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絶対好きになる”ラブコメ”史入門

1.ラブコメこそ至上の悦びである

 最近少し古い深夜アニメをよく見ている。その流れの中で、『とらドラ!』という作品と出会った。見た目が不良な好青年「竜児」とツンデレ美少女「大河」の恋を描いた王道ラブコメである。その作品自体すごく面白くて一昼夜釘宮ボイスが頭から離れなくなるほどハマってしまったのだが、そのアニメの感想に驚くべきものを見つけた。それが「とらドラ!は元祖ラブコメだ」というもの。

 いくら何でも「元祖」ということはないだろ!!と突っ込んでしまった。なんていったって、『とらドラ!』は2008年の作品である。ラブコメというジャンルがたかが13年の歴史しかないなんて思えない。だが、案外その手『元祖』の感想はTwitterなどを見ても多かった。

 後々気づいたのだが、アニメ漫画界隈ではラブコメという言葉を独特のニュアンスを含んで用いるらしい。とある大学教授がとある本にこんなことを書いていた。

 ためしに勤務先の学生諸君に、<ラブコメ>と聞くとどんなものを想像するかと尋ねてみた。答えをまとめると、こんな感じだ。
 主人公は、眼鏡をかけた地味な女子中学生か高校生である。同じ学校の長身痩躯の超ハンサム、もしくは乱暴者として知られる男子が彼女の前に現れて交際を迫る。女の子はさからえず、付き合うことになる。女子は眼鏡をはずすとたいへんな美少女で、相手に引っ張りまわされながらも心を通わせていく。男子はお城のような屋敷に住む<王子様>だったり、幼少時に不幸な体験をしていたりするが、いずれにしても高飛車な態度を改め、やさしく接してくれるようになる。男子のそばには恋人気取りのお洒落な少女がいて、ヒロインに嫌がらせをするのも定番的らしい。 (瀬川 , p14)

 結局この本で教授は「私が書きたいのはこんな狭い範囲の恋愛モノのことではない!」との理由でラブコメという言葉を使わない宣言をするのだが、私はそもそもラブコメという言葉をそんなに狭い照準の言葉にすること自体大反対である。

 だって、私は小さい頃から当たり前にラブコメという言葉を使ってきたし、ラブコメが好きだった。『やまとなでしこ』に『花より男子』。今までそれらの『とらドラ』以前の映像作品に対してラブコメという言葉を使ってきたのに、今更やめるわけにはいかない。やめる道理がない。そこで今回改めて大雑把にラブコメとは何かを考えて、ラブコメの歴史を振り返ってみたい。ということなのだ。

2.ラブコメとは何か?ーーー恋と嘘

 ラブコメは面白い。では何がその面白さをもたらしているのか。それを考えるため、まずはラブコメの王道要素を二つ並べてみたいと思う。

1.主人公が、恋の相手に対し、嘘をつかなくてはいけない状態に陥る
2.主人公が、恋してはいけないと思っている相手に、恋をしてしまう

 多くのラブコメが上の二つのどちらか、あるいは両方の要素を併せ持っているのではないだろうか。たとえば『やまとなでしこ』の例を見ていこう。

 『やまとなでしこ』では堤真一演じる主人公がただの魚屋にも関わらず、玉の輿を夢見るキャビンアテンダント(松嶋菜々子)にお金持ちと勘違いされることからはじまる。結局、主人公は松嶋菜々子に惚れてしまうが、悲しいことに松嶋菜々子の目的は玉の輿に乗ることひとつ。主人公がお金持ちでないとばれれば松嶋菜々子は幻滅し離れていってしまうだろう。堤真一はそれをわかっているからこそ一生懸命にお金持ちのフリをする。その様が滑稽であり面白い。これはまさに恋の相手に嘘をつかなくてはいけなくなるという1番のパターンである。

