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【中編】片側だけで感じる彼・彼女 No.11/11 the last episode

車を走らせながら、バックミラーで後部座席に座っている彼女の様子を確認する。彼女は窓の外を見つめていて、こちらを見ることも、声をかけてくることもない。

先ほど、彼女が話した内容を思い返してみる。
一年半前に彼女に好きな人ができて、恋人同士になった。でも一年前に彼女が実家に戻らなくてはならなくなり彼とは別れた。
その相手は、住んでいるところも名前も知らず、顔や声も思い出せなくなっている。その呼び名すら忘れてしまうかもしれない。
そんなの彼女がだまされていただけだと、一笑に付してしまえればいいのだけど、それができないことは、自分が一番よく分かっている。

彼女の声を聞いても、顔を見ても、俺は思い出すことができなかった。
自分がその彼だと言ってしまいたくても、彼女への気持ちとその呼び名しか覚えていない俺が、名乗り出てもいいものだろうか?
ここにいる俺は、彼女が探している彼だと言えるのだろうか?
あれだけ会いたいと思っていた相手は、今の自分にとっては近いようでとても遠かった。

彼女が内見ないけんを希望した物件は、実は自分が住んでいるマンションの別部屋だった。彼女が探している間取りとほぼ合致しているのは当然だ。
まさか彼女の会社の移転先が、ここの近くだとは思っていなかった。
きっと、彼女は内見したら、その物件を気に入るだろう。そして、そのまま入居を希望するだろうと思う。
自分はどうすればいいのだろうか。

そんなことをうだうだと考えていたら、俺が住んでいる案内予定のマンションに到着してしまった。
彼女を伴って、案内予定の部屋に向かう。俺の部屋とは階が違う。こちらの方が高層階にあるので、俺のところより家賃も高めに設定されている。
合鍵で玄関ドアを開け、電気をつけて中に入る。
彼女が部屋の中を見回っている間に、閉じていた雨戸を全て開いた。ついでに窓も開けて室内を換気する。

「いかがですか?」
「思った通りです。気に入りました。」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。俺はその顔を見たまま立ち尽くす。
皆木みなぎさん?」
「いえ、気に入られたのなら、良かったです。」
事あるごとに彼女の微笑みに視線を奪われる。胸がとても苦しくなる。

「あの・・皆木さん。体調が悪いのではないですか?」
「・・なぜ、そう思われたのですか?」
彼女は私の問いかけに、首を傾げた。
「車に乗る前より口数も減りましたし、表情もすぐれないので。もしかして、私が話したことを気にされていますか?」
「それは・・。」
「すみません。あんなこと話されても困りますよね。口が滑りました。気にしないでください。」

「あの。」
「はい。」
「どうやって、その好きだった人に会うんですか?」
「好きだったではありません。好きな人です。でも、気にされなくて大丈夫ですよ。」
彼女は生真面目に俺の言葉を訂正した。
「いえ、私も彼女と別れて、その・・興味がありまして。」
何と言って、この話を進めればいいか迷って、とても曖昧あいまいな言い方になってしまう。

「もし、今好きな人に会えれば、この部屋に住む必要もなくなりますね。」
彼女がポツリとつぶやいた言葉は、俺にとっては聞き捨てならないものだった。
「すみません。それはどういう意味ですか?」
「私は彼に一目会えればそれでいいんです。」
「その人のことを好きなんですよね?で、引越しをきっかけに別れたんですよね?嫌いになったとかではなく。」
「はい。私は今でも彼のことが好きです。」
「もう一度付き合おうとか考えませんか?」
俺の言葉に、彼女は深い息を吐いた。

「私は彼の今の状況を知りません。もう他の人と付き合っているかもしれないし、もしかしたら結婚しているかもしれない。それを押しやって自分と付き合ってほしいなんて言えません。」
「もし、相手が一人だったら?」
「・・でも、私たちの関係はちょっと特殊で、私と付き合うよりは、他の人と付き合う方が、彼は幸せなんじゃないかな。」
「それは、相手に聞いてみないと分からないのではないですか?」
そんなこと勝手に決めないでほしい。と彼女に言いたくなるのをぐっとこらえる。

