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治療家になったきっかけから、地域随一の人気店になるまでの道のり

初めまして(^^♪

私は川崎市中原区元住吉で整体・マッサージリラクゼーション【癒し処こうみや】を開業している熊谷と申します。
まずはこちらのnoteに興味を持って頂きましてありがとうございます。
今回、私がどんな経験から治療家になり、その後どんな想いでお店を開業し、多くの方にご来店頂けるようになったのか、その物語をお伝えしていきたいと思います。

きっかけは中学生時代に起きた衝撃から!!

中学校ではバスケット部に所属していました。地元の公立学校ではありますが、部活動は自衛隊のような厳しさがあり、大会の時には坊主頭。試合に負ければ負けた試合分だけグランド×10周というような昔ながらの体育会系でした。私自身は試合に出た2秒後にキャッチミスをし、すぐにベンチに戻され腕立て300回をやらされたのは今でも覚えております。今の教育では怒られてしまいますが、当時は普通でしたね(苦笑)
その厳しさのおかげもあって、大会では県ベスト4に入り、市民大会も上位常連校になったので、それはそれでよい経験をさせて頂きました。

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そんなバスケットの練習中、ゴール下でシュートを打とうとした瞬間、腰に激痛が走り、全く立てなくなり、そのまま大きな病院に搬送されることになります。その後は、腰のリハビリを長きに渡り経験することに・・。

そこで出会ったリハビリの先生に感銘を受けて。

そこでお世話になったリハビリの先生。親切に身体のサポートをしながらのアドバイス。どうやったら今後の身体がうまく使えるようになるか、そんな真摯な仕事の姿勢を見て、『こんな仕事があるんだ・・』そう感じました。高校時代もありがたいことにバスケットを3年間全うすることができ、その時の進路は大学ではなく、スポーツに携わり、選手のケガのメンテナンスをする。そんな仕事に就きたいと思い、スポーツトレーナーとリハビリの両面を学べる専門学校に進みました。
(その後、開業するときに当時のリハビリの先生にご挨拶をしに行ったら『熊谷君もここまで来たか!』と言って頂けたのは専門学校を卒業してから10年後のお話)

専門学校卒業後は様々な健康業界を経験する。

在学中・卒業後はご縁もあって、自分の出身高校のバスケット部コーチを兼任しながら、学生時代の実習先でプロサッカーチームのチーフトレーナーが神奈川で開業するというお話からコンタクトを取り、色々と学ぶために一緒に働かせて頂くことになりました。
基本となるのはマッサージ。人の身体に触れなければ話にならないので。
路面店から温浴施設、スポーツジムの中でも活動をしながら、休みの日はバスケットのコーチ。本当にずっと働いてましたね。若さでしょうか(笑)

その後は、もっと身体を詳しく勉強し、提供できる幅を広げたいと考えるようになり、トレーナーにも治療家にも対応できる【鍼灸マッサージ】の専門学校に入学しました。そこで解剖学や東洋医学、内科的疾患に関する知識など学び、その知識を現場で活かすために、午前学校が終わった後に、午後は接骨院や整形外科・大学陸上部のトレーナーなど掛け持ちながら、資格を取るまで両立しながら過ごしてきました。当時からリハビリの施術に入らせて頂き、勉強したことを患者様に提供しながら多く触れさせて頂いたのは貴重な経験でした。

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鍼灸院に勤め、奉仕の精神を学ぶ。

国家資格を得てからは鍼灸院に勤めました。そこではスタッフも50名以上、患者さんもベッドが30台近くあろう場所で、多くの患者様に触れながら、腕に磨きをかけつつ、患者様との接し方や、地域での交流、海外での支援ボランティア活動における【奉仕の精神】を学ばせて頂きました。治療家として、どんな人間であるべきをかを考えさせられた時期でもあります。その時期あたりから、自分でお店を持った時のイメージをしながら活動するようになりました。それ以降は大手の整体院に勤め、経営の流れを学びながら開業をすることになります。

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一歩踏み出せばすべてが回り始める。

地元、元住吉でたまたま見つけた空きテナント。問い合わせをしたら募集を始めたばかり。その瞬間にピンとアンテナが立ち、その場で仮押さえから、すぐに税理士に相談して、開業届と退職届を出し、そして4日間で事業計画書を書いて、すぐ借り入れ数百万をクリアして本契約という普通ならありえない流れですが、事前準備をしていたので、あっという間に物事が進みました(笑)しかし、治療家としての技術や知識は勉強していたものの、経営は本当に素人。実際に1から作るホームぺージやパンフレットの業者探しから内装工事、必要な備品からお店のシステム作り、本当にその場で乗り越える壁が多い日々。