 しかし、物語も後半になると話は変わる。主人公がただの魚屋であることがばれてしまうのだ。しかし、松嶋菜々子は知らず知らずのうちに堤真一に惹かれてしまっていた。となれば今度は2番のパターンとなる。というのも松嶋菜々子にとってお金持ちでない相手に恋することはいけないことだからだ。なのに恋してしまった。結果として素直になれず、滑稽な言動や行動をとってしまうのである。

 2番のパターンは『やまとなでしこ』の例の他にも、恋愛に無縁だと思っていた真面目くん(ちゃん)が恋をしてしまって戸惑いあたふたするというパターンや、恋の相談に乗っていた相手に、うっかり恋してしまうというパターンもある。『とらドラ!』はまさにこの例に当てはまるだろう。

 この二つのパターンは共通して主人公が嘘をついていることがいえる。というのも、1番のパターンは言わずもがなであり、2番のパターンは自分自身の素直な気持ちに嘘をついているからだ。もちろん上記二つのパターン以外にラブコメたらしめる要素はあるのかもしれないが、いったんはこの二つの要素の有無で、言い換えてしまえば、作品に恋と嘘があるかどうかでラブコメ度を判断していきたい。また、わかりやすさのために今後1番のパターーンを嘘つきパターンと言い、2番のパターンを禁断の恋パターンと呼ぶ。

 ちなみに、『恋と嘘』という少女漫画があるなか恐縮だが、今回は映像作品のみにターゲットを絞るうえ、筆者の見たことがある作品に対象を絞るため網羅性は期待しないでほしい。

3.ラブコメの誕生はいつ? 1910年代

 さて、ラブコメの誕生はいつだろうか。実はシェイクスピアの『十二夜』という戯曲がまさにラブコメ二大要素を兼ね備えているので、これを誕生の一作としたいのであるが、今回は映像作品に絞るため取り上げない。

 映像となればまずは映画から見ていくことになるが、映画の黎明期は放水ホースで水がどばーっってなって人がびしょびしょになるといったストーリー性に乏しいギャグ映像的な作品が主であり、恋愛の機微を描くには適さないとされていた(らしい)。そんななかで最初期に恋愛をテーマに映画を作ったのがセシル・B・デミルという監督である。

 その中でも特にラブコメっぽいのが、『醒めよ人妻』(1918)だ。Wikipediaのページで英語版を鑑賞することができる。https://en.wikipedia.org/wiki/File:Old_Wives_for_New_(1918).webm

 まず、あらすじを説明したい。まず、大金持ちの主人公は、太ってしまった妻にほとほと愛想がつきている。そんなとき狩りで素敵な女性ジュリエットと出会い恋に落ちてしまう(不倫である)。一度は自らが既婚であることを伝え、別れるものの、後ほどヨーロッパで再会。その際、殺人事件に巻き込まれ、ジュリエットは醜聞の的となってしまう。主人公は彼女の疑いを晴らし、妻と離婚し、ジュリエットと結婚するという内容だ。

 この作品では禁断の恋パターンとして、今ではあまりない不倫がモチーフとなっており。ストーリーとしてはラブコメ的と言っていい内容となっている。しかし、この作品ではそのモチーフがコメディとして昇華できているかを、字幕を読み取る自分の英語力では読み解けず(実はすごくユーモラスなことが書いてあったかもしれない)、少なくとも映像としてはそのように感じなかった。正直かなり微妙なラインである。

4.喜劇王のラブコメ映画 1920年代

 では、誰もがラブコメと呼べるような作品はいつから出てくるようになるのか。それは三大喜劇王の出演している一連のコメディ作品からであろう。三大喜劇王とは、チャップリン、キートン、ロイドのことである。その身体能力とギャグセンスで未だに強い人気のある彼らであるが、彼らはそういったコメディ映画を作る中で恋愛をテーマにすることが多々あった。

 たとえば『醒めよ人妻』の5年後1923年に製作されたロイドの代表作『ロイドの要心無用』なんかは非常にわかりやすい。

 田舎に残る恋人に、「都会で出世したぞ!」と見栄を張り無理して貢いでいるサラリーマンが主人公だ。しかし、悲しいかな主人公はただのデパートの店員。そんなある日、ついに恋人が会いに来てしまう。そして「出世したなら結婚するお金くらいあるわよね」と迫られるはめに。なんとか嘘をつきとおそうとお金を集めるために奮闘する主人公。最後のビルをよじ登るシーンは非常に有名で笑えるシーンとなっている。