彼女は寂しげに笑って、俺のことを見た。
「皆木さんは、以前の彼女さんとは嫌いになって別れたわけではないんですね?」
「・・。」
「彼女さんが選んでくれたマフラーも使っているし、彼女さんと同じような状況の私が気になったのですか?もしかして、皆木さんはまた彼女と付き合いたいと思っているとか。」
彼女の視線が自分の右手に向いたので、俺はその前に持っていたタブレットで隠して、彼女に指輪が見えないようにした。

彼女は、俺が別れた彼女と自分を重ねて見ていると思ったらしい。
実際は同一人物だが。
それはそれで、今の自分にとっては好都合だった。彼女が今の状況をどう思って、今後どうしようと思っているか聞き出すことができるからだ。

「そうですね。私は未だに別れた彼女のことが好きです。だから、斎藤様がどうやって好きな相手に会って、彼に何を話すのかが知りたいです。」
「何だこいつとか思われません?」
「こちらからお願いしているのに、そんなことは思いません。」
彼女はその瞳を揺らした。
「皆木さんは不思議な方ですね。普通こんな話聞いたら、私のことをおかしな客だと思いますけど。それに、今確認して彼に会えなかったら、私はここに住まないかもしれないのに。」

「いえ、よろしければ確認して下さい。」
「今日相手が休みかどうか分からないので、確認できないかもしれません。」
「であれば、時間や日を改めてもいいですが、今一度確認してみてはいかがですか?」
俺の言葉に、彼女は「本当に変なことする奴だと思わないでくださいね。」と念押しした後、リビングの中央を見つめた。

俺は彼女の背後に立った。この後、彼女は片目を閉じるだろう。
でも、きっとなにも現れない。なぜなら、俺がここにいるからだ。
彼女は俺に背を向けたまま動かなかった。しばらくすると、彼女の泣き声が俺の耳を打った。

如月きさらぎぃ。」

その声を聞いて、俺は目の前の彼女の身体を背後から抱きしめた。

皆木みなぎさん?」
彼女が慌てたように、俺に向かって声をかける。俺は頭痛を覚えながらも、彼女に向かって言った。
「名前を呼んでくれてありがとう。」
彼女が『如月』と呼び掛けた時、俺は彼女と過ごした日々の全てを思い出した。もちろん彼女の顔も声も。その全てを。

「全部思い出したよ。神無かんな。」
俺の顔を見た彼女は、その眼のふちから涙を溢れさせた。その表情から、彼女も『神無』と呼ばれ、全てを思い出したのだと理解した。

「会いたかった。会いたかったよぉ。如月。」
「俺も会いたかった。ずっとずっと。」
声にならないくらいの思いが溢れてくる。ギュッと抱き着いてくる彼女の体の感触も、頬に触れる髪の滑らかさも、彼女の背に触れた両掌へのぬくもりも、すべてを感じることができた。
もう、絶対にこの腕の中にある彼女を離さない。

「これからはずっと一緒にいてほしい。神無。」
彼女は俺の顔を見て、泣き笑いの顔になった。
「神無じゃなくて、小春こはると呼んでほしい。」
確かに、彼女が記入した用紙には、斎藤小春と合った。
「分かった。小春。」
「・・芳春よしはる。あの時は言えなかったけど、これからはずっと芳春の側にいる。」

なぜだろう。目の前が目薬を差した後のように滲んでくる。
彼女が俺の顔を覗き込んで、手で目の縁を拭ってくれた。
俺は笑って、赤くなった彼女の顔に、自分の顔を近づけた。
初めて俺は彼女の唇の感触を感じることができた。

ここまで労力を使うとは思いませんでした。自分で作った仕組みに振り回された感があります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

番外編を書きました。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。