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❼【クリヤヨガ】クリヤマスター龜 井 さちを『守 破 離 』クリヤヨガ からシリウス・クリヤヨガ® そして “ Kriya ” へ



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“Kriya”Master 龜井さちをが宇宙の叡智Kriyaのチャネリングを駆使し降ろす
アカシックナンバー鑑定
あなたの運命をも変え導く“魂のナンバー” アカシックナンバーを神託(オラクル)弾き出します!


「𝕏」  https://twitter.com/kameisachio


写真.文 /  龜 井 さちを

自己紹介 龜 井 さちを 元世界プロウィンドサーファー(日本代表)、Kriya Master/著作家/企業家/古代伝統医術師
少年時代、暴走族に熱中して高校を中退。18歳の時に天職であるウィンドサーフィンに出会い、ホストクラブで働きながら猛練習を重ねてプロデビューを果たす。日本や海外約60ヶ国以上の大会に参戦し、またインストラクターとしても2万人以上を指導した経験を持つ。 生徒にはマイケル・ジャクソン氏やアイルトン・セナ氏らがいる

現役中は、肉体ばかり鍛えて怪我と故障が絶えず順位が上がらない苦しい日々が続く中、運命的に出会ったヨガ指導者の呼吸を基盤とした内面の変化に基づくヨガの本質を体感し、本格的にヨガの道に足を踏み入れる。が3つの癌に罹患したが現代西洋医学に疑問を持ち、クリヤヨガとウィンドサーフィン、スーパーカーと大麻、世界中のパワースポットや霊場1800ヶ所以上を巡り3つの癌は完治。その後、順位を上げ、全日本3位、世界ランク16位のトップアスリートとして活躍。その経験から、クリヤヨガが自身の心と体に与える影響の偉大さや効果を知り、引退後はクリヤヨガ指導者に転身

また、23年間一緒に暮らし家族同然だったスピリチュアル界の第一人者「桑原 啓善」師匠の一番弟子として修行を積む傍ら、世界約1800箇所もの聖地とパワースポットを訪れ、ヨガ・瞑想・スピリチュアルを研鑽する中で、全てが“Kriya”(クリヤヨガ)に通じていることを確信する

その後、派手な生活が祟って自己破産するが、わずか2年後に著作家としてデビューし,書籍を刊行(商業出版)。5ヵ国で出版される。並行して、ヨガスクール事業を日本・バリ島で展開。現在はツインレイ恋人と共に秘境や穴場スポットを巡るYoutuberとして発信

龜井さちをの集大成である“Kriya(クリヤヨガ)”の叡智を彷徨う日本国民に伝道すべく全国を奔走中!

取材等の依頼は下記へ


“Kriya”Master 龜 井 さちを
です

わたしのno⚚eをご訪問いただき、ありがとうございます!
どうぞ最後まで読んで楽しんで行ってくださいね〜😍


❼【クリヤヨガ】クリヤマスター龜 井 さちを『守 破 離 』クリヤヨガ からシリウス・クリヤヨガ® そして “ Kriya ” へ 総集で完結編


【クリヤヨガ】クリヤマスター 龜 井 さちを 『ヨガに出会うまでの旅<ヒストリー>


もし、“Kriya”(クリヤヨガ)に出会えていなかったら、私はろくでもない人間になっていたと思います

「夢も希望も全く見えず、音や匂いすらもとうとうかすれてきました
わたしの命のともしびが消えかけてきたのです

わたしの心の深い暗い闇から、つめたくって音もしない、匂いもない、
わたしは意を決してこの身を、命すら明け渡す決心で肚をくくる覚悟をしたのです… … …」


つづきは、下へ・・・


エピソード1

横浜でやんちゃだった頃


やんちゃ過ぎた少年時代
〜ウィンドサーフィンに出逢うまで〜


(二度の中退の話…)
小学生時分は運動と読書好きの父親のおかげで体育と作文が好きな子どもでしたが基本的にはボーっとするのも好きでした
活発な面もあり、見様見まねで学校の砂場でバク転、前転、側転、なんでもできました。習い事は塾と書道なのに、なぜかお呼びがかかり水泳や陸上の大会に出たりもしていました。自分でいうのもあれですが、
元祖ジャニーズ系でした。ジュノンボーイなんてまだない時代です(笑)
お気に入りの大好きな歌は“アイル・ビー・ゼア”ジャクソン5です

