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会社を辞めてみたらいい感じになった話。

今年の9月には60歳になる。
カウントダウンに入っているが赤いちゃんちゃんこかーという感慨はまったくない。

最近はちゃんちゃんこではなく
シャレこいて
「赤いタキシードにしました」
とか
「赤いポロシャツもらいましたー」
とかみんなやってるよね。

僕としてはひとこと言いたい。
ちゃんちゃんことちゃんちゃんこ応援団の皆さんの気持ちも考えてほしい。

ちゃんちゃんことは、子供が着る袖なし綿入れ羽織だという。
子供用である。
キッツキツの小さな綿入れ羽織に爺や婆がむりやり身体を入れる、還暦祝いという宴席はそんなこっけいな動きを参加者皆でやいのやいのいいながら楽しむものであるはずである。

実はキッツキツ

そんな60歳を意識し始めた58歳の誕生日のころ。
会社を辞めようかな、と思った。
僕が勤めていた会社は60歳定年だった。

シニア雇用でそのあと残ることもできるが、給与は激減する。
20代からコツコツ貯めてきた(?)厚生年金は、いつのまにか定年とのリンクが外れ、65歳からの支給だ。
この国と経済界は制度設計がおかしいのではないだろうか。
僕ら、5年のあいだ雲か霞を食って生きていくのか?


制度設計の問題は死活問題だが、それは横に置く。
そもそも定年後の世界を僕は若い頃からまったくイメージできなかった。

確かに運良く悠々自適的な暮らしを始めた先輩方が何人もいる。
「ゴルフ三昧で楽しんでます」とか「絵を描いて楽しんでます」とか。

それ、ほんとに楽しんでますか?

ゴルフ行って絵を描いて。
そのあとの家族との対話とかどうなってるんですか?

もうね、
まったく楽しそうな感じがしない。

これは個人差があるから、あくまでも僕の事情だと思っていただきたい。
なかにはゴルフ三昧の日々が楽しいという人がいるかもしれないしね。


そんなモヤモヤを心に抱えていた一昨年の秋。
勤めていた会社が業績が悪化していたこともあって、早期退職制度の話が持ち上がった。

退職金に少し上積みされるという。
もとより退職金が多い会社ではない。
上積みされる金額で普通の会社レベルになる、そんな感じ。

会社を中退するのは2回目。

辞めた理由は700くらいあるけど、ここではあまり書かない。
とにかく僕は辞めることにした。


辞めてどうなったか。

仕事がなくなった。

朝から会社に行かなくていいのである。
リモートワークが進んでいた会社だったので会社に行く機会は減っていたのだが、とにかく「やらなければいけない」と考えていたことがスパーンとなくなった。

1日家に閉じこもってTwitterしててもいい。

自由だ。

『ショーシャンクの空に』のあのシーンのように。

『ショーシャンクの空に』(字幕版)「YouTubeの映画とテレビ番組」より


辞めた翌月、僕は大阪へ小旅行に行くことにした。

スナワチさんに寅ちゃんの写真集を買いに行く。
高校生のころから行きたかった国立民俗博物館に行く。
プランナーとして駆け出しだったころに商業施設のお手本といわれていた施設のその後を確認しに行く。
あと、父方の従姉妹に久しぶりに会いに行くことも含めて。

この小旅行はこれまで生きてきた半生と興味関心の方向性、大事にしたいことなどを確認する最初の機会になった。


目指すべきはあっちの方だ!

それからの8ヶ月間。
会社員時代にお付き合いしていた方々との付き合いは極端に減った。
新たな人間関係が深まった。

まちづくりの人々。
ウェブ制作などデジタル系の人々。
スタートアップ関連の人々、など。

なんか新しい世界に分け入っていく感じ。

子どもの頃の探検ごっこや街パトロールごっこで町内を走り回っていた気持ちがよみがえる。
ワクワクする日々が始まった。

新しい人間関係や新しい環境のなかで、ずっとわだかまっていた疑問を解決するきっかけと出会ったり、アイディアが生まれてきたりする。

たとえば。

現在の株式会社の主流となっている組織は、時代についていけているのか。
新たな潮流を組織対応する、あるいは組織に取り入れるにはどうしたらいいのか。

これからの時代と働き方についてのわだかまりについては、昨年(2022年)9月、個人事業主として熊本西税務署に登録し働き始めることで自分なりの実例をつくることに着手した。


最初にいただいた仕事は出身校同窓会のサイト制作だった。

課題を整理し一気にプロジェクトを進めるという経験は、自分の中に根付いていた広告マンとしての業務進行スタイルが事業を円滑に進めることに気付くのに十分だった。

集中するクリエーターの凄みや息遣いを感じたし、プロデューサーとしての決断や調整の厳しさも味わった。

多くの人の力添えをいただいてモノゴトを進めていけることのありがたみが身に沁みた。


次の仕事は講師のしごとで、古巣の企業グループの東京の本社で企業ブランディングに関わるお話をした。

若い世代の皆さんの情熱、努力、見識に驚かされ感動しつつ、志を同じくする仲間に囲まれた幸せなセミナー。

リモート視聴社員からの評価も良かったみたい。
ホッとした。

ついでにいえば僕の仕事用口座への最初の振り込みはこの会社からだった。そのことひとつとっても精神的には故郷ともいえる企業グループだ。
いつかさらに恩返ししたい。

それから数ヶ月経つうちに会社員時代の人間関係も少しずつ復活してきた。全てを復活させる必要はもちろんない。
だけれど、いい感じの付き合いかたを自分の責任でまとめ上げることができる。

この感覚が新鮮だ。


会社員という軛(くびき)がなくなったいま、確実にいえるのは家族をはじめ仕事の仲間としっかり向き合う時間が増えたこと。

すべての責任は自分に帰結する。
全ての喜びも落胆も全身で味わうことができる。

さらに「これは面白いぞ」「これは新しいぞ」「これは知らんかったぞ」という世界や物事に素直に突入していける。

小株主として株主総会に出てみて面白がるなどはこれの一つ。


株主総会には黒いジャケット黒いパンツ黒い靴に怪しいメガネで。


とてもいい感じだ。

そしてもうひとつ気がついた。

前の会社にいたらもうすぐ定年だ。
だが僕は早期退職という会社都合の機会を活かして、自主的に会社員人生を中退した。

つまり、もう定年退職を経験することはない。
定年がなければ定年後もやってこない。

ゴルフ三昧とか絵を描いてというアレがスッポリとなくなった。

「もう、疲れたばい。ここら辺でよかろうか」
そう思える日まで、しばらくこのままで走るというイメージ。

これがまたとてもいい感じなのだ。

ご同輩の皆さんには声を大にして言いたい。

定年の設定は会社都合。
他人の都合に合わせる人生もあるけれど、
自分の都合を一番に考えつつ、時機をみて離脱自立するのも、またいいぞ。

ただ、大事なことが一つある。
さっき横に置いた話だ。
とにかく金銭的な裏付けだけはつくっておけ。


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