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タガがはずれませんように

令和3年5月25日の日記
毎週火曜日のお昼は映画を観ると決めているのですが、その決まりを今日は破ってしまいました。映画を観る2時間を犠牲にしたほうがよいという判断がありましたが、やや後悔しています。決まりは一度破ると何度でも破ります。タガがはずれるというのでしょうか。よく1人殺したら2人も3人も同じ、みたいなことをいいますが、似たようなものかもしれません。古畑任三郎を観たあとなので、こんな例えになってしまいました。

年中行事っていうのがあります。
七草粥の日、節分、桃の節句、端午の節句、夏越の祓え、祇園祭、五山の送り火、重陽の節句、そのあとも年末まで何かしら決まり事がありますよね。それぞれに歴史や意味があるわけですが、そのもっと根っこの部分で、人生のタガを外さないように作られた決まり事なんじゃないのかな、なんて思ったりもします。コロナ禍であれもこれもなにもかも中止や延期になっていますが、人間の心がやけにとげとげしくなり、他人に心ない言葉を突きつけてしまったり、やたら暴力的になったり、ちょっとしたことで傷ついてしまったり、腸が煮えくりかえったり、些細な齟齬で人間関係に亀裂が入ってしまったりするのと、年中行事の中止とは、ひょっとすると無関係ではないのかもしれません。

人は弱い。弱すぎる。すぐにタガがはずれる。ゆえに、そのタガがはずれないように、めんどくさいけれど、節分は豆撒いて、桃の節句はあれをして、桜の季節には何をして、ということを決め事にして、それを毎年、愚直に実行することによって、整えてきたバイオリズムというものが、確かに在るんじゃないかと思う。かといって、コロナ禍にやれることとやれないことがあるわけですが。

早寝早起きを習慣づけるほうが健康によい、というのも似たようなことではないでしょうか。ちょっと夜更かし、寝坊が重なると、タガがはずれて、生活のリズムが崩れて、身体を壊してしまいます。そうならないための、人間が長い歴史のなかで育んできた知恵が早寝早起きであり、年中行事なのです。タガがはずれてしまうと、遅刻をしているのは自分なのに逆ギレしながら「申し訳ありませんでした!!」と謝らなければならなくなる。恥を知りなさい!と言ってやりたくなる。

時間を守る、やるべきことをやるべきときにやる、やるべきでないことはやらない。そうやってして、タガをはずさないように工夫してきたはずなのに、近頃は、どういうわけか、タガのはずしあい選手権の様相を呈してきています。他人のことはともかくとして、私自身、「言うてるおまえがいちばん気をつけないとあかんことやないか」と突っ込まれてもしかたないタガのはずれ方をしているようにも思いますから、年中行事が軒並み中止となったいま、せめて何か、自分に決まり事を課さねば、という思いでこうして毎日、日記をつけているのです。

習慣とかルーティンとかに縛られていないと、自分はまっすぐ前を見て生きていられないような気がしますが、ただ、その習慣とかルーティンとかに押しつぶされそうになったとき、どうすればよいのかしらん?とも思っていたりもしたので、結果、今日は映画を観なくてよかったのだとも思う。さじ加減、塩梅ってやつも大切にしなければ。

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