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第3部 南西部への旅 [21] Arizona を旅する

21-2 再び、ライトの世界へ

「Ryu, Look! ..... It's a giant cactus, Sawaro.....」 
「Wow, it's huge !...... It has a full Mexican feel! 」
「And Saguaro is only found in this area from Arizona to northwestern Mexico..... アリゾナからメキシコ北西部にしか生息しないらしいわ」
「Holly, Over there.  At the top of the saguaro, there are white flowers......サワロの天辺に白い花が咲いているよ」
「How lovely to see white flowers blooming in the desert!!.......白い花は綺麗 !!...... Sahuaro flowers are the state flower of Arizona. ...... They bloom at midnight and their blossoms close in the late afternoon......サワロの花はアリゾナの州花だそうよ......夜中に花が咲き、昼過ぎには花は閉じてしまうそうよ」
「Ryu...... We are going to the Grand Canyon today.」
「OK. How many hours will it take from here?」
「It will probably take me about 5 hours.」
(いよいよ、グランドキャニオンか。未だ、5時間もかかるのか……)

 ホーリーの運転で「Apatch lalke」を出発し、山間道路「Apatch Trail」を走る。
「Apatch Trail」を南下し、砂漠の町「Apatch Janction」に到着する。
 アリゾナ州の東部に位置する小さな町の周りに赤い岩の山々が聳え、広大な砂漠が広がっている。町の中心に古風な建物が並び、西部劇のレトロな雰囲気を醸し出している。
 ホーリーが AZ-202 に乗るように指示する。
「Holly, why are we heading south? where are you going?.....何処に向かうの?」
「Ryu, I was checking out the map and found a place I'm sure you'd like to go. You want to stop at Taliesin West, don't you?..... きっとあなたが行きたい所を見つけたの.....」
「Oh, yeah. Taliesin West is in Arizona. I forgot about it. .....タリアセンウェストか。忘れていた......Sure, I'd love to stop by.」 

 AZ-202 から AZ-101 を北上する。サボテンが乱立する砂漠の中を走る。 日本の城壁を彷彿とさせる石壁に囲まれた「Taliesin West」が姿を現した。
 金色を基調とした” Cherokee Red ”のレンガ壁が砂漠の景観に溶け込んでいる。正面玄関前の三角形の水盤に建物と青空と緑の芝が美しく映り込んでいる。水盤とレンガ壁の対比が景観を際立てている。

 流雲が「タリアセン・ウエスト」正面玄関に立った時、遠藤先生の思い出が甦った。 
 タリアセンについて......「次兄と二人でタリアセンに留学した時、夏季は Wisconsin州の Taliesin East に、冬季の間は Arizona州 のTaliesin West に移動し暮らしていた。当時、ライト氏は89歳で健在だった。製図室で図面を描いていた時、ライト氏が入ってきて『建物の中に居ないで大自然を観察してきなさい』と声をかけられた」と先生は語っていた。

 目の前に先生の語ったタリアセンの建物と自然がある。
 建物内部に足を踏み入れる。玄関を抜けてビングルームに入った時、柔らかな光が室内に差し込んでいる。今まで流雲が体験してきた建物とはひと味違う明るさがある。
「Ryu, Although there are many similarities to Wright's houses in the town of Oak Park, they are still very different......オークパークの住宅に似ている処があるけど、やっぱり随分違うわね」......とホーリーが語りかける。
「Holly, you're right. The buildings at Taliesin West seem to have been designed with nature in mind, compared to the houses in Oak Park.......ここタリアセン・ウエストの建物は、オークパークの住宅に比べて自然を意識しているように思う」......とオークパークの住宅を比較しながら話し合っていると..... 