中学生になり入学した学校が当時神奈川で一番ワルと評判の学校で、
入学式中に上級生から因縁つけられて、いわゆる「メンタン切られ」たり。
その上級生のイニシャルはH・Y。今でもおぼえています
とにかく荒んだ生徒が多い学校でした。当時の部活は県内唯一のフィギュアスケート部。お気に入りの想い出は“ジャネット・リンがお気に入りだった”ことです

2年生で市内の別の学校へ転校しました
ワルサ100倍のとこからの転校生という事で
すぐに私は上級生らから目をつけられましたが、
ハッタリをかましてデカイ態度で臨んだところ、見事退散してくれました(ホっ)

その後、卒業まで番を張ることが出来ました(笑)
自慢ですが、他校の女生徒からも人気で、
お気に入りは“つけがきく飲み屋”が2軒あったことです
“ビーバップハイスクール”を地でいってましたね(苦笑)

そのころ友達の保(たもつ、仮名)君のおかげでスピリチュアルにも目覚め、体外離脱を何度も体験するようになりました
他に、心霊現象も毎日のように観てましたね(笑)

チャネリング、サイキックな能力もグングンと開花し、同じくして、暴走族にも参加。国内最大のチームだった“○○○○エンペラー”の横浜支部幹部として、再三の補導で幾度か両親と共に家裁へ行ったのは、今思えば本当に親不孝な息子でした

その後もやんちゃな氣質はあいかわらずで、
翌年入学した某美容学校もわずか2ヵ月で退学
親からの大ひんしゅくをかってしまいました。(当然ですよね)

その後は、友人のすすめで東京ディズニーランドを作る
建設作業員としてIHI等で研修。まだ赤土とダンプ、重機入り混じる中、
アドベンチャートンネル等を建設する部署で作業にあたりました

そして、そのころ人生を決定的にした一件がおきたのです
非行仲間だった○○君がとある一件のことで急にいちゃもんをつけてきました

「亀、つきあい悪いんだよ!」と言い放ち、顔を拳でおもいっきりなぐられたのです

とっさのことで一瞬ひるみましたが、気をとりなおしなぐり返そうか思ったけど、急に心の声がしてきてアホくさくなったので、「じゃあな!」とだけ言ってその場を後にしました。この時の自分の心の声を今でもハッキリおぼえています

「こんな事してたらだめだ。別の世界で生きよう!」って


その後、外資系大手の企業に奇跡の就職決定
在職中三度の全社トップセールスの売り上げを叩き出しました。18、19才の頃です

休日になんとなくウィンドサーフィンをはじめてみました

3回目のウィンドスクール中コーチから衝撃の「ひと言」がありました
「男のくせにおまえバランス感覚悪いな!」って

この一件が根っからの私の負けず嫌いの炎を一氣に燃え上がらせてくれました

その晩、いきつけの居酒屋A太郎で
「○○○さん、おれ、わるいっすけど世界行きますから!
プロウィンドサーファーになって世界でたたかいますから!!!」
と公言してしまったのです


同席の友人らは、「むりでしょ~~」とか
「でかいこと言わないほうがいいよー」とか、
ネガティブ系のそんな言葉だらけでしたが、
わたしにはすでにハッキリとその時“世界”でたたかう自分が
ありありとハッキリみえたのです

それからすぐに会社に辞職願出して、毎日横浜の鶴見から湘南に通いました

365日24時間、海とウィンドサーフィン漬けの生活に入りました
夜はまかない付きの湘南のとあるカフェバーでバイトして、
昼間は一日中海にでて練習を続けるという日々が始まりました




ウィンドサーフィンはなんせ道具が多いスポーツなのでお金がかかります
ボードにセイル、ウェットスーツ等々、それに車も
ほんとうにお金がかかるスポーツなんです
試合や合宿、遠征でお金が必要な時は今でいう読者モデルや、
新宿でホストクラブのバイトしたりもして資金を捻出してました
まだバブル経済前夜って頃でした


