「動的平衡」から見る臨床推論の再考
こんにちは。理学療法士のこうやうです。
今回は
動的平衡
について書いていきたいと思います。
福岡伸一先生のベストセラーでもある
動的平衡ですが
理学療法においてどのような考え方ができるのか
わたしなりに書かせていただきますので
よろしくお願いいたします。
それでは始めます。
生命は負のエントロピーから逃れられない
宇宙の大原則として有名なのが
「エントロピー増大の法則」である。
非常に難しい概念に捉えられがちであるが
実は周りにありふれた現象のひとつである。
例を挙げれば、新築の家を建てたとすると
年月が経てば老朽化していき、いずれ崩壊する。
または食べ物をそのまま放っておくとそのまま腐る。
いわば新しいものはそのまま古くなっていくというのが
この法則の代表例である。
これは一言でまとめると
「秩序あるものは無秩序の方向へしか動かない」。
この法則からはどんなものであれ、逃れられない。
生命も同様である。
生命もどんどん老化していき、最終的に死に至る。
「生命とは何か」の著者であるシュレディンガーも
「生命は負のエントロピーを摂取している」
と明記しており、我々は生きている時点で常に死におびやかされている。
しかし生命の寿命はどうだろうか。
人類では医療の発達で男女ともに平均年齢が80歳を優に超えている。
これはエントロピー増大の法則を受けている割には
あまりに長い時間活動を維持している。
なぜここまで生命は活動を維持できるのだろうか。
生命活動は合成と分解である
これは生命が絶えず「合成」を繰り返しているからである。
いわゆる負のエントロピーは分解を表している。
この分解に対抗するためにタンパク質の摂取などで
細胞の交換を繰り返し(ここの詳細については書籍をご参照ください)
生命活動を維持している。
この活動を数理モデルで表したのが上図である。
生命活動はまさにこの坂を登る行為であり
分解しながらも合成をしていくことで
この坂の進行を実現している。
理学療法への応用
この考えは理学療法に生かせるのだろうか。
私はこの考えで理学療法が根本的に変わることはないと思う。
しかし患者の捉え方が変わると私は考える。
まず患者とはどのような人たちだろうか。
私は整形外科クリニックで働いているため、
どうしても整形外科的な患者の捉え方になってしまうが
痛みを訴えている人がほとんどだろう。
このような症状が出ている人はどのような状態なのか。
私見ではあるが
合成と分解を絶えず繰り返す動的平衡のバランスが崩れている状態
と考えることができる。
果たしてこのような捉え方の何が重要なのか。
私は要素還元論からの脱却の実現を可能にする
ツールになると推測する。
過去の記事でも述べているが
要素還元論の生命の捉え方はすでに限界にきている。
解剖学や運動学での病態の捉え方は
どうやっても妄想の域を出ない。
人間をシンプルに捉えるのはとても無理がある。
しかしこのような考え方で理学療法をしていけば
より本当の意味で全体を見ざるを得なくなる。
例えば「膝が痛い」と訴える方で要素還元論の思考では
「膝になんらかの原因がある」「構造的障害が起こっている」
と思いがちではある。
しかし「エントロピーが増大している」という考え方であれば
その大雑把かつ曖昧な概念であるがゆえに
問診にて患者のストーリーや心理的背景などから
患者の全体像をとらえていく必要がある。
なぜかといえば分解の増大や合成の低下は
さまざまな要因から織りなす結果であり
より大きな要因はいずれも外的環境から発したアクシデントだからである。
この動的平衡の視点から見た推論はまさに
全体論的思考である。
よく私たちセラピストは、
下肢や上肢といったように部分で分けて考えるが
この動的平衡という流れを構成している時点で
生命を部分で分けることなどできない。
膝蓋下脂肪体、後下方関節包、ケイガーズ脂肪体といった
「痛みのある部分」はあるが
その部分を還元したところで完全な治癒には至らない。
生命は機械論のように部品の改修でシステムの正常化を実現できない。
機能的な視点で見るのは限界が来ている。
要するに問診で患者の全体像をつかむことが重要であるという
単純な結論に至るわけであるが
この事実は周知されているようで全く浸透はしていない。
これは1単位20分という日本の悪しき制度が起因しているわけであり
相当な問診能力を有していないと困難である。
このような現状から要素還元論で痛みのある組織の同定を行い
そこを治療するという流れが生まれたわけである。
弱気な発言であるが今の日本の制度で全体論でみた治療はかなり難しい。
まとめ
注意してほしいのは、この「動的平衡」の概念も仮説の域を出ないことである。あくまでこれは「説」であり、実証されたものではない。いや実証ができない。この考えは哲学的思考に近く、エビデンスによって構築されてきた理学療法には取り入れにくい概念であるに違いない。しかし理学療法以前に今は科学の在り方が疑問視されてきている。複雑なものは複雑なまま捉えなければいけない。顕微鏡で生命の本質はみえない。複雑性を分解することはむしろ生命の理解から遠ざかる。理学療法は想像以上に複雑なものを相手にしていることを理解する必要がある。全体論的思考の実現が今後の課題であると考えるが、これは体系化して伝えるのは難しいだろう。というより体系化するべきではない。より大きな発展に何が必要なのか、また再考する必要があるのは間違いない。
本日はこれで以上です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
参考文献
1)福岡 伸一:新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか 株式会社 小学館
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