 どうだろう。ほとんど『やまとなでしこ』の原型と言っていいのではないだろうか?完全に噓つきパターンの典型である。そしてこの作品では、嘘を突きとおすために主人公のとる行動・言動が面白おかしく描かれており、コメディ作品として成功していて、非のつけどころがない。

 続いて『ロイドの要心無用』の翌年1924年に制作された『キートンのセブンチャンス』を見ていきたい。

 好きな相手に気持ちを伝えられずにいた主人公。その祖父が「27回目の誕生日の午後7時までに結婚すれば700万ドルの遺産が入る」と遺言に書き残し死んでしまう。誕生日はなんと今日。慌てた主人公は、例の相手に早速プロポーズするも「金目当てでしょ」とフラれてしまう。遺産がとにかく欲しい主人公は新聞に”結婚相手募集”の広告を出すと、なんと大変、何百人もの花嫁候補者に追いかけられるはめに。必死で主人公は逃げるのだった。。。

 この作品のラブコメたる要素は、主人公が好きな子に対し「遺産のために誰かと結婚する必要があるんだ」と本心とは違うことをを言ってしまう点。素直に「好きだ」と言えばいいのに、それが言えないがために断られてしまい、「誰でもいいから結婚したい人」を演じ続けなくてはいけなくなってしまうそのおかしさ。でもほんとは他の誰でもなくあの子と結婚したいという切なさ。そう。なんと噓つきパターン応用的ラブコメ作品がなんと1924年には作られていたのだ。

 このように、1920年代には喜劇王たちの手によって比較的高度なラブコメ作品がすでに製作されはじめていたのである。とはいってもこの時点では、ラブコメはクライマックスの喜劇王の芸の見せ場(ロイドではビルよじ登りであり、キートンでは追いかけっこ)を盛り上げるための仕掛けでしかなく、あくまで映画のストーリーを支える補助輪でしかなかった。

5.チャップリンの名作とドイツ喜劇 1930年代

 そして、時は流れ1931年。ラブコメ史に残る名作が名優チャップリンの手によって作られる。『街の灯』だ。

 盲目の少女にお金持ちと勘違いされたチャップリンが懸命にお金持ちのフリをするという噓つきパターンの典型であるが、相手が盲目の少女である点やチャップリン特有の悲哀・皮肉の要素が加わり、ものすごい感動作となっている。この作品において、もはやラブコメはただの芸を盛り上げるための補助輪ではなくなり、映画を彩る主役となったのである。こうして、サイレント時代のラブコメは完成された。

 そして、1930年代。本格的にトーキー映画(音付き映画)の時代がはじまることになるが、トーキー映画以降のラブコメの方向性を決定づけたのがエルンスト・ルビッチをはじめとするドイツ流の喜劇映画であった。ルビッチはすでに1924年『結婚哲学』という優れたラブコメ作品を手掛けており、その作風はルビッチ・タッチと評された。ルビッチ・タッチとは彼の得意とした上品かつエレガントでウィットに富んだ演出(小道具や扉の粋な使用など)やセリフ回しに対しての言葉であり、映画界におけるラブコメの一つの理想として多くの後世の映画監督たちに影響を与えることとなる。
 ※ウェルメイドであったりソフィスティケイテッド・コメディとも呼ぶ。

 まずは、ドイツ流ラブコメの代表作としてエリック・シャレル監督の名画『会議は踊る』(1931年)を挙げておきたい。

 花屋の宣伝のためにロシア皇帝の乗る馬車に花束を投げ入れた娘。しかし爆弾と間違われ逮捕されてしまう。これがきっかけで始まるロシア皇帝と花屋の恋が主題だが、身分の差は禁断の恋パターンの面白みを生み、物語の後半ロシア皇帝が影武者を用意することで噓つきパターンの面白みも生まれる名作だ。

