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Long Hot Summer

 祇園祭は後祭りです。
 山鉾巡行は八坂神社からの神輿渡御の神幸祭(7月17日)と還幸祭(7月24日)の先触れとして、前祭と後祭の巡行を17日と24日に行うのが伝統でしたが、1966年、いろんな事情があって17日に一本化されました。一日に集中させたほうが何かと都合よかったんでしょう。一本化された巡行は前祭の山鉾が先に進み、当時の山9基はそれに続いていました。
 ここまで、今日の京都新聞の記事を引用しつつ書いているのですが、記事によると、後祭関係者はこの仕打ちについて長年悔しい思いをしてきたらしい。なんでわしら、後ろやねんと。30基以上が連なる巡行は行列が間延びしてしまい、後祭の山がゴール近い御池通りを通る頃には観客がいないこともあったそうです。わしは東◯神起が出たあとの浜◯あゆみかえ!と怒っておられた方もいたとかいないとか。こういう話を聞くと、つくづく、「くじ取り式」というのは大事なのだなと思います。みんな前を行きたいんですね。

 そんな合同巡行が再び前祭と後祭に分かれたのが今から10年前。もう10年前!!?ここで渡辺美里の10yearsが流れるか、もしくはサザンの忘れられたBig Waveが流れるか。今日の私は前者でした。
 2014年、再び巡行が分離するのにあわせ、後祭の大船鉾が復活。その前に2012年、後祭側の巡行順が140年ぶりに橋弁慶山を先頭に据えることとなり、大船鉾は唐櫃のみで最後尾を巡行しました。江戸時代以前の巡行に近づけたわけてす。当時、お昼の番組には京都の年中行事を紹介するKYOTO QUESTというコーナーがあり、私はこのコーナーの台本を担当していました。大船鉾の復活は大きなニュースでもありましたから、コーナーでも取り上げました。懐かしい。思い入れのあるコーナーも今は無くなってしまった。実に残念です。原稿用紙一枚分の短い文章で要点をまとめて解説するKYOTO QUESTと、その日の京都のイベントなどを紹介するKYOTO TODAYというコーナーの原稿を書くことは原稿書きの基本を学べ、制作スタッフにとっても意味があったと思います。今、こうして毎日noteに文章を書いているのも、あのコーナーがあったからこそだと思います。私は「育成」というところに配慮のあった最後の時代に育ててもらったと思います。

 ついつい話が脱線してしまいました。
 こういう原稿を書くとしばかれました。育成に暴力がセットになっていたのも私の時代が最後だったかもしれません。っていうか、私の頃には既に時代錯誤でありましたが。絶対に戻りたくはないですが、あのくらい無理やり矯正されなかったらどうにもならない人間だったとも思いますので、結果、自分にとってはよかったのかなと多少無理やりに納得させております。

 ※

 新町錦上ルの南観音山は通称「ミナカン」。本尊は楊柳観音座像と脇侍の善財童子です。山の後ろにある柳の枝は疫病を防ぐといわれています。見送りは加山又造の「龍王渡海図」。

ミナカン



 ミナカンを少し北へ、新町蛸薬師上ルの北観音山通称「キタカン」は楊柳観音像と韋駄天立像をまつっています。ミナカンもキタカンもどちらも巡行はくじ取らずですが、一年ごとに順番を入れ替えていたはず。今年はどっちが先だったかな。

キタカン


 後祭は毎年必ず、ミナカンとキタカンを眺めることにしています。脳内BGMはスタイルカウンシル通称「スタカン」のLONG HOT SUMMERです。ミナカンキタカンそしてスタカン。このリズムを楽しみたいがためにミナカンとキタカンを眺めるのです。LONGっていうだけあって尺が長いのでラジオ向きではありませんが、すごくいい曲なので毎年夏に必ずオンエアします。他の季節と比べて夏は「毎年絶対これをかけたい」と強く思う曲が数多くあります。やっぱり私は夏が好きなんだろうなと思います。進行形の夏よりも思い出す夏のほうが好きですけど。

スタカン


これは短いけど本当は7分くらいある。
まさにLong Hot Summer。

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