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短編小説『某うどん』

 子供の頃、あれはまだ小学校の低学年だったんじゃないかと思う。父と母と妹と四人でボウリング場へ行った。中学生の兄はもう家族でのお出かけには付いてこなかったんじゃないかと思う。まあ、その辺の記憶は曖昧だ。兄もいたかもしれない。
 高校では野球部に所属し、外野から中継の内野まで3バウンドさせてしまうくらいの弱肩で鳴らした俺の才能の片鱗がもうこの頃には顕れており、俺の放ったボウリング球は何度もレーンの途中で止まってしまった。止まるたびに派手な色のジャンパーを着たスタッフがやってきて処置してくれた。どんな処置だったかは覚えていない。
 ボウリング終わりだったか、始まる前だったか、国道沿いのうどん屋さんでお昼ごはんを食べた。僕が注文したのは天ぷらうどんだったんじゃないか。きつねうどんだったかもしれない。何うどんだったかはこの際どうでもよいのだが、とにかくその某うどんがべらぼうに美味くて両親も妹もまだ食べているうちに俺一人だけがその某うどんを平らげてしまっていた。
 子供が美味しくご飯を食べる姿は親にとって実に喜ばしいものなのだと知ったのは俺自身が親になってからのことで、きっとあの時も両親は俺のことが愛おしかったに違いない。満面に笑みを浮かべ「おかわりするか」と聞く母の表情はよく覚えている。俺が頷くとすぐに店員さんを呼んでくれ、「このおうどん、もう一杯ください」と注文してくれた。本当はちゃんとうどんの種類は告げていたと思う。
 しかし、いざおかわりが目の前にやってきたら途端にお腹が満たされてしまった俺は、一口二口うどんを啜っただけで箸を置いてしまった。欲張っておきながら、その欲を回収できないのは褒められたものではない。母親は苦笑し、確か父親が無理をして俺の分まで完食したのではなかったかと思う。
 立秋を過ぎ残暑が厳しい頃になるとあの日のことを思い出す。

おかわりを食べ残したる残暑かな

蠱惑暇(こわくいとま)

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