 ルビッチの代表作としては『陽気な中尉さん』(1931年)を挙げたい。身分の高いものの恋愛が描かれるのがドイツ喜劇の特徴であり、それゆえ上品さが研ぎ澄まされていったのだろう。下のチェス盤のシーンなど最高としか言いようがない。

 先ほどルビッチは後世の映画監督に影響を与えたと書いたが、日本の小津安二郎も例外ではない。現に1931年小津は『淑女と髭』という作品を作っている。剣道一筋の男が髭を剃ったら突然モテまくっててんやわんやというハーレムもののアニメのようなストーリーのラブコメだ。

6.スクリューボールドコメディの席巻 

 『或る夜の出来事(1934年)はラブコメ史におけるひとつの事件であった。何がどう事件かというと、まず、アカデミー賞をはじめて主要五部門総なめにした。そしてスクリューボールドコメディという新たなジャンルが流行を生み出し、そして現代にまで通ずるさまざまなラブコメの定番を生み出した。聞けば聞くほどラブコメの教科書と言っていい。『或る夜の出来事』とはそんな作品である。

 『或る夜の出来事』を制作したのはフランク・キャプラというアメリカですでに人気を確立していた喜劇映画監督で。1928年にはすでにサイレントで『陽気な踊り子』という少し悲し気なラブコメの傑作を作っており、1934年の『奇蹟の処女』もラブコメとして秀作だったが、『或る夜の出来事』には及ばないだろう。では『或る夜の出来事』のあらすじを説明する。

 大金持ちの令嬢の娘はその窮屈さに辟易、クルーザーから海に飛び込み脱出、逃げ出してしまう。そして乗り込んだバスの中で男と出会う。男は失業中の新聞記者、何かいいネタはないかとバスに乗り込むとなんとそこには行方不明となった大金持ちの令嬢が!これはスクープになるぞと行動を共にするが二人はやがて惹かれていってしまう。

 お気づきになった方も多いと思うが、まずストーリー自体がラブコメの名作『ローマの休日』(1953)の元ネタとなっており、『ノッティングヒルの恋人』(1999)へと通ずる嘘をついてる有名人に対して気づかないふりして接するパターンのラブコメの嚆矢となっているのだ。

 それだけじゃない。このラブコメ映画ではちょっと変人な二人の出会いは喧嘩から始まり、その後も二人は喧嘩のようなテンポの良いやりとりを延々続ける。今では超ド定番なこのケンカップルシステムを最初に完成させたがこの作品なのだ(と言われているがもっと昔からありそうな気もしてはいる)。これらのシステムを取り入れた作品(変人・喧嘩・波乱)は当時スクリューボールドコメディと称され1930年代~1940年代にかけて量産されるようになった。

 さらに、『或る夜の出来事』のラストシーンは、のちに定番となるあるパターンを生む。それは結婚式に運命の人が現れかっさらっていくというお決まりのアレだ。このパターンは、『卒業』(1967年)や『プロポーズ大作戦』(2007)でも真似されることとなった。

 さらにもう一つ生み出した定番として挙げたいのが、「素直になれない二人が同じ部屋で一夜を共にしなくてはいけなくなってしまう」というアレである。ジェリコの壁という神話のワードを持ち出し二人で寝るシーンは『新世紀エヴァンゲリオン』の9話『瞬間心重ねて』でそのまま再現された。

 ここまで読んでもらえればいかに『或る夜の出来事』が強い影響力を持っているかがわかってもらえただろう。まさに、今私たちが愛するラブコメとは『或る夜の出来事』によってはじめて一つのジャンルとして確立したといえるのだ。この章では最後にスクリューボールドコメディの名作を一つ紹介したい。

