ノート_輝き_2

桜になんて、なれなくていい

こんな話を聞いた。

日本人は切なさを感じるモノに惹かれやすい。

たしか以前読んだ本に書かれていた内容だったと思う。切なさを感じるモノに惹かれる…考えてみるとなんとなく納得できた。マンガや小説など、叶わない夢、叶わない恋を追うものが溢れているからだ。日常を描いた作品でも、かえって過ぎ去る時間の切なさが際立つ。

惹かれやすい、というより、日本人は感じやすいのかもしれない。

日本人が愛する自然も切なさを含むものが多い。桜、椿、蛍、線香花火、金木犀、舞い散る雪。

ノート 

そういえば、と気がついたことがある。大学生のとき、女の子多くはいわゆる”透明感のある子”だった。灰色の、逆光をふわりと透過するヘアメイク。消え入りそうな白い肌。写真の加工は決まって淡い色合い。確かにキレイだけどみんな同じ顔に見えて。不安定な存在感は、記憶に残らなそうで不安になってしまう。

―――

"記憶"をすることが好きだ。

さらにいうなら、人に"記憶"されるが好きだ。

誰がどんな人で、どんな活動をしているのか。僕と会ったときどんな出来事があったのか。些細なことでも、瞬間で再生できるくらい、鮮明に記憶しているし、記憶していたい。

そして。

”僕”という人間は、こんな活動をしていて、雰囲気はどんなもので、一緒にいてどんな出来事があったのか。何を思って、どういう印象を持ったのか、記憶してほしいし、記憶されたい。

誰かの記憶に残らないと、まるで果てない海で行先を見失ってしまったかのように、不安になる。自分は何者なのか。すべてが一気に抜け落ちて、目の前のことがテレビ越しのドラマみたいに他人事になってしまう。

だからこそ、誰かに記憶されるということは僕にとって大事な意味を持つ。

その人の時間のなかに、確かに僕は存在していて、それこそが自分自身にとっても、現在地の証明となる。

逆も然り。誰かを記憶するということは、僕が誰かに印象を持ったということ。それは当時の僕にしかわからないことだ。だから誰かを覚えて感じることは、回り回って、その時間を生きていたという自分の証明になる。

ノーと輝き

ライターもカメラマンも根源は”記憶”にある。誰かのエピソードを聴き、想いを綴ることにすごくやりがいを感じるし、過ぎ去ってしまう瞬間を記録できる写真にはとてつもない喜びを感じる。

あまりにあっけなく自分を見失ってしまう僕にとって、僕と現実をつなぎとめてくれるモノ。それが”記憶”なのだ。

―――

人の記憶に残る一番の方法は、別れ際に何かをすることだという。

儚さに魅力を感じる日本人にとって、別れは特別な出来事。卒業式や恋人と別れる直前を、人は強く心に焼き付ける。何度も思い出し、脚色がなされ、再び強く記憶されていく。桜や椿などもいい例だ。記憶に残りたければ、別れ際に何かをすればいいし、儚く散ってしまえばいい。

だけど。

それまでの長い期間、特別でないのはすごく淋しい。高校生だとしたら2年間、損してる計算だ。そしてややこしいことに、僕は遠く離れた瞬間、特別に感じられるとすごく嘘くさく感じてしまう。

だって2年もの間話してて楽しそうじゃなかったじゃん。いまさら特別な友達だったよ、って言われても正直困るよ。本当に特別なら会えるうちに、目の前にいるうちに特別だったって伝えてほしい。

そうしたらたくさんのことを記憶できるし、どの思い出もきっと楽しくて、本心から特別な気持ちを受け取れる。

散り際を美しく感じ、美しく散るために余力を残しておく。古来、切腹に代表される日本の風習は、正直好きじゃない。終わりまで全力で残された時間を彩りたい。たくさん、僕のことを記憶してほしい。

もしそれでも。散り際に美しさがあるというのなら。せめて泥臭く、最後までやり尽くして散ってみせたい。

そうすることできっと、たったの一瞬だとしても。

結果ではなく過程として、誰の記憶からも消えない極鮮色の輝きを放てる

僕はそう信じている。

ノート 輝き


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