エピソード2


プロウィンドサーファー時代


プロウィンドサーファー時代
〜草レースからわずか数年で世界へ〜


湘南や地方への遠征で、アマチュアとして数々の実績をつくり、わたしはプロのウィンドサーファーとしてついにデビューしました。ほろ苦い下積み時代の苦労が報われた瞬間を味わいました

同時にその頃、湘南でウィンドサーフィンスクールの校長兼インストラクターをしていました。徐々に人気者になりだしたので、毎日多くの人が全国から受講しに来てくれました
地方の方や海外からも。わたしが海外へ行った時でも
現地でお声がかかるほど大人気の的でした

というわけで良い面だけでなく、これからがほんとうの正念場です
なにせ亀井家全体で初のプロアスリートなのですから(汗)
しかし、時の運(命)を当時しっかりつかんでいた私は、
やることなす事すべてに自然に上手くいきました
気力・体力・知力のどれをとってもなにも怖いものなんてありませんでした

練習の成果が徐々に着実につながりだしてきました
全種目出来るプロは日本ではまだ少なく、テレビやマスコミへの露出も増え、わたしを支援してくれるいくつものスポンサー企業からは
とても感謝され喜んでくれました

ここまでこれたのは自分のあくなき挑戦と膨大で緻密な練習・研究、
そして、後援会、スポンサー企業、友人、メンバーさんたち全員のおかげです

世界でたたかう環境と運にめぐまれたことは今でも誇りですし、感謝しています

しかし、すべて順調だったわけではありません

もともと呼吸が浅く、すぐに疲れてしまう性分のうえ
せっかちで些細な事にもイライラしっぱなしな面は相変わらずのままでした


それと、線が細い少年だったわたしはとにかく筋肉をつけるのもひどく大変でした

一日6食の食事法を実践して、合間にもプロティンアミノ酸や各サプリ等々、
ありとあらゆるトレーニングを試し、筋肉つけて体重増やして試合に臨む生活でした。徐々に筋肉もつき、MAXで85キロの体重になって、体脂肪は3%でした


見た目はたしかにボディビルダー並みまで仕上げましたが、
いかんせん脂肪をそぎ落としすぎて体が冷えきってしまい、
冬の海に入るのがつらくなってしまったのです
ですので、翌年からは脂肪を落とし過ぎず、体脂肪を8~12%での
コンディション作りに代えていくことにました


しかし、悩みや状態を外的要因のせいにしてしまう癖は治らず、呼吸も浅いままでした。そんな状態を打破してくれるのはいつなのか想いをめぐらせている時のことです

偶然、アメリカ遠征を終え、わたしはネイティヴ・アメリカンの
酋長主宰の瞑想合宿に参加する機会を得ました
各自の大きなリュックに寝袋や食料を詰め込んで、
全米中(グランドキャニオン全体)を歩いて横断する歩行瞑想のキャンプです

見ること、出くわす事、カルチャーショックの連続で
リーダーの酋長の半端ないスピリチュアルパワー炸裂の瞬間にも何度も遭遇しました
ある日、朝からサークル(円陣)組んである儀式をしてた時です
無風で、とおくの煙もまっすぐ上に昇る状態でした

しかしです
「酋長が風よ吹け!」といった途端、
今の今まで無風だった空気が一変しました


正面からのもの凄い風が吹き荒れたのです。
時間にしてたぶん数分の事でしたが、あまりの出来事に
参加してた世界中の名のあるヒーラーたちも茫然としていましたね

すると今度はわたしのいる後ろ側からも風が吹いて来たのです
風に関してはプロのわたし。こんな事がある訳ないと思いましたが、
夢でもまぼろしでもなく、正面、後方ともに風が吹き荒れているのです
参加者のどよめきも頂点をむかえた時、
酋長が天たかく人差し指をある呪文とともに振りおろしました

「○△□?☆ ○△□?☆ ○△□?☆ ○△□?☆」

そういうと吹き荒れてた風は一瞬でピタっとやんだのです

おたがいの顔をみる参加者たち
わたしはこの現象の正体を知るのはすこし先のことです


わたしたちは本来、未曾有の無限大の力をみな持っています
酋長がいつも話してくれました
森羅万象、生きとし生きるもの皆平等に尊い存在なこと
呼吸を観察するものこそが、この世でわたしたち乗り物であるわたしたちの
肉体と魂を唯一結びつける鍵であり法なのだ
。と、仰っしゃられました