 少し時代は先へ進むが『教授と美女』(1941年)という作品だ。監督はどんなジャンルの映画も名作にしてしまう名匠ハワード・ホークスである。

 百科事典の編纂のため館にこもる8人の教授たちがいた。ある日、一人の言語学の教授が自分自身がスラングを知らないことに気づき、スラングの勉強のため街へ繰り出す。そこで一人の踊り子と出会い研究協力を依頼するが嫌がられてしまう。しかし殺人事件が起き、彼女は警察の追われる身に。彼女は身を隠すためにしょうがなく教授に協力することとなり、館での奇妙な共同生活が始まるのだった。

 この作品は、研究一筋で女に不慣れな教授たちと美女の共同生活をおもしろおかしく描いているという点で『ビッグバンセオリー』(2007)や『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)に通ずる系譜のはしりとなっている。また、恋をしてはいけない相手に何故恋をしてしまうのか?という問題の説明を共同生活に求める点でも非常に典型的なラブコメだ。そういう意味で『ロングバケーション』(1996)に通ずるといっていいかもしれない。

7.なりすましコメディの系譜 ビリー・ワイルダー

 なりすましコメディという言葉がある。主人公が何者かになりすましながら恋に落ちてしまうという典型パターンであり、噓つきパターンの典型の一つであるが、ここからは本格的にあの手この手のなりすましコメディが作られ、そのなかでより洗練されたより美しい脚本の作品へと進化していった時代となるため、このワードを手掛かりにラブコメ史を追っていきたい。

 まずは、以前一度紹介したエルンスト・ルビッチの作品から始めたい。ここで取り上げるのは『街角 桃色の店』(1940)だ。

 文通の相手に恋をしていたら、実は身近なあの人だったなんて??という作品。文通で別人格になりすますといった点では、なりすましコメディと言ってもいいだろう。この作品は『グッドオールドサマータイム』(1949)、『ユー・ガット・メール』(1998)と何度かリメイクされている。また、最近話題となったネットフリックスのLGBT映画『ハーフ・オブ・イット』にも通ずる文通系ラブコメの古典作品となっている。

 そして、ここからラブコメ史の中心人物となるのがビリー・ワイルダーという映画監督だ。エルンスト・ルビッチの弟子であった彼は、ルビッチ・タッチをさらに洗練化していくこととなる。そんな彼が得意としたのがこのなりすましコメディだったのである。

 まずは、1939年の『ミッドナイト』という作品。当時はまだビリー・ワイルダー監督デビュー前であり、脚本だけを手掛けた作品となる。内容は、パリに逃げてきたイヴという女性が、偽の招待状で舞踏会に忍び込み架空のチェルニー男爵の夫人として振る舞うというもの。

 1942年、ビリー・ワイルダーのアメリカでの初監督作品は『少佐と少女』という映画であった。格安料金で電車に乗るため少女のフリをするジンジャー・ロジャースと、彼女を可哀そうな少女だと思い、かくまってあげる優しい少佐のラブコメである。ここでジンジャー・ロジャースが少女に見えるかどうかは問題ではない。それを補ってあまりある精緻な脚本がジンジャー・ロジャースを少女にするのである。

 そして1959年あの名作が誕生する。『お熱いのがお好き』である。仕事を失った楽器弾き二人が、うっかりギャングの殺しの現場を見てしまい命を狙われる身に。そんなときに女性楽団の求人があり、これ幸い仕事にもつけるし隠れることもできるぞ!と女装してその楽団に入る。そこで出会ったマリリン・モンローに二人とも恋に落ちるが、あくまで女性のフリをしなくてはいけない身の上。そこで二人はあの手この手でマリリン・モンローを取り合おうとするという内容。

 この冒頭の流れはまんま『天使にラブソングを...』(1992)『スクール・オブ・ロック』(2003)でも真似されるコメディの手法となり、女装ものは『トッツィー』(1982)に受け継がれることとなる。『お熱いのがお好き』はサスペンスにラブストーリーという多くの要素を含みながら小道具などを巧みに使い見事に一本のラブコメ映画としてまとめあげられている。そうした工夫と巧みな演出によってすべての登場人物に丁寧に動機付けがされており、ラブコメ作品に付き物であった展開の不自然さがほとんど排除されている。このように脚本上一切瑕疵のない『お熱いのがお好き』と1960年の『アパートの鍵貸します』は合わせてラブコメの最高傑作とされている。(特にこの壊れた手鏡のシーンはあまりの素晴らしさにひとつの語り草となっている)。この二作品こそが、ラブコメ史におけるひとつの到達点なのである。

