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「あんぎお日記」(1991年12月26日)
この入院生活は有意義なものだったといえるでしょう。たった二か月でこれだけ違ったフェイズに突入できるということ。一瞬の体験でも、ひとは大きく成長することができるのだ。
やはり、アウトサイダーとなったら自己憐憫に負けないように、陥らないようにというのは、私の生活にケリを入れる警句として記憶に残るでしょう。普通の人たちとは違う生き方を選んだわけだから、そういった人々の価値観で計られる必要はないのだ
「あんぎお日記」(1991年12月25日)
「創造しつづけようと思う人間には、変化しかありえない。人生は変化であり挑戦だ」(MD)。マイルス、どうも。自叙伝読了。
自分の手本となるような人間は私の周りから消えてしまっている。自ら切り拓いていくしかないのだ。
縫合する。二十八日(土)退院決定。
マイルスの余韻の中にいる。再びモンクへ?
まだ二十七歳だ、ともいえる。
ゴム手袋の匂いが鼻先で踊る。糸を舌先で感じる。
人生何が
「あんぎお日記」(1991年12月23日)
十二月二十三日(月)
昨日は家族が帰ったあと、ちゃんと許可を取って外出した。疲れたせいか、あるいは鼻腔内の汚れが胃に落ちたからか、帰室後、吐き気、脱力感また熱っぽくなったかと思うと寒気がしたりする状態に襲われた。朝になったらだいぶ復調していたが。
昨夜は住む場所が定まらないという夢を見た。福島の、東京の家に居る私。夜中目覚めたとき、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。
バークリーをはじめ
「あんぎお日記」(1991年12月22日)
十二月二十二日(日)
ソ連が遂になくなる。合衆国も当然変質するであろう。飛行機の両翼のようなものなのだから。
昨夜はプロコプで演奏した。パジャマの上に服を着て病院を抜け出して。店に着くとタクマがばりばりピアノを弾いていた。気がつくと私の隣には榊原さんが立っていた。
昨夜はタクマの独壇場だった。確かにリズム感が荒いところもあったけれども、それは些細なことだ。彼には初めから表現者に必要な態度が全
「あんぎお日記」(1991年12月20日)改
十二月二十日(金)
古い血が排出されている。鼻。
手術後、自分の身体が激しく痙攣していたのを覚えている。
一週間ぶりに病院の外に出る。右の鼻の穴に何年振りかで空気が通っている。突然オートバイの排気ガスの匂いを鼻に感じる。閉じられた病棟内の空間では忘れていた感覚。懐かしさで脳が揺さぶられる。
イングランドについて考える。
デヴィッド・シルビアン
マキシ・プリースト
UB40
アスワド
ロバ
「あんぎお日記」(1991年12月19日)改
十二月十九日(木)
鼻腔に詰められているガーゼを上唇の裏側と右鼻穴から抜き取る。H先生がピンセットで引き摺り出すガーゼは収穫された昆布のよう。土曜日に残りを全て取る(獲る)という。
「匹如身【するすみ】」という言葉を知る。白楽天の詩の言葉らしい。独り身であるさまあるいは無一物という。
昨夜は消灯時間の九時を過ぎても脳が睡眠に向かおうとはしなかった。これまでの薄く混濁した意識ではなく、まさ
「あんぎお日記」(1991年12月18日)
十二月十八日(水)
夜半目覚めると右眼からの涙。何かを夢を見て泣いたような気もするし、全くそうでないような気もする。
昨夜はガーゼを減らした右の鼻の穴から幾分の出血があった。点滴も八時半以降突然入らなくなった。この体が拒否しているのかのように。
錯乱から安定へ。未だに顔の中には十枚程度のガーゼが残り、もの凄い顔になっているのは相変わらずなのだが。
金曜以来ステレオフォニックに音楽を聴いてい
「あんぎお日記」(1991年12月17日)
十二月十七日(火)
予備校で古文の授業を受けている。階段教室。言語表現とは何か、その相対性、個人性といったことについて、私は非常に理路整然と発言している。 目を覚ますともう少しで起床時間だった。右眼からとどまらず流れ出る涙。
昔のことをいろいろと思い返す。今、ものすごくポジティブに社会に向き合える気持ちになっている。もう既に社会復帰への準備段階に入ったかのように。
窓外
白に満ちて
我々は皆
「あんぎお日記」(1991年12月16日)
十二月十六日(月)
II嬢より小包が届く。スイスからの日本語の本。
『飛ぶ夢をしばらくみない』(山田太一)
『ピカソ 偽りの伝説』(A・S・ハリフィントン)
彼女と私の継続する共犯関係。
午前中の二、三時間で『飛ぶ夢~』を読了。山田太一面白かった。すべての年代の女性を具現する一個の身体であるK嬢のことを考える。私にはコントロール不能な(彼女の? 私たちの?)運命の力は自分の意志の連続性をずたず
「あんぎお日記」(1991年12月15日)
十二月十五日(日)
わたくしの眉間に
片脚で爪先立ちたる
夢魔【ナイトメア】去れり
捩じれたる唇。小学校二年の時に読んだシャーロック・ホームズの話を思い出す。もっともその男の場合には、スポンジで拭き取れた捩じれた唇もなくなった訳だが。
よそよそしい顎たち。
夕方、顔に感覚が戻り始める。冷たいスプーンを押し当てたよう。
無重力状態の食事。
点滴が外れたら急に正常に戻った脳。
「あんぎお日記」(1991年12月14日)
十二月十四日(土)
刻々と恢復していくのがわかる。
竹中労の最期の日々を想う。
昨夜は意識が混濁していた。プールの底に沈むように。
もの凄い顔をしている。スクランブルフェイス。
(妹画)
「あんぎお日記」(1991年12月13日)
十二月十三日(金)
肩を軽く叩かれて目覚める朝六時前は室内も窓の外もまだ暗闇。意識が夢の余韻におぼれ、外界に対しての準備ができぬうちに、横向きで浣腸される。夢の勢いは猛烈に残っていて手脚の先でもうずいているが、具体的な内容は咄嗟には思い返すことができない頭を携えてトイレへとスリッパを引き摺る。
トイレで夢が帰ってくる。自分の片眼の拡大写真を撮ってもらう。60x30㎝大。パフォーマンスのシリーズ