わたしは意を決して酋長に質問してみました

「あの日の風は、いったいなんだったのでしょうか」

「あーあ、きみ、日本からの初めての友人よ。とてもいい質問だよ」
「あれは、コンシャスネスだよ。意識が生み出したマインドの風じゃよ」

「???」

「まあ、きみにもっと分かるように説明しよう
此処はわれわれの先祖からの約束の地だ
四方八方、神聖なエナジーで満たされている聖なる土地じゃよ
わたしたちのコンシャスネス(意識)以外の事は起きない護られた土地じゃよ
火も水も風も土も、わたしたちとおなじコンシャスネスで出来ているんじゃよ
信じられるかね?」


「???」

「きみの住むアジアでも五行や陰陽、太陽崇拝、信仰等、
いろいろあるじゃろ」


「はい。それとなにか関係でもあるのですか?」

「おおありじゃよ。もともと、わたしたちは皆、大いなるもの化身であり、器
乗り物なんじゃよ。意識という無限の宇宙に住まう住人なんだ
念じるだけで奇跡はおきるのだよ。エナジーという、
意識の層をゆらすことで全てをクリエイトすることが出来るんじゃよ

シュメールやエジプト、インド、倭(日本)各古代文明では、ひとびとはテレパシーと共に、物体の移動も可能なほど、コンシャスネスの宇宙を自在に操っていたんじゃよ
その名残が垣間見れるものが、オーパという類いじゃよ」



ホセ・マヘ師(イメージ)


「酋長。グレイトな話過ぎて、なんだかこんがらがって来てしまい
ました…」

「そうじゃったか。きみはよくきいてくれたな
きみに、聖なる名前、ホーリーネームを授けよう」

「それは、願ってもいない計らいに感激感謝します」

「ア ク ア・ ツ タ Akua Tuta 風の息吹じゃ」

「ありがとうございます!」

このような稀有な体験をいくつも味わう、
まさに「魂の癒し 魂の息吹の旅」でした


この旅をさかいに、
わたしの呼吸はみちがえる程、
ときどきですが、長く、安定した深い呼吸にかわってきたのです

錬金術でいくつかの金属の破片がなにかの科学反応をおこし、
融解して金になる感じのように、
見違えて格段に変容してきたのです
この時まだ、ヨガをはじめるとは夢にも思いませんでした



エピソード3


ヨガに出会い修練を積む

真のクリヤヨガ・瞑想指導者として再起をかける修業へ、そして…


その後もプロウィンドサーファーとして活動しながらも、わたしの呼吸が浅くて体が硬い状態はつづきました
そして、ついに人生を変えてしまうほどの一大転機がおとずれたのです

ヨーロッパでの遠征を終え、昔からの知人の赴任先のスリランカへ向かいました
初めての地。高ぶる興奮を抑えるのが大変でした

到着後の空港で待つこと3時間
いくら待っても友人は現れませんでした
しかたなく私はタクシーで行先を告げ車を走らせてもらいました

当時のスリランカはまだセイロン時代の名残が町並みに多く残り、
決して治安が良いとは言い難いところでした

車を走らせること2時間位
お世話になる予定の施設に到着しました
そう。ここは瞑想・クリヤヨガのアシュラム(研修道場)

インドやスリランカではアシュラムと呼ばれる施設です
ここに籠り1ヵ月、浮世と離れ、クリヤヨガをしながら
三日で一食という過酷な条件のもとで、クンダリーニから解脱
そしてサマーディー(覚醒)まで味わう修行を行うことになったのです

わたしが使わせてもらえる部屋は元馬か牛か豚か、なにか動物のいた厩舎の
ような建物です
部屋の隅に所どころにカピカピになった動物の糞らしき物が目に入古くて臭い部屋でした

そこで朝3時30分から瞑想行を始めるのです
この時間は“ブラフマータイム”といって、昼でも夜でもない精妙なプラーナが散りばめられた聖なる時間の事と古代文明の頃から世界中でそう言われてきました

