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7月27日の新聞1面のコラムたち

 涌井慎です。趣味は新聞1面のコラムを読むことです。7月27日の読売新聞『編集手帳』に江戸時代の狂歌が紹介されていました。

世の中は金と女が仇なり

 考えてみたら仇に嫌われてばかりの人生です。仇にならないように避けているのかもしれません。金に関していえば、あればあるほど幸せということは無いような気がしています。持たざる者の僻み根性がそうさせるのでしょうか。こちとら、一回の飲み代5千円ばかりが惜しくて家で宝焼酎ハイボールを飲み干しているっていうのにオリンピック組織委元理事は紳士服大手から4500万円受領しただとか、国葬は全て国税でいくらかかるだとか、そんな話を聞いていると、金が仇なのではなく、あいつらが仇なんじゃないかと思います。「あいつら」には、あなたの思う顔を当てはめてください。

 吉田茂ちゃんの訃報をフィリピンで受け取った佐藤栄作ちゃんは、即座に東京に電話して、国葬を取り計らうように命じたそうです。7月27日の京都新聞『凡語』冒頭に書かれていました。時は1967年10月20日。その三日後には戦後初の国葬を閣議決定したといいます。執行は31日。これがハロウィンの始まりである、と民明書房刊の書籍に書いていました。いかんいかん、政治と宗教的行事は切り離されていなければ。冗談はさておき、今回の国葬は戦後2例目。根拠法はどこにあるのか。民意が本当に反映されてあるのか。これが国民の総意なのだとすれば、国民だと思われていない国民が多数いることになり、「あいつら」にとって国民とは支持者のことなのだと落胆してしまいます。

 立場や主義主張の違う全ての人たちを納得させる政策なんぞ無いのかもしれませんが、切り捨ててもいい人なんていないはずです。仮に切り捨てざるを得ないのであれば、そこには断腸の思いが欲しい。仮に演技であろうとも、その断腸を見せてほしい。7月27日の産経新聞『産経抄』は、ローカル線の赤字問題に触れていました。新型コロナ禍が輸送人員の減少に拍車をかけていて、国土交通省の有識者会議がこのほど、ローカル線の見直し基準をまとめたそうです。1キロあたりの1日平均乗客数千人未満が目安の一つとなるらしい。これこそ「切り捨て」ではありませんか。収支度外視にできない事情もわかりますが、しかし、なんとかならないものですかしら。年末年度末のたびに道路工事を頑張るのなら、ローカル線だってなんとかできやしませんかしらね。こんなところでも「あいつら」が仇になってやしませんかしら。

 この国の「あいつら」にも困ったもんですが、ミャンマーの「あいつら」も実に困ったものです。7月27日の毎日新聞『余録』には、ミャンマーで改革を目指していた若き政治家ら4人の民主活動家が形場の露と消えたとありました。1976年以来となる政治犯の死刑執行です。国連も「残酷で時代に逆行している」と非難しています。今日の新聞では、ミャンマーとは別の国でも死刑が執行されたことが大きく報じられていました。2008年6月、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した死刑囚でした。死刑執行を受け、死刑制度に反対する7団体が昨日、会見を開き「国際社会の信頼を失う」「犯罪抑止には逆効果だ」などと抗議しています。身勝手な動機によって尊い人の命が奪われる卑劣な事件は断じて許されないことについては、異論を挟む余地はありません。しかし、死刑によって奪われる命は・・・ということは、どうしても考えてしまいます。これについては、どこの「あいつら」に怒りをぶつけ」ばよいのでしょうか。

 さて。7月27日の朝日新聞『天声人語』と日経新聞『春秋』が話題にしていたのは「サル痘」。いま、スマホで初めて「さるとう」って打ってみたんですが、見事に「サル痘」と変換しやがりました。この子、どこで学習しているんでしょう。恐ろしや。しかし、この子は、どれだけ知識が豊富でも、知識Aと知識Bを組み合わせて新しい発想を導き出すというようなことはできません。そこに我々人間が「あいつら」に勝る余地があると思うのです。そのことを私が生まれるより前に『青い宇宙の冒険』という小説に書いていた小松左京ちゃんは、やっぱりかなりグレートだったといえるでしょう。

 『天声人語』はアメリカの作家エドガー・アラン・ポーちゃんの書いた感染してわずか半時間で痛みや目まいが生じ、全身から夥しい出血を経て死に至る架空の感染症を描いた『赤死病の仮面』という小説について取り上げていました。小説はフィクションですが、フィクションだからこそ真実に切り込めるところもあります。「小説なんてフィクションなんだから読むだけ無駄」という人もいますが、それは、無駄だと思って読むから無駄なのであって、あなたの姿勢の問題を作品に転嫁させてはいけませんことよ。作品が悪いのではなく、許容しない自分が悪いのだという謙虚な態度が、ご自分のセンスに自信をお持ちの方ほど消えていくのは、どうしようもないのでしょうか。

 『春秋』は芥川龍之介ちゃんを取り上げていました。芥川ちゃんはスペイン風邪に罹患した際、「うつるといけないから来ちや駄目です」と知人たちへの気遣いをみせていたようです。周りの友人は芥川ちゃんにどんな態度を取っていたのでしょうか。バイ菌を見るような態度で5m先で鼻を摘み、後退りしながら、お見舞い品を置いていかれたりしたのでしょうか。正しい知識を身につけておかないと、そういう過剰な防御の仕方で感染者にコロナではない傷を負わせたりもするのです。当の本人は、そのことで傷つけているという自覚さえないのです。『春秋』は「この2年余りで「正しく恐れる」ための知恵をつけ、社会はより優しくなれただろうか。でなければ、それこそウイルスへの敗北だ。」と締めくくられています。

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