空間と時間の使用方法

近代より前の円環時間という自然ベースの時間概念があります。

時間・空間ってのは
デカルトの「座標軸」とかの登場なども含めて<均質化>されましたよね。
主体的な時間概念・季節感・場所・・・
そんなもんは関係なく、
機械時計の誕生によって人工的で平等な時間意識の誕生です。

「素敵な人といる時は時間が短く感じるわ~💋」
と言いたいところが、
「いや、10分は10分ですけど??(';')」
とまあ、
ロマンチックでもなんでもない機械時計の登場ってね。

例えば
我々の時間ってのは、賃金に変換されたりなんかしてますよね。
今日もサラリーマンはタイムカードというツールで時間を売ってるわけで。
時間がモノサシになっているという世界線すら誕生させたわけです。

拝金主義の言葉である<時は金なり>なんて言葉も生まれてしまいましたね。
え?なんて? 金??
時間は金って言うた????
そもそも時間=命である事も忘れている者も多いでしょう。
メディアの大罪ですね。

僕らって1秒1秒、<死>へと近づいているって知ってますか??('_')


やっぱ、そんな事を考えてると
日本人には円環時間が合っているんじゃないかなって思うんですね。

日本人思想は基本的に
世界というものには始まりもなければ終りもない
永遠の昔から何となくそこに存在し、これからも永遠に存在し続けるだろう
と考えています
だから、ユダヤ・キリスト教文化のように
時間を直線的に捉えるよりは、円環的に捉える傾向が強いといわれます。

無論日本人にも直線的な時間のイメージはあります。
が、それは自分を含めた人間とその周囲にかかわる限定された環境について成り立つことであって、世界全体についてのイメージとかではないんですよね。

世界は永遠に流転するというのが、
我々日本人の基本的な思考。

仏教が我々日本人の心性に訴えかけやすい理由として
〇仏教の輪廻転生思想
〇輪廻からの離脱としての涅槃(ねはん)の境地
など、我々の持つ円環的な世界イメージに合致するからじゃない?
という仮説があります。

ま、とにかく僕らのような研究者では
円環時間の空間を生きているなぁと再認識するものなのです。

何時から会議
何時から何時までAで
何時から何時までがB
何時から始業で
何時に終業

なんすかそれ?
さっきから何言うてんすか?
って部門が我々。

思考が開始され集中に入れば、
それが終わるまでやり続ける。
それだけ。

5分でパタッと消える時もあれば
3時間くらいのもあれば
12時間続くこともある
思考がどこまで入るのかは、いつも未知です。

でも、
そんな時間と空間の使用方法が
僕にとっての至福です。

時間によって分断されているのではなく
自分の主体的な世界が動くだけ。

まさに円環時間を生きている。

例えば僕には
思考モードに入っているのに
予定のある時間が来たから。といった理由で、
思考モードを強制シャットダウンするなんて
恐らくストレスで嗚咽し発狂するでしょうね(笑)

やからこそ、近代化が創造した
この均質化時間概念が苦手なのですね。


今日の記事では、円環時間が良いって話ではありません。

そうではなく、
まずは皆さんは
どのような時間と空間の使用方法が自分に合っていると考えてますか?
って話。

それが分かると、結構僕は楽です。
それが分かってるからこそ
自分がどの時間と空間ならばストレスか知ってるし
研究者という仕事で心底よかったと思えてます(^^)

自覚って、ほんとに大事
自分のことって、ほんとに大事

ま、研究者じゃなけりゃ
同じような円環時間である
第一産業とかやってたでしょうね

農業か、漁業か、林業か

とにかく、時間で分断されないような
そんな空間で生きていた事は間違いありません。

逆に言えば、
時間で分断されるのが大好きなプレイヤーは
サラリーマンというのは
最大に幸福なプラットフォームでしょうね

ではいつもどおりの台詞。
他人の時間を生きるのはやめて
自分の時間を生きてください\(ϋ)/♩





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