ここのアシュラムは、日本の武道の道場みたいに稽古や指導をするために
常に指導者が居るわけではありません
ですので、始めの数日と終わりの数日に指導者が居ただけでした

わたしが滞在してた日数の半分以上はおもに一人での修行でした
まあ、当時わたしは瞑想をする時は一人でやるもの位の認識しかありませんでした
そして、ヨガをするには教えてくれる先生が絶対に必要だと思っていました

しかし、ここでは全ったくその逆で、ヨガのポーズは一切教えてくれませんでした


自分の居る部屋か、みんなが使えるホールの様なところで勝手にポーズの
練習をしたりする別の人をたまに見かける程度でした

そのかわり、瞑想は指導者が居る日には、朝4時から夜11時くらいまで
なにも飲み食いひとつせずに、ひたすら内なる自分に問いかける時間を持てました
指導者の先生は通常、広い瞑想ホールの一角に微動だにせず、ただ座しているだけでした。時々、生徒がいる瞑想部屋を巡回していました(生徒は個別の小さな用意された小部屋(ベニヤで簡易作り)で主に瞑想行を練習します)

ところがです。不思議なことに、
指導者の“氣”がわたしのところまで伝わってきました
プラーナと呼ばれるものです
いわゆる“氣”が伝播してくるのが心で感じることが出来たのです
呼吸による瞑想のことを、古代エジプトやギリシャ、インドでは

“聖なる科学”

“魂の癒し”

それか、

“魂の学校”と呼ばれる所以(ゆえん)があります

そうして、わたしは深遠な“Kriya”(クリヤヨガ)に深くのめり込んで行くようになったのです


その後、ハワイ(マウイ島)でサーフィンの神様とよばれる人のもと、ヨガポーズを初めてやりました
ハタヨガでいうところの“太陽礼拝”をしたのです

ハワイの風に吹かれ、とても気持ちよい想い出になったのが昨日のようです

この頃、(後日、別枠で書く予定)数年間で3つの癌に罹患しました



それから数年後、プロ選手引退の日がおとずれました
おりからの不景気と、バブル経済破綻の影響をもろに受けての引退でした
大会開催のためのスポンサー企業が集まらず、
ウィンドサーフィン界は急激に縮小して行ってしまったのです

わたしの運営しているウィンドサーフィンスクールとお店も
いつしか閑古鳥が鳴き、苦しい状況が続くようになり、
しかし、生活レベルを下げれなくて借金ばかり膨らんでしまいました

到底、どう転んでも払えない金額にまで借金は膨らんでしまいました
それでもわたしは世界中の全6大陸のありとあらゆるパワースポットや聖地を巡る武者修行を続けていました

大好きなスーパーカーを3台所有(F40,NSX,フェラーリ・エンッオのエンジンを積んだマセラティV12)し、激走し、好く銀座や赤坂の高級クラブやモナコで遊びまくりました



当時持っていたブラックカードやプラチナカードで
思う存分買い物や飲食、旅行にと使えたからです

しかし、気がつくととうとう首が回らなくなり、弁護士にお願いして免責の手続きを始めました

正確に言うと、弁護士代もないから法テラスという機関を利用したのです
通帳の全内容のコピーが義務つけられて、お金の全ての収支や使い道の提示、大好きだったスーパーカーの売却

命と同じくらい大切だったウィンドサーフィンのセイルやボード、金になりそうな物、全て売却して免責に臨む必要があったのです

そして、約10ヵ月後にようやく裁判所で免責決定されたのです
官報という政府誌に名前、内容等が掲載されたのです

この頃、唯一やすらげる場所は当時目黒にあった
ヨガスタジオに行ってヨガすることだけでした

そこのオーナーでヨガティーチャーの“リザ”先生のヨガは
最高にしあわせな時間をわたしにもたらしてくれました

人間としての垣根のない、裏表のない、本当の愛をわけあたえる、
あたたかく心から尊敬できる素晴らしい先生でした

しばらく練習で通っていました。心底癒された本物のヨガティーチャーであり、心ある素敵な女性でした


ほっと一息したのもつかの間で、それからさらに私はさらに困窮することになりました
借金は免責でなくなったとは言え、当時同棲している人と別れる事になったのです
理由は色々でここでは書くことはやめておきます

