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質問は

精神科勤務や専門学校外部講師や外来で相談など
色々とやってるもんです

専門学校の外部講師をしてて
やはり思うのは
積極的に声をあげられる学生が少ないという事

「何か質問は?」
と聞いて静まり返るという現場は
みなさんも経験した事があるのではないでしょうか

やっぱり手が挙がらない

もしかしたら
<間違えるのが、恥ずかしい>
という初等教育の洗脳が関係しているかもしれません

本来は
<人と違う事を行動する事>
<人と違う事を考える事>
は個性です

が、
日本の軍国主義の初等教育では
<均一・画一・平均>が最重要とされてきたので
全員の個性よりも全体に合わせたってのが
初等教育です

国民は小学校で
個性よりも全体に合わせる事を学びに
毎日学校に通います

なので、
・こんな質問したらおかしい
・空気読めない
・笑われる・間違っている
なんてのが
まず最初に脳内で考えてしまう可能性が高い

悲しい'ω
それじゃ
人生は他人のモノじゃないか
いつまでも楽しくならんわけよ…

他人の講義なんかを聞いて
何の質問も浮かばない訳がないんですよね

全く違う知識・経験値・知能をもつ個体が
独自の視点やらを語るんやから
必ずどこかに
<自分と思考の差異>が生じるはずです
そこへの疑問を言葉にするだけで質問になるはずなので

これはやはり
それだけ<個性>が育っていないと言えそうです
自分の意見より
その他大勢の目と耳が気になってる

それだけ強烈な初等教育

近代の集団教育を思い出してください

設問と正解を前提にした学習方法が基本
唯一の正しい答えを導きだすのが
全員にとってGOAL

その価値観を刷り込んで
プロパガンダしたのが初等教育

そしてその創られた「正解」という情報を
もっているのが先生ただ1人
当時は情報ってのは
限られた人間だけが取得してましたから

今思うとほんまに恐怖の教育と言えます

令和では
情報は老若男女
全ての人間が平等に取得可能になった
素晴らしい時代です

もう先生よりも
GoogleやチャットGPTの方が詳しいし
YouTubeで多様な道のプロフェッショナルから情報を取得できますから

なのでね
この時代に必要なのは
<個性>

質問は?
で、空気読んだり、委縮したりして
自分の思考・意見を殺すのは危険

なんてもったいない!

自分という人間の思考が
自分にとって1番大事なのに!!

落合陽一さんが
教育の際によくやってる事に

「正解はない」という言葉を常に伝える
というのがあります

「まあこれは僕の主観意見なので、正解はないけどね」
「正解はないので、好きに聞いてください」
「誰の言う事も正解ではないので、自由に質問しよう」
と言ってるらしく

「質問は?」
というのを変えて
「正解ってのは存在しないので、自分の素直に思った事を聞いてください」
と言ってるみたいです

質問した側が明確に
「正解はない」と断言する事で
今までの近代教育の
「1人(先生)が正解をもっている」
という世界(空気)を潰している

とね

 先生だけがもつ正解を、
空気を読みながら探す時代

こんな思考操作の授業じゃなくて

今はアクティブラーニングの時代

個性の出し合いこそ 人間らしい

アクティブラーニングでは
上のイラストのように
何も質問が出てこないなんて場面はありませんから

個性がある者が集まれば
全く思考過程が違うので
質問があるのが自然です

質問がないって異常なんですよ

でもそれにも気づかないのが
近代初等教育です


もうね
先生の顔とか
保護者の顔とか気にして
自分の思考を殺すのは
しなくてええんよ

先生と保護者によって創造される大衆育成所


僕の授業終わりの質問では
次から次へと質問があります

それも1人1人が全く違う視点と思考でね

最高ですわ(*'▽')

これこそ個性!!
やっと人間らしくなった時代やなと感じます

もう正解なんてのは
Wikipediaに任せばええねん

Google先生は常にあなたの横にいてくださるから
記憶しておく必要なんてなし
ただの知識はもういらん

ただただ
自分の<思索>だけを
追求していけばいい

そもそも
みんなと同じ意見なんてのは
ありえへんねんから

自分は自分の考え方!

全員
絶対に違うはずやから
考え方ってのはね

現在、
25歳以上の人は
特に強烈な洗脳を受けた人が多いでしょうが

今から
初等教育に受けた「常識」を
潰せるか?がkeyとなります

あなたの今もっている常識は
誰かによって洗脳されたもんですよ

10代で受ける
大人達の洗脳ってのは
その子の一生を左右する







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