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短編小説『交通安全啓発小説』

 先日、車道を逆走しているおじさんがいたので「逆走は違反ですよ」と声を掛けたら「そんなもん知るか」と怒鳴りつけられたうえに顔面を殴打され血まみれになった。途中、我に返ったおじさんが「お、お、お、おれはほんまに逆走が違反やなんて知らんかったし、安全運転してるさかい危ないこともなかったのに、おまえが難癖つけてきたんが悪いんやからな」と捨て台詞を吐き、去っていった。自転車を押しながら走っていったように記憶している。

 千本三条の交差点にはまだその時の俺の血痕が残っており、毎朝通勤の際、通るたびに思い出し、額の傷がずきずきと疼くようになった。あの日、俺は「知らない」ということは無敵なのだと知った。どんな悪いことをしても、知らなければ「知らなかった」と言って罪を逃れ、正しいことを言ってくる人間を血だるまにすることさえできるのだ。ああ、どうして俺は幼い頃から勉強ばかりしてきたのだろう。知ってることが多すぎて損ばかりしているのではないか。正しさが必ずしも勝利するわけではないことくらい、これまでの人生で経験していることではないか、知らなかったとは言わせないぞ。

 傷の癒えた俺は何もかも知らなかったことにした。左手に持ったスマホでゲームしながら右手に持ったハイライトを吸い、両耳にはワイヤレスイヤホンを装着して大好きなスティービーのキーオブライフを聴き、ガムをくちゃくちゃさせながら車道を自転車で逆走した。歩道から苦虫を噛み潰したような顔をして逆走おじさんたちを見張っていたあの頃にはない爽快感があった。どこまでも行ける気がした。ふっと体が軽くなり、空が近くなったと思ったら、あっという間にコンクリートに叩きつけられた。トラックに轢かれたらしい。体が熱い。運転に集中せず、進行方向を見ないまま、車道を逆走することがどれだけ危ないことなのか、俺は知らなかった。一つ間違うと死に至ることを知らなかった。

蠱惑暇(こわくいとま)

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