そうこうあって、わたしは心が完全に折れて潰れて
元にもどらなくなってしまいました

単なる失恋が原因でというのではなく、
心の羽根の根本から完全に翼がもぎ落ち、鬱になってしまったのです


生きる力も、なにかを想像することも、なにもかもいやで、なにも、
ほんとうになにもできなくって、薄暗い狭いワンルームでひきこもるのがやっとでした

就職はおろか、アルバイトもする気力も体力も残ってはいませんでした

もちろんヨガする気力も体力もありませんでした

ほんとうに暗いまっ暗な森を立つことも出来ず、歩くことも出来ず、
だれかたすけを呼ぶこともできず、這いつくばっていることしかできませんでした

過去の栄光も、マイケルさんやセナさんとウィンドサーフィンした想い出も、もう、遠い過去の話か、他人事の話のような気さえしてきました

涙も三日三晩泣きとおしてもまだ出てきて、
ひと月以上ずっと泣いて涙が止まりませんでした
夢も希望も全く見えず、音や匂いすらもとうとうかすれてきました

わたしの命のともしびが消えかけてきたのです
わたしの心の深い暗い闇から、つめたくって音もしない、匂いもない、
なにか得体の知れない恐怖ともよべる気配を感じだしたのです

なにも居ないはずなのに心臓の鼓動はたかなり、
耳はなにかの機械が発する高音のようなけたたましいノイズが聞こえだしたのです

そう。わたしは精神に異常をついにきたし、幻覚、幻聴があらわれだしたのです
もう自分の手には到底負えないところまで落ちてしまったのです

わたしは気が遠くなるような幾つもの日々を過ごすことになったのです

体重も激減していて、すでにガイコツのような形相で
生きている常人には到底見えない状態でした

そんな状態ですのではたらく事も当然できませんでした
生活保護で暮らしていたのです
数か月というながい時がすぎたのも気がつきませんでした


心軽やかで世界をめざしたあの日も、

雨の日も、雪の日も、日照りで凪の蒸し暑い日も、厳寒の吹きすさぶ日も、
さわやかな風が吹き抜ける日も、すべて手放なさなければならない時が
おとずれてしまったのです

意識が朦朧(もうろう)として、いつまた、幻覚と幻聴、
狂気が来るかわからない状態です

わたしは意を決してこの身を、命すら明け渡す決心で肚をくくる覚悟をしたのです… … …



わたしは自殺で有名な青木樹海にいました

… …

… …
どのくらいの時間がながれ 経ったかすらわかりませんが、

なにかがとつぜん変わりはじめた事だけはわかりました

そう、長年気にかけていてどうすることもできずに放っておいた呼吸が、
浅かった呼吸が急激に、自分の内側の目にみえないパワーか、
エネルギーのようなものが、根源から勢いよく流れ込んで来たのです

自分が今いる暗い青木樹海の深い闇

底知れぬ恐怖と絶望

すると風もないのに近くの大きな木々が幹ごと激しく揺れ始めたのです

雷鳴や地鳴りの怒号のような強烈なパワーを感じました!

するといきなり目の前に

大きな顔を持つ物体がわたしの目の前に舞い降りてきたのです


始め何が起きたか理解できませんでした

声のような響きが脳裏に幾度も木霊していました

「死ぬなら死ぬがよい

一言だけいうが、おまえがやり残したことがあるんじゃないのか?」


その見えざる大きな力はそう言い放つとどこかへ消えていきました


しばらくして
当たりの木々をつきぬけて反発力をともない戻ってくる目に見えない力をわたしはまざまざと感じたのです

そう。本来の呼吸

呼吸という命の息吹がうまれだしてきたのです

なんども夢か、幻か、あらたな別の幻覚か疑い、本当の呼吸か、
自分の息がそうであるのかを何日も何日も検証してみたのです

それはまぎれもなく、わたしの息 呼吸でした。
吐く息も、そして、吐く息だけでなく 吸う息も、

内側にふたたび しっかりと戻ってくるメビウスの輪のような繊細で
強靭でしなやかで深遠で包括された魂の息吹が生まれ、蘇ったのです

それはまるで天空とわたしたちの住まうこの大地をつなぐ生命の樹
そのものに感じたのです
すると、どこからともなく聞いたこともない音なのか、言葉なのか、
不思議なバイブレーションがあらわれてきたのです