 ガイドが二人の話を聞きつけて......「Have you also visited Oak Park? 」
「Taliesin West is researching” Passive Soler” architecture, which is nature conscious......貴方が感じたようにタリアセン・ウエストは『Passive Soler』建築を研究してます」
「What is Passive Soler?」
「Passive solar technologies convert sunlight into usable heat and cause air movement for ventilating to heat and cool living spaces without active mechanical or electrical devices......パッシブソーラーとは、機械や電気機器を使わずに太陽光を利用可能な熱に変換したり空気対流を活用し、居住空間を暖めたり冷やしたりする技術です」
「So it doesn't feel oppressive, it feels like it blends in with nature......だから圧迫感が無く、自然の中に溶け込んでいる感じがするのか」

 日本は自然の厳しい環境を受け入れる考え方が伝統的にあり、自然環境と共生する住宅が日本の特徴だろう。一方、アメリカには自然と対峙する考え方があり、自然環境の中で生きる術を模索する住宅に特徴があるのを感じてきた。流雲は、自然と共生する厳しさを雲龍院の暮らしで体験してきた。自然と調和する日本建築の美しさも見てきた。そんな中で、初めて自然と共生し融合するTaliesin West の建物の素晴らしさに触れた。

 玄関ホールから数段下がったスペースがある。
 ホーリーが......「Ryu, this recessed space is called ”Sunken Living”......この落ち込んだスペースを『Sunken Living』とう言うのよ知っていた?」
「Sunken Living Room?」
「My family's friends have a mid-century style house......家族の知り合いの家がミッドセンチュリー・スタイルのお家でね..... As expected, Wright, the architect, is America's leading figure in the modern design movement......流石、建築家ライトはモダンデザイン運動のアメリカの第一人者ね」
 屋外を取り入れ内部空間と結びつけた開放的なオープンフロアプランと南面に括りつけられたソファの背もたれの上にある高窓が、モダニズムを象徴しているのだろう。
 段差のあるリビングに数段下りたタイル床の足元が、ほんのりと温かく感じられる。床が陽の光に温められ、リビングを暖かく包み込んでいる。

  高窓から床タイルに射し込む陽光を眺めていると、ガイドが.......「Solar heat heats the room while the floor is slightly warmed by the sun, which is the passive solar system.......床を太陽熱でほんのりと温めながら、部屋を暖かくするのがパッシブソーラのシステム」と説明する。 
「I see.....So this is what you call harnessing solar heat?......太陽熱を利用すると言うことなの?」
「Yes. Solar-powered heating and air convection are passive solar systems......太陽熱を活用した暖房や空気対流がパッシブソーラのシステムです」
「.......と言うことは..... So the floor tiles are to absorb solar heat?......床のタイルは太陽熱を吸収するためですか?」
「Yes, Terracotta tiles and concrete floor as a thermal storage layer......テラコッタタイルとコンクリートの床が蓄熱層になっている......This sunken living room is designed to allow sufficient sunlight to hit the floor and absorb solar heat...... 段差のあるリビングは、太陽光が充分に床に当り、太陽熱が吸収されるデザインです.......Simply for appearance, the floor level is not lowered.....単純に床に段差を設けている訳ではありません」
(そうか。このことがオークパークで教えられた機能美を追求した言葉の『Form follows function』だったのか.......)

 ガイドは......「リビングルームのガラスは、解体されたフェニックスのデパートで使用されていたものを再利用し、スカイライトのオリジナルはキャンバス地が使用されていたが、砂漠の日射による劣化が激しく、半透明のポリカーボネート素材に変更された。また、外部の石壁は、学生たちが手作りで敷地内にある『砂漠の石』を集めてコンクリートで固めた」と説明する。
(だから、地に根を下ろしたようなどっしりとした安定感を感じさせたのか........雲龍院本堂の縁側と庭の自然が同化した佇まいに良く似ている。この不思議な空間に流雲は「畏敬の念」を覚えた)

 そしてガイドの語る「タリアセン」のストーリーは、驚愕な内容で......。
 建築家フランク・ロイド・ライトは、1909年にヨーロッパ旅行した。当時、この欧州旅行は大スキャンダルとなった。イリノイ州オークパークに在住していたライトが、クライアントの妻であるママ―・チェニー婦人と「駆け落ち」した不倫カップルの逃避行だった。
そして、旅行後に保守的なオークパークの町に戻ることもシカゴに暮らすことも不可能になった.....。
 建築家ライトは、故郷の  Wisconsin 州の中南部にある丘陵地帯 Spring Green に移住した。ライトは最初の妻との間に6人の子供がいたが、家族を Oak Park の街に置き去りにし、愛人ママ―・チェニーと共に、1911年に住居に併設した建築事務所「Taliesin」と農場の建設に着手する。

