評価と納得
私は、今は現役を退いていますが、現役時代は人事部門で働いたことがあり、研修講師として人事考課研修や目標管理研修を担当し、最近ではマネジメント系のテキスを書いていました。
そういう職歴なので、いつも、次の2点が心に引っかかっていました。
※人が人を評価するとはどういうことだろう?
※自己評価があり他人からされる評価がある。では、自分自身の納得はどの辺にあるのだろう?
リタイアしても考え続けていたのですが、最近おもうのは、
※評価は他人次第
※納得は自分次第
ということです。
ここでいう評価は、お金と地位に結びつく社会的な評価という意味です。社会的な評価は、私の言動が社会にどういう影響を与えているかで決まるものだと思うのです。影響を受けるのは他人様だから、結局、私の評価は他人次第ということです。
それは、他人の評価がつねに正しいという意味ではありません。人間が人間を評価することには間違いがつきもの。芸術の世界では、生前まったく評価されなかった芸術家が死後に評価され天才と認められた例が少なくありません。
間違った評価かもしれないけれども、評価される側が「それは違う」と異議を申し立てても、なかなか納得してもらえないのが、この世界。また自分で自分のことを正しく評価するのも難しいので、独りよがりに陥る危険もある。ですから、結局は、他人の判断が優先されざるを得ないのが評価の世界だと思います。
一方、納得は、自分が自分の生きざまをどのように受け止めるかということです。私の生きざまのうち、
※他人が評価することができる事柄
※他人が評価することができない事柄
の両方をひっくるめて、自分が自分にOKを出せることが納得です。
生きざまの中で、他人が評価できない事柄は、意外に多いものです。いえ、そういう事柄の方が圧倒的かもしれません。私たちは長い学校生活と職業生活を通じて他人から評価されることに慣れ過ぎて、人生における他者評価の重みを過大に見積もっている可能性が大きいと私は思っています。
したがって、個人の生き方としては、
※自分の納得を優先して生きればよい
と、最近の私は思っています。こんなことは、自分が人事部門の人間だったり研修講師だったりしたときは、口が裂けても地球が逆回転しても言えなかったことです。しかし、今となっては、これが私のいつわらざる実感です。
以上、とりとめのない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
画像提供:K_Kameno
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