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もちろん施術をこなしながらですし、業態はサービス業にもなるのでそのサービスを学ぶために、その手の本を沢山読みつつ、ディズニーランドホテルやリッツカールトンホテルなどのサービスが良いと言われるものがあれば、実際に行って経験してくる。気になる人に出会うためにすぐにコンタクトを取って話を聞きに行く。なんて生活でしたが、それでも充実感もありながらなので楽しく仕事をさせて頂いておりました。

そんな生活を2年過ごした結果・・。

ありがたいことに、開業してから1・2か月でお客様も増え始め黒字となり、3か月経つ頃には予約もお断りすることも多くなるようになっていきました。
いらっしゃるお客様はお身体のストレスが強く、心身ともにお疲れの方が多かったのですが、なんとか要望に応えながら、時にはお店オープン時から長い時は23時~24時とご飯も食べることもなく、休みの日は事務処理もあるため、1週間のうちに半日あればいい位、施術に当たっていた時期がありました。
そんな自分にも無理を重ねた結果、身体を壊すことに繋がりました。夜、救急外来にお世話になり、そのままさまざまな病院をたらい回しにされました。最初は原因が分からず、この時に感じた、その不安感は本当に辛かったですね。そんな状態でもお店を切り盛りしないといけなかったので。結果的には多くの人の繋がりから、なんとか回復の兆しが見え、活動ができるようになりました。

改めて施術に当たる際の価値観を見直す。

やはり無理は禁物(苦笑)誰かのためにと思って突っ走った結果、自分を疎かにしてはいけない。と実感したところで、改めて一つ一つを見直しはじめたんです。
【自分一人では限界がある】と。そこで、前職でお世話になったスタッフに当店でも一緒に働いてもらえないか相談し、その後お店を守ってくれることになりました。迷ったときにアドバイスをもらい、その方向性の再確認をすることで、今のお店の基礎を作ることに繋がりました。
これはお客様にも言えることですが、抱え込みすぎるとろくなことになりません。限界を迎える前にちゃんと吐き出さないといけないですね。
その後は、休憩をしっかりとり、時間を確保することで質が上がり、結果的にお客様一人一人の成果をさらに上げることになりました。
その甲斐もあり、一人でお店をやっていたころより、お客様の人数が増えても対応ができるようになり、私自身も成長したお店になりました。

その後の人気店としてご紹介や口コミが増え、中々予約が取れないお店の仲間入りに。

紹介が紹介を呼ぶ流れになったり、口コミ数も某大手サイトでは150件以上の口コミ(2年間で消失してしまいますが)Googleでも良質な口コミを数多くもらえるようになりました。嬉しいですよね、そんな声を頂けて、その方の生活の質が上がって、日常の良い時間を多く過ごして頂けるようになるなら。私たちの仕事は信頼・信用を積み重ねていくものですが、それを肌で感じることができる素敵な仕事だと思っています。

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そして私は普段、こんなことを思っております。
ご来店頂いているお客様にもお仕事があります。その仕事のモチベーションは人によって違いますが、当店で施術を受けたあと笑顔になってもらえて、その笑顔でいられる状態で、お客様自身が仕事をされている時【お客様のお客様も自然と笑顔になれる】というきっかけになったらどんどんと幸せが広がっていくなぁ。そんな【幸せの連鎖】ができたらいいなと考えております。しかめっ面で接客とかされたら嫌ですもんね(笑)
心も体も余裕があれば、自然とそのゆとりって伝わるものなので。それが広まればいいなと。


そんな当店のコンセプトがこちら。

健康と幸せ《こう》を実らせる・実感させる《み》場所《や》

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という意味で【こうみや】と名付けました。
※実は別の意味でも私と両親の名前を一文字ずついれると《こうみや》という名前にもなっています。父親が自分のお店を持つのが夢だったという話も聞いていたので一字もらいました。

これから私自身もお店もどんどん成長していきます。

ゆっくりではありますが、着実に成長しているお店。スタッフも増え、これからも多方面に動きを出せるようにしていきたいと考えております。
私自身は初心は忘れず、変わらずに真摯にお客様に向き合いながら今後も健康を提供していきます。

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こんな長文にもお付き合い頂き、また興味を持って頂きありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。
癒し処こうみや
熊谷康孝

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