 最後に紹介するのは『あなただけは今晩は』(1963)という作品。愛する娼婦イルマのためにX卿という富豪をでっち上げ扮装し、娼婦をやめさせようと寝る間も惜しんで金を稼ぎ奮闘する男の話である。基本的にはお金持ちのフリをする『街の灯』のような話である。この映画の「これはまた別の話」というセリフはビリーワイルダーを敬愛する三谷幸喜氏によって『王様のレストラン』(1995)でも真似された。

 こういったお金持ちのフリをする作品もなりすましコメディと言え、そう考えてみるとのちのディズニー映画『アラジン』(1992)などもこの系譜に入れることができそうである。

 ほかにもなりすましコメディはさまざまなパターンがある。恋人のフリを頼まれた結果恋人同士になるパターン、『オー・マイ・ボス』(2021)やその応用として作られた『リコカツ』(2021)などもここに入る。このパターンは、噓つきパターンと禁断の恋パターンを同時に生み出すことができる設定であるため大変重宝される。

8.それ以後のハリウッド・ラブコメ映画

 ビリー・ワイルダー以後のラブコメ映画については、著名なものをいくつか紹介するにとどめたい。キリがないからだ。

 狂言自殺が趣味の少年と、老婆の恋を描いたアメリカンニューシネマの名作『ハロルドとモード』(1971)。ベトナム戦争やテレビの登場を背景にを全面に打ち出した異色のラブコメとなっている。

 1977年のウディ・アレンの『アニーホール』では、性的満足が得られないことを大げさに嘆く主人公を描くとで、もはやラブロマンスなど現実的でなくなってしまった70年代の世界で、ナーヴァス・ロマンスという新たなジャンルを創出した。

9.90年代ラブコメと月9

 1980年代後半から1990年代にかけて、メグ・ライアンというラブコメの女王と呼ばれた女優のブレイクと共にハリウッドはラブコメブームに沸く。
恋人たちの予感』(1989)、『プリティ・ウーマン』(1990)、『めぐり逢えたら』(1993)、『恋はデジャヴ』(1993)、『恋愛小説家』(1997)、『メリーに首ったけ』(1998)、『ユーガットメール』(1998)、『ノッティングヒルの恋人』(1999)などこういった具合だ。どれも名作である。

 『めぐり逢えたら』(1993)という作品は、1939年に製作された『邂逅(めぐり逢い)』という何度もリメイクされた作品をベースに作られた作品である。この『めぐり逢い』シリーズはどれも、運命の恋エンパイアステートビルでの再会の約束というロマンチックな要素が今なお心をつかんで離さない名作だ。また、男女のすれ違いを全面に打ち出した作品としても評価しえるだろう。

 実は、このあたりのラブコメは月9作品に大きな影響を与えている。そもそも月9といえば野島伸司の『愛しあってるかい!』など男女が合コンのような会話を延々続けるいわゆるトレンディードラマのイメージがあるがそれは『東京ラブストーリー』が放映されるまでの話。東京ラブストーリー以降の月9は純愛をテーマに、ハリウッドのラブコメ映画を参考にして様々な名作が作られるようになるのだ。

 また、月9に限らずハリウッド映画はテレビドラマに大きな影響を与えており、たとえば偏屈で潔癖症な小説家が犬を預かることをきっかけに恋を知る『恋愛小説家』(1997)が『結婚できない男』(2006)に影響を与えていることは明らかである。

 そうしたなかで生まれた名作が、『やまとなでしこ』(2000)である。この作品において、ついに、小道具の使用やウィットのきいたセリフなどまるでビリーワイルダー作品のような脚本スタイルを見事に月9ドラマで実現させることに成功した。そういった意味で『やまとなでしこ』こそが日本のテレビドラマ界におけるラブコメ史のひとつの到達点と言える。

