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ファッションスタイルは出会いと環境で決まる

 住む場所や身を置いてる環境で服の趣向はだいぶ変わってくる。
 確固たる自分の好きな服装、スタイルというべきものはあるけれど、ずっとそういう自分にとっての理想的な服装をしているわけではないし、そういう服ばかり買うわけではない。

 服ってそのときどきの気分や、これからどういう気分になりたいのか調整する装置であり、また、自分の思想や主張を身体で他者に対して表現する機能もある。
 そういうもんだと思って服を着るのは楽しいし、街路を歩く人々の服装を観察するのは飽きない。老若男女それぞれの「今」の姿が現れ出ていておもしろい。

 そうしたなかで、カッコいいスタイル、カッコいい服装に遭遇すると心がおどる。
 最近、とても自分の心をつかむのは、ワークスタイルというか、手仕事の職人たちの着ている服、そして、その人たちのたたずまい。

 きっかけは、ここ数年来陶芸や民藝など手仕事をしている人々と接する機会が多くなったこと。そこにいる人たちの服は、だいたい土やほこり、もしくは塗料にまみれている。まあ、もちろん作業用の服として汚れなんて気にしないものを着用しているんだろうけれど、僕の目にはこの服装がすごくカッコよく映っていた。

 ファッション誌のカタログのように、単にその人たちの服だけがきれいに並べられている様を見ても、ただの汚れた服にしか見えないと思う。その服の持ち主であるその人たち自身が着ているからこそカッコいいのだ。

 その人々の生活スタイル、労働の風景、日常の光景が垣間見えるようで、どんなデザインのよい服や高価なDCブランドよりも、そして、それを着てランウェイを歩くモデルよりもカッコよく映るんだ。汚れを気にしない潔さ、くすんだ色味やくたびれた首元、袖。着る者のスタイルが表れる強度と厚みのある服…めちゃくちゃカッコいい。

 もしかすると、20代も後半になってきて古着を好んで着ることが多くなったのと重なるかもしれない。

 いちいち汚れを気にしながら服を着るのも嫌だな〜と思っていたところに先に話したような出会いがあって。たぶん、思考や興味は通じてくるから嗅覚が働くのだろう。

 べつに自分は高貴な貴族ではないし、ふだん生活をしていれば服なんて汚れるもの。なんか、あまりにもきれいすぎる服を自分が着るのは苦手だし、そういう服装をしている人も苦手だ。
 生活の匂いがしない服って服なんだろうか…とも思ってしまう(もちろん、エチケットは守りますよ! それにTPOは気にする方ですワタクシ)。

 服を単純に消費する対象としてではなくて、生活の一部に根ざしたものとして楽しみたいんです。自分自身の服の好みは年齢とともに変わっていくかもしれない。けれど、「服を消費する対象ととらえたくない」という軸は絶対にブレることはないだろうな。

 そして、カッコいいおじいちゃんになることが夢さ。

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