月に1度か2度程度はバスケ仲間やキャンプ仲間との会食を楽しんでいるが、毎度毎度決死の覚悟で臨んでいる。決死と言うと大げさかもしれないが、100%大丈夫なんてことはないし、命を落とさずとも近所の目や社会的な批判の的になりかねない世の中だ。

楽観的かもしれないが、こんな状況が未来永劫続くこと無く、きっと1年か2年後か分からないが、そんな決死の覚悟で会食に臨むことなんていつかなくなるのだろうと思う。

けれども、この仲間との至高の贅沢品に決死の覚悟で臨んだことで、毎度の「食」にも意味があり、意味を持たせることでその価値を生み、どんな「食」であろうとも至高の贅沢品へと昇華させられるのではないかと感じている。

そんな決死の中、Uber Eatsという安全地帯の「食」

前段がかなり長くなってしまいましたが、このように仲間とのフィジカルな会食が至高の贅沢品となっている中、Uber Eatsや出前館と言った安全地帯とも言える「食」はどうなのだろうか。

目的無く空腹を満たすためのツールとしては良いと思うが、毎度毎度の「食」に意味を持たせようとした時には、なかなかハードルの高いこととなってくるのではないだろうか。5W1H「いつ・どこで・誰と・何を・なぜ・どのように」の一つ一つに意味を持たせようとすると、至高の贅沢品であれば簡単に埋めることができる。しかし、単なる空腹満たしの行為となった瞬間、安全地帯であるということと腹が減ったから、この2つ以外に何の意味もなさない。

とはいうものの、これはUber Eatsや出前館に限った話ではなく「食」全てに言える話。つまり、Uber Eatsでも出前館でも、コンビニ飯でも、手作りご飯でも、ファミレスでも、居酒屋でもどこであっても、「いつ・どこで・誰と・何を・なぜ・どのように」一つ一つを考え、意味を持たせることで、それは至高の贅沢品になり得ると思う。なので、毎日Uber Eatsだろうが手作りご飯だろうがファミレスだろうが、関係は無い。

結びに

つまり毎度の「食」を単なる作業で終わらせてはならない、ということ。また、どんな粗「食」であったとしても、意味を持つことで至高の贅沢品にもなるかもしれない、ということ。この気づきはウィルスがもたらした副産物の一つなんだと思う。


#日経COMEMO #毎日UberEats有りですか

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