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地震と感染症が自然との共存の仕方を教えてくれる

                           黄 文葦

今日、3・11東日本大震災は12周年。この3年間、人々はコロナに注目し、地震などの自然災害に対して油断していたように思える。2年前、東日本大震災から10年目を迎えたが、政府が東日本大震災十周年追悼式を行った。しかし、この大きな自然災害が私たちにどのような教訓を与えたのか、深く議論されたことはなかったようだ。
 
当方は日本に来てから、人間と自然の関係について意識が変わった。特に3・11東日本大震災の後、自然に敬意を払う価値観が段々と形成されてきた。
 
大震災の後、当方はかつて二度被災地を訪れた。2014年の春、ボランティア団体の方と一緒に福島第一原発の10キロ圏内と仙台若林区荒浜に行った。福島第一原発の周辺の誰もいない広い土地に、除染作業の後に残された黒い袋と見られるものが並べられた景色を今でも鮮明に記憶している。
 
その際、津波で多大な被害を被った仙台荒浜海辺の小屋で、「震災前と震災後」というテーマの写真展があった。かつてにぎやかできれいな街並みを持っていた海岸が、津波で何もかも流された。それは天災なのか、人災なのか、考え込んでしまった。
 
2017年の夏、気仙沼へ行った。「海と生きる」、気仙沼の街および旅行宣伝資料の中で、よく見かける言葉である。何もかも津波に流された。それでも海を恨んではいない。自然に敬意を払い、海と生きているように感じる。
 
ウイルスであれ、自然災害であれ、人間の営みと結びついている。社会進歩を求める結果は、ハイスピードで自然を改造し、知らないうちに度々自然を怒らせたかもしれない。多くの自然災害は人災に由来すると思われる。
 
新型コロナウイルスのような感染症の流行は自然災害の一種なのか、どうかについては、いろんな論議がある。文明が発達し、人間社会の都市化が進み、人と人との接触が増えたことで、集団間でウイルスが急速かつ効果的に拡散するようになったに違いない。感染症は人間の様々な関係を侵す病だ。
 
人間の狂気と無知によって、諸刃の剣を持つ現代のテクノロジーは、地球上の無数の資源、植物、動物に前例のない不可逆的な破壊と絶滅さえもたらしている。地球と自然は人間から身を守るために、自己防衛と免疫を活性化させたのだ。洪水、干ばつ、ブリザード…そして、この変わり続けるコロナさえも。
 
地球と自然は何度も何度も、無限に広がる人間欲望から目を覚ますように、無知と傲慢を反省するように、そして自然と生命への畏敬の念を持つように警告を発している。自然を守ることは、人類を救うことでもある。
 
コロナから3年、私たちの活発な活動は一時停止ボタンを押し、飛行機に乗らなくなった。自然界は魔法のように変化し始める…鳥の歌など新しい音が聞こえてきた。空が澄んでいくのが見えた。人類が立ち止まったことで、地球は再び息を吹き返すことができた。
 
この3年間は、私たちの多くにとって困難な時期であった。自然界の未来、そして私たち自身の未来を確保するために、私たちはどのような教訓を得ることができるのだろうか。
 
世界を良い環境に戻し、人類が地球上で災害や苦しみなく、健康で幸せに暮らせるようにすること、それが私たちの究極の目標だ。地震と感染症が自然との共存の仕方を教えてくれる。「3・11を忘れていませんか」と世間に問いたい。そして、「海と生きる 自然と生きる」を肝に銘じて生きよう。


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