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他者と共有できる物語を持つ

 お店や食べ物や商品でも音楽でもなんでもいい、自分の思想を言葉にして他者へ伝えるだけでなく、形にして他者と共有できるように、つまり他者が身体感覚をもって吟味できる余地をつくっている人たちを尊敬する。そして、自分もそうなりたい。

 先日、クルミドコーヒーの主催するオンラインイベント「「クルミドの夕べ」オンライン!」に参加した。オーナーの影山知明さんがイベント時点で考えていることと、これからの構想を伝え、参加者と意見(チャット・メール)を交わすという内容。ハプニングあり、それを見守る参加メンバーの優しさありのアットホームで刺激的な時間だった。

 クルミドコーヒーおよび系列店の胡桃堂喫茶店は、上京後に真っ先に行きたいカフェである。そう、僕はいまだかつてお店を訪れたことがない。影山さんに会ったこともない。

 僕がクルミドコーヒーを知ったきっかけは一冊の本だった。およそ2年前、仕事終わりの頭パンク状態で本屋へ行ったとき、たまたま表紙と目が合ったのだった。

 『ゆっくり、いそげ』という不思議なタイトルの本。サブタイトルに「カフェからはじめる人を手段化しない経済」と書かれ、帯には「目の前の人を大事にする」と書かれているではないか。それらの文句に惹かれつつ「どうせ、よくあるビジネス本でしょ。もうそういう栄養ドリンクみたいなコンテンツはいいよ」と思いながら立ち読みをしてみる。

 それがまあ一瞬で態度は変わるもので。禁断の果実をかじったようだった。パラっと流し読みしただけでもそのときの僕には刺激的な内容だった。自己啓発書のような衣をまとっておきながら、中身はもう思想書。仕事や働き方、金融や経済、コミュニティのつくり方など、マルセル・モースの『贈与論』の話からミヒャエル・エンデの『モモ』まで幅広い教養や知識を用いて、一つの物語として自分の思想を展開しているように読めた。ビジネスとスローのあいだ、その中間がいい、と語る著者。購入して時間を見つけては耽読。読み終えるまでもなく、僕は影山さんのファンになっていた。

 影山さんは、マッキンゼー&カンパニーで大企業向けコンサルティング、ベンチャーキャピタルにて金融・投資の仕事を経験後、2008年に東京西国分寺にてクルミドコーヒーをオープン。クルミドコーヒーは2013年に「食べログ」のカフェ部門ランキングで全国1位に輝いている。

 一見華々しく見える経歴から、大枚はたいてクールな感じに仕事するエリート臭を漂わせる“僕の大嫌いな”ギラついたマウントビジネスマンかな……と思ってしまうけれど、影山さんの語り口調とお店の軌跡をたどると決してそんなことはない(あれ、これはむしろ語り口調に騙されている!?)。

 西国分寺という地域に流れる文化・文脈をよく理解したうえで、その土地に流れるストーリーを丁寧に紡いでいくようにお店をつくっていく姿勢が素敵だ。それも地域の人々と一緒になってってところが。

 影山さんは自分の考えていることを平易な言葉で他者へ語る。それがすごく上手に感じる。それは本を読んでいても思うし、オンラインイベントでも感じたことだった。世界・社会・金融・仕事・働き方・生活・未来のこと…それらを総合的に考え、疑問に感じていること、疑問に答えるために行っていること、そしてなぜそれをするのかという理由の部分。これらは僕自身が書く・伝えるというお仕事をしていて、いつも苦心する部分だ。それを時にはサラーッと、時にはエモーショナルにやってのける。

 だから、イベントで質問してみたんだ。

『ゆっくり、いそげ』『続・ゆっくり、いそげ』を読んでいてすごく触発されますし、影山さんの文章が好きです。ご自身の考えていることを言語化するのがお上手だなあと感じるのですが、本を出版する前から文章を書かれたりしていたのですか? また、他人に思いを伝えるにあたって、何か努力していること、大切にしていることはありますか?

 その質問に対する影山さんの回答はこうだった。

それは僕もあなたのように考えてきたことがあって、それの積み重ねだった。「伝える力を高める」というのは「考える力を高める」ということでもある。そして、考えるためには「問い」が必要なんです。

 シンプルで的を射た返しだった(少なくとも僕はそう感じた)。
 結局はそれの積み重ねであって、その中身は自分の経験で貯めていくしかない。影山さんも本の中で語っていたように、目の前の人(カフェならお客さん)に対していかに誠実であるか。それを言葉を伝えるって文脈で言うのなら、いかに「自分の言葉」で相手に語りかけるかってところなんでしょう。

 僕は自分の思想を持っていて、それを借りものの言葉ではない「自分の言葉」で他者へ伝えることができる人を尊敬する。そして、弁のたつ評論家で満足せず、自分の思想をリアルな現実の場に、ちゃんと形として残して、他者と共有できるようにしている人にますます惹かれる。

 「隣町珈琲」の平川克美さん、「タルマーリー」の渡邉ご夫婦、「わざわざ」の平田はる香さんなどなど。もちろん、影山さんだってその一人だ。当然、自分たちの軸がしっかりあるということは同時にクセがあることも意味するだろうし、失礼ながら周りの方々は大変なんだろうなと思ってしまうこともある。だけど、社会的な目で見て、この方たちのやっていることは意義のあることだと思うし、自分は共感するし、かっこいいと思う。自分が目指す大人像の一つ。

 まだまだ自分はあまちゃんだけれど、10年後20年後になって自分は嘘がない人生を送ってきているなって思えたら本望。そして、自分のやっていることを今の僕のようにかっこよく思ってくれる方がいたらなお嬉しいものです。

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