「フラカン イシュムカネー シナ
フラカン イシュムカネー シナ
フラカン イシュムカネー シナ
… … … … … … 」

永遠につづく刻まれた紋章のような音の木魂(こだま)波紋をのこし、
わたしのもとにおとずれた不思議なバイブレーション。音のコトバ


だいぶあとでわかったことなのですが、

その“フラカン イシュムカネー シナ”は、古代の文明のシュメール語で“
呼吸こそ、神の風
神の息吹“という意味だったのです


そう、あの日、ホピ族の酋長「ホセ・マヘ」師が唱えていた呪文そのものだったのです

この日をさかいに、わたしは元気をとりもどしました
ヨガと瞑想の日々へも少しづつですが着実にもどっていくことができました

その後、某精神病院の職員として就職しました

数か月の短い在職でしたが、自分の使命としての任務“呼吸にきづく生き方”
すなわちヨガ、本来のヨガを通じ、病んでいる人も救い、
すべての人をも自分らしく生きるためにヨガで支援しようって決めました

“Kriya”(クリヤヨガ)指導者として生きる覚悟をきめた瞬間でした


その後、弱冠の紆余曲折はありましたが、応援してくれた素晴らしい仲間
わたしのレッスンを受けてくださるみなさま
そして、心根の美しい最高のツインレイの恋人とも巡り逢うことができました

その恋人は公私とも支えてくれるかけがえのない存在です

“Kriya”(シリウス・クリヤヨガ)は本氣で生きる人だけに「力」をくれる本物の叡智です

人が人として成長するには人の居る社会であっても常に自分らしく主張し、行動し、毅然とし、己を貫き続けてゆくことです

人に見返りを求めず、期待せず、
笑顔を忘れず、自分の意識と素顔で呼吸し行動し続けることだけです

ほんとうに苦しい時、自分自身を救えるのは本氣で愛し、愛してくれる相手と自分自身の御霊だけです

そのことを胸に刻みゆっくりと鼻からまず息を吐いていきましょう

自分自身の自発的な呼吸こそ、
自分自身への最大の誠意だと感じます

そして、クリヤヨガに話をもどすと、
本来ヨガは、からだをやわらかくするものでは
決してないってことをここで書いておきます

例えば、ダイエットをうながす事はあっても単体でのダイエット効果を
もたらしてくれるものではないということです

そして、呼吸がおざなりになる、人工的な温度の中で
ヨガをするなんて言語道断です
命を軽んじている行為としか思えません
みずからの寿命を縮めている事と同じなんですよ

ほんとうのヨガである“Kriya”(シリウス・クリヤヨガ)は過去の先人たちが残してくれた“心と体とマインド。魂の科学”であり芸術であり、躰と心と魂を結び繋ぐ総合的な面でも「人間統合鍛錬術(霊性活性術)」なんです

適切な指導者のもと、適切な負荷(心と体のコントロール)と
起因(意識・意図)による呼吸が最重要なのです


“はじめに 息があった 呼吸ありき“ がヨガの真実であり
本来の容(かたち)なのです

そう、古くはプラトンやエジプトのファラオ、ジーザス、仏陀、古事記の稗田阿礼、日蓮大聖人、安倍晴明、レオナルド・ダヴィンチ、サンジェルマン伯爵、エルビス・プレスリー、ビートルズ、松下幸之助、マイケル・ジャクソン、スティーブジョブズ… …
歴史に残る偉人が行っていたものこそ“Kriya クリヤヨガ”なのです

本来のヨガは体を鍛えるためのではなく、人間の生き方、
すなわち自己実現して世の中をより良くして行くための術、
マインドを鍛えるものなのです

さあ、わたしと一緒に“魂の旅”の帆を張り

運命すら変えられる

“魂の息吹 奇跡の呼吸”を身に着け

““Kriya”(クリヤヨガ)クルー”として
輝きつづける大海原から真実の大地を創造して行きましょう

龜 井 さちを


自分の人生を創造して
どんどん開花させたい

そんなあなたをわたしは全力で応援します!

