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【書評】『クルマを捨ててこそ地方は甦る』藤井聡 著~お金を払う「先」に気をつけて!~


書誌情報

タイトル:『クルマを捨ててこそ地方は甦る』
著者:藤井聡
出版:PHP新書
ジャンル:社会問題、まちづくり、モータリゼーション

読書の動機

今年マイカーを廃車にしたことで、移動がすべて公共交通になった。そうすると歩行者目線で街を歩くことになる。だが、そこには自動車を過度に優遇し、歩行者を冷遇する街があった。私はそのようなまちづくりに疑問を持ち、モータリゼーションの弊害に関する書籍を探していた。そこに現れたのがこの本である。
結論から言うと、目から鱗。素晴らしい内容だった。クルマ社会の問題点はこれまでも認識してはいた。しかし、それが具体的にどう問題で、何をすべきかという対策までは見えていなかった。本書は、それを明らかにした点で画期的であった。


構成

第1章 道からクルマを追い出せば、人が溢れる
→車道を削って歩道を拡幅することで賑わいを生み出した例を紹介

第2章 クルマが地方を衰退させた
→郊外大型ショッピングセンターの問題点を挙げ、地域マネーの流出、行政サービスの低下、行政支出の肥大化が起きるメカニズムについて解説

第3章 クルマを締めだしても、混乱しない
→車道を削っても混乱が発生しない理由を、消滅交通というキーワードを使いながら解説

第4章 「道」にLRTをつくって、地方を活性化する
→富山のLRTを参照し、公共交通を活用した市街地活性化の事例を紹介

第5章「クルマ利用は、ほどほどに。」ーマーケティングの巨大な力
→クルマのリスク(事故、病気など)を挙げ、それを認識させることでクルマ社会からの脱却を図る方法を説明

終章 クルマと「かしこく」つきあうために
→全体のまとめと今後の対策について書かれている


感想

重要だと感じたのは2点。
一つは、お金の払う先をよく考えるべき、ということ
もう一つは、車道を拡幅しても渋滞は解消されない「誘発交通」という現象の存在だ。

前者については2章で説明されている。
大型ショッピングセンターは膨大な面積を必要とする。そのため、大抵郊外に作られる。つまり、街の中心から遠く、クルマでないとアクセスしにくい立地となる。
旧商店街はクルマの進入を想定していないので、クルマで訪れるのは不便。しかし、大型ショッピングセンターには広大な駐車場がある。したがって、クルマ社会が浸透すると、人々の買い物は商店街から郊外店舗に以降する。
ここまではよいだろう。
問題はここからだ。

商店街で働く人は基本的に地元の人であり、商品も地元のものが多い。税金を払う先は当然、住んでいる地元である。ということは、商店街で買い物をした場合、そこで払ったお金は税金という形で地元へと還元される。そして、それが行政サービスの財源となる。

しかし、大型ショッピングセンターの場合はどうか。運営主体は大都市に本社を置く大企業、つまり地域外資本の会社であることが多い。その企業が払う税金は、その地域ではなく本社がある地域に対し払われる。
つまり、大型ショッピングセンターで買い物をした場合、そのお金は地域の税収として回収されない。それは行政サービスのための財源が不足することを意味する。
また、扱う商品は地域のものよりも日本中、世界中から集められた地域外のものが多い。
ということは、そうした商品を作ったり、加工したり、運んだりする人の雇用もその地域で失われることになる。
雇用が減ると、若者を中心に人口が流出し、税収も減る。
後はもうおわかりだろう。

私はこのことに衝撃を受けた。今まで自分が払ったお金が最終的にどこへ行き、何のために使われているのか、考えたことがなかったのだ。
そもそも、スーパーやショッピングセンターで買い物するのが当たり前になりすぎて、地元の青果店の場所すら知らなかった。地域がどうやったら豊かになるか、なぜ貧しくなるか、という視点が欠けていた。

この本を読んでそうした認識が改められたことは大きい。買い物をする際、お金の流れを意識するようになり、なるべく地元に還元されるよう考えることにした。今後は地元の商店街で買えるものは買い、足りないものをショッピングセンター等で購入するなどの工夫が必要になるだろう。

こう見ると、「ベッドタウン」というのがいかに皮肉な単語かよくわかる。大都市に産業を独占され、そこに労働力を提供するだけの場所。しかも、そこで稼いだ金を地元ではなく、大都市の企業に払うことで、地域の財力もまた、大都市に吸収される。
都市が地方を「二重」に搾取しているのだ。
これで地方が衰退しない、というのが無理な話だ。ベッドタウンゆえに、人口は確保できる。だから、すぐ集落消滅とはならない。しかし、結局は自前の産業を持たず、労働力の提供に甘んじているのみ。都市に依存し、独立できていないのだ。

では、自前の産業があればそれで良いのかと言えば、それも違う。それが単一の、いわゆるモノカルチャーであれば、それが破綻すれば街は一気に衰退する。炭鉱で栄えた街が典型的だ。企業城下町のような地域も、その企業に雇用や税収を依存しすぎない、リスクヘッジが必要といえよう。

次に、誘発交通のお話。
渋滞を解消する場合、道路の拡幅、バイパスの建設、立体交差などが行われる。受容できる交通量を増やすことで、渋滞の解消を目指す、というわけだ。
しかし、これが失敗するケースも多い。
かえって渋滞が深刻化することもあるのだ。
なぜか。
それは、道路が整備されて走りやすくなると、「なら走るか」と人々の意識が変わり、新たな交通を誘発してしまうからである。

ではどうするか。車道を削るのだ。
そうすると、当然受容可能な交通量が減るため、最初は渋滞が深刻化する。
しかし、まさにそのことによって人々は「渋滞がひどいから電車に代えよう」とか、「迂回しよう」と考え、行動を変える。その結果、ある程度の時間が経過すると、渋滞は収束される、というわけだ。
この視点は非常に重要だ。
空港にしろ、住宅にしろ足りなくなるとすぐ新築、新設と叫ばれるが、本当に必要なのか。既存の設備を有効活用できないか、まず見直す必要があるのではないか。
そうした視点を持つことが大切だ。


おわりに

他にもいろいろ情報が書かれているが、最も大切なのは今回紹介した2つだった。
クルマ社会が今後どうなるかは不明だ。ガソリンがいつ尽きるのかも不明だが、遅かれ早かれなくなる。その後はEV車を取り入れて数十年程度延命するかもしれない。だが、それも長くは続くまい。結局有限のエネルギーを浪費しないと成立しないからだ。どこかで限界は来る。現代の豊かな文明も、せいぜい数百年でご臨終だろう。千年も持続可能とは思えない。
まあ、そんな私の適当な未来予想など大した意味はないが、人類の行く末が心配である。今の人類の発想、二酸化炭素を減らすために自動車を減らすのではなく、電気自動車を開発する、という現状維持的発想では問題は解決しまい。全く新しい枠組みで問題を解決する新人類でも現れなければ、終末へのカウントダウンは止められないだろう。
もし、人類が破滅するなら、私は最後は人間的な最期を送りたい。クルマに依存するような最期ではなく。

また無駄話をしてしまった。
人類の未来はともかく、自分の暮らしを豊かにする上でも大事なことが書かれているので、おすすめです。
興味のある方は読んでみてください。
それでは!

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