10.少女漫画原作の時代 2000年代

 やがて月9の時代は終え、『花より男子』(2005)の大ヒットにより各局により少女漫画の映像化が活況となる。(この状況はアニメ界においてもノイタミナ枠が同様の状態だった)『のだめカンタービレ』(2006)、『山田太郎ものがたり』(2007)、『花ざかりの君たちへ』(2007)、王子様のようなイケメンたちに翻弄される普通の女の子が出てくるこれらの作品は一見、奇抜であるが物語の構造は古典的作品と同じである。


 『のだめカンタービレ』は変態の森に入ってはいけないと思っている千秋が素直になるまでの話という禁断の恋パターンの典型であり、『山田太郎ものがたり』はお金持ちじゃない人に恋してしまうという禁断の恋パターンである。『花ざかりの君たちへ』は言わずもがなのなりすましコメディの一種であり、中津目線で見れば恋してはいけない人(=男)に恋をしてしまうという禁断の恋パターンのラブコメとなる。このパターンはそのまま『おっさんずラブ』でも描かれることとなる。

 またこの時期、ギャルゲーを原作に名作を次々とアニメ化していた京都アニメーションが『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)という作品を発表している。変人と変人の奇妙なセカイでの奇妙な会話が織りなすこのラブコメ作品は萌えアニメブームを本格化させ多くの追随作品を生み出した。そのなかでも9話の『サムデイインザレイン』というカーディガンをめぐる回は出色の出来となっている。というのも、ラブコメにおけるごくごく日常的な面のそのなかでも空気感としか言いようがない面を見事に切り取り、それだけで作品を成立させているのだ。このようにゼロ年代においては日本のアニメにおいてもチャレンジングなラブコメが作られた。

12.さいごに

 2010年代に入るとテレビドラマはラブコメを作らなくなり、その需要を埋めるように胸キュン邦画時代へと突入するが、その間の作品で取り上げるべきなのは、野木亜紀子氏が脚本を手掛けた『俺物語!!』(2015)くらいだろうか。

 しかしやがてTBS火10枠にてラブコメ作品が制作されるようになり、2016年ついに『逃げるは恥だが役に立つ』が大ヒット。その後も『恋は続くよどこまでも』(2020)がヒットするなど、再びラブコメの時代がやってきたかのように思える。ハリウッド映画においても、『スウィート17モンスター』(2016)『アイ・フィール・プリティ』(2018)『ブックスマート』(2019)など、近年話題作は多い。

 また、2021年には邦画界で見逃せない名作が誕生した。スクリューボールドコメディの影響を公言している『まともじゃないのは君も一緒』(2021)という作品である。

 まともじゃない予備校講師の男が、結婚するために生徒であるJKの指南をうけながら、投資会社の社員を装いある女性にアタックするという内容だ。  

 日本では、アメリカ型ラブコメディをそのままトレースするとそのウィットに富んだ会話様式などどうにもしらけてしまいがちであったが、『まともじゃないのは君も一緒』は、『教授と美女』のスタイルを予備校生とJKへと換骨奪胎し、そこに恋愛指南・なりすましコメディという定番ラブコメ要素を丁寧に組み込むことで見事にそれを成功させた。

 さらに言えば、この作品はまったくラブコメ要素しかないという点でも素晴らしい。本当に予備校講師とJKが不思議な会話を続けているだけなのだ。これぞ、スクリューボールドコメディの純粋化の極致と言いたい。そのような挑戦を成功させているという点で『まともじゃないのは君も一緒』という作品は日本のラブコメにひとつの新しい可能性を示してくれる作品といえる。

 このように、現状ラブコメ界は活況に包まれている。そんななか今後どのようなラブコメが生まれてくるのかを期待していきたい。

参考文献
・瀬川裕司『映画講義 ロマンティック・コメディ』(2020)
・日経エンタテインメントNo.294 特集”ラブストーリー”の新潮流(2021)


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