もし、あなたが“Kriya”(シリウス・クリヤヨガ)を実際に実践して体感してみたい!
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この世に生きる意味 ↓一つ一つ紐解いていきたい人はこれ↓


わかるかな わかんねーだろうよ 合掌


これでも観て成仏してくれ〜ぃ(わらう)


最後までご覧くださり
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自己紹介

概略: 龜 井 さちを
13年間、世界プロウィンドサーファー日本代表として活躍 
その傍ら 莫大な借金と癌3つを抱えながらも“Kriya”=クリヤヨガの鍛錬と地球上の1846ヶ所にも及ぶ六大陸すべてのパワースポットや霊場、聖地を踏破し癌3つを完治した 

ヨガ指導者としてヨガ学院・ヨガスクールを主宰 
企業家 著作家として活動 

これまで10万超の人の尊い御霊を引き上げた霊能者としても世界中で活躍 ・シエラレオネ政府の依頼で奴隷海岸に彷徨う9万人以上にも及ぶ地縛霊の慰霊の儀式を執り行った 
・カンボジアでは故ダイアナ妃と共に地雷除去を行う 
・マンデラ大統領と共に南アフリカタンカー重油事故で瀕死のペンギンの群れを救出をした 他多数

逗子→オレゴン→マウイ→御前崎→タリファ(スペイン)→南アフリカ→バリ島→に移住を経験 
現在天衣無縫ツインレイの恋人と共に秘境や穴場スポットを巡る“だれにも似ていない!だれもマネできない”唯一無二のYouTuberとして発信 

様々な業界にセンセーショナルなゲキ震をもたらしショックで生きながら輪廻転生する人が続出中! 

Kriyaの凄さを世に残し後継者を育てると共にヨガ・瞑想・スピリチュアル,知られざる世界の真実を伝えつづけている 

龜井さちを集大成の“Kriya”の叡智を彷徨う日本国民に伝道すべく全国を奔走中!夜露史駆🏴‍☠



----------------- 自己紹介 ------------------ メイン

龜 井 さちを
元世界プロウィンドサーファー(日本代表)、著作家/Kriya Master

少年時代、暴走族に熱中して高校を中退。18歳の時に天職であるウィンドサーフィンに出会い、ホストクラブで働きながら猛練習を重ねてプロデビューを果たす。日本や海外約60ヶ国以上の大会に参戦し、またインストラクターとしても2万人以上を指導した経験を持つ。 生徒にはマイケル・ジャクソン氏やアイルトン・セナ氏らがいる

現役中は、肉体ばかり鍛えて怪我と故障が絶えず順位が上がらない苦しい日々が続く中、運命的に出会ったヨガ指導者の呼吸を基盤とした内面の変化に基づくヨガの本質を体感し、本格的にヨガの道に足を踏み入れる。その後は順調に順位を上げ、全日本3位、世界ランク16位のトップアスリートとして活躍。その経験から、ヨガが自身の心と体に与える影響の偉大さや効果を知り、引退後はヨガ指導者に転身

また、23年間一緒に暮らし家族同然だったスピリチュアル界の第一人者「桑原 啓善」師匠の一番弟子として修行を積む傍ら、世界約1800箇所もの聖地とパワースポットを訪れ、ヨガ・瞑想・スピリチュアルを研鑽する中で、全てが「Kriya」に通じていることを確信する

その後、派手な生活が祟って自己破産するが、わずか2年後に著作家としてデビューし書籍を刊行(商業出版)。5ヵ国で出版される。並行して、ヨガスクール事業を日本・バリ島で展開。現在は龜井さちをの集大成である「Kriya」の叡智を彷徨う日本国民に伝道すべく全国を奔走中


▷龜井さちを 公式ホームページ:



書籍/DVD

▷書籍『クリヤヨガバイブル』

▷DVD『シリウス・クリヤヨガレッスン』

▷書籍『マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ』

▷書籍『体幹ヨガ健康法』本名の亀井佐千雄の名前でPHP研究所より出版


yahoo新聞に掲載されました


著作「体幹ヨガ健康法」のアジア版「每天5分鐘, 軀幹健身操: 超神奇! 打造您的健康元氣」の紹介記事


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