 この頃、日本の西洋化に伴い東京に西洋式のホテルが建設されることになり、1913年に帝国ホテル新館設計の依頼を受ける。
 愛人チェイニーと共に訪日し、数ヶ月間に渡り日本に滞在する。この年からホテルの設計に着手する。
 翌年、悲劇がライトを襲う。精神を病んでいた使用人がタリアセンに放火し7人を殺害する惨劇が起こる。愛人ママーとその子供二人を同時に失う悲劇が襲う。こうして愛人との生活はスキャンダルな終焉を迎えた。
 この悲劇に茫然自失となったライトは、やがて愛人の彫刻家ミリアム・ノエルと一緒になり、1916年、二人は日本へ渡り5年間日本に滞在する。          (この時期に遠藤先生の父上、遠藤新氏と巡り合ったのか.......)
   1922年に妻との離婚が成立する。翌23年にミリアム・モード・ノエルと結婚するが薬物中毒悪化により、24年に離婚する。その年に、フランスの神秘思想家グルジエフのもとで学んだオルギヴァナ・ヒンゼンバーグと出会い1928年に三度目の結婚を果たす。
 オルギヴァンナの協力を得て、ライトは建築塾「Taliesin Fellowship」を創設する。「Taliesin」はウェールズ語に由来し、意味は額に汗し労働する姿「輝く額」を意味する。
 ライトは「Taliesin」を生活と建築の実験場として、自給自足の生活と環境の関わり方を実践する場と捉えていた。

 毎年20人から60人の弟子がライトのもとで働き、数人は何十年も残り彼の主要な事務所スタッフになる。
「タリアセン」はアーティストの集う芸術村の役割も果たしていた。画家ジョージア・オキーフ、作家アイン・ランド、俳優・作家ポール・ロブソンなど多彩なアーティストと親交を深めていた。
 そして師匠サリバンの建築哲学「Form Follows Function/形態は機能に従う」を発展させた新たな建築哲学「Form and Function are One/ 形態と機能は一体」を信条とする設計思想を完成させていく。こうして「タリアセン」は、学生や建築家が集い建築を学び実践する場所に変化していった。

 その後ライトは命が危ぶまれるような重い肺炎を患う。大恐慌時代に「タリアセン」の高額な暖房費削減に、冬も温かく安く暮らせるアリゾナ砂漠への移住を決意する。
 1937年、ライトの冬の別荘兼アトリエとして、アリゾナ州スコッツデール近郊のソノラ砂漠に「タリアセン・ウエスト」を建設する。
 砂漠の岩石を利用し自然光をふんだんに取り入れた建築は、環境に優しい素材や再生可能な建築を目指す「Natural House」のコンセプトに繋がる第一歩だった.....。と、衝撃的なガイドの話は終わった。

「Holly, I didn’t know why architect Wright chose such a scandalous life?.......何故建築家ライトが、ここまでスキャンダラスな人生を選択したのだろう?」
「I don't know, but I think it's the type that many artists have.  It was also on the artist of the town of New Hope...... ニューホープの町のアーティストにもいたわね」
「Amazing, a magnificent ending......凄い。壮絶な幕切れだ」

 壁面に建築家ライトの言葉が刻まれていた。
『 When architecture and nature coexist, people can achieve ease of living...... 建築と自然が共存した時、人は暮らしやすさを獲得できる』とある。

 単なる素材や形状や技術を試す場でなく、自然との共存を模索していたのだろう。自然と一体化するコンセプトは、外部の石壁を室内壁に使用したり、建設中に発見された古代のペトログリフの展示に表現されている。
 ネイティブアメリカンのコスモロジーへの共感、138億年の宇宙史への畏怖の念があっただろうか。この建築思考が『Organic Architecture』へと繋がっていったのだろう。『Organic Architecture』の信念について「自然界の生命の恩恵を受け平和的に共存共鳴する建築物」と定義している。

 アリゾナ砂漠の青空と空気の中に佇むタリアセン•ウエスト建築物の存在自体が、自然共存の形なのだろう。
(遠藤先生の携わったタリアセン・ウエストに触れる機会があるとは、想像していなかった。ここに立ち寄れて良かった........)


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