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【短編は「ワザ」で勝負する!】トリッキーで効果的な技が冴える短編(2014年6月号特集)


短編は手品に似ている

 文章を読むという行為にはご褒美が必要です。共感、感動、新しい知識、新しい発見など、何かを読者に与える必要がありますが、ご褒美は長編と短編では少し違います。長編はそれなりに重い読後感がないと、読んだ労力に見合わないところがあります。重いというか、真面目というか、テーマと真正面から向き合っているというか。

 一方、短編では落語のようなオチのある作品やコメディーもOKです。
 たとえば、吉行淳之介の「あいびき」という小品。ある男女が『あいびき』というホテルに行く。そこに行く前、男女は階下のレストランで食事をしたが、メニューにはミートボールしかなく、二人は不思議に思う。で、二人はベッドインしますが、女の子宮は鉄製のポンプになって男根を吸い込み、一方、男根は巨大な研磨機になって女を内部から粉砕していく。そして男女は骨までこなごなになり、合い挽きの肉塊になって、階下のレストランのミートボールになる……。

 とてもシュールな展開で、これが長編だったら、長らく読ませて終わりはダジャレか!と言いたくなりますが、この作品は文庫本で5ページの小品だから許せてしまえるところがあります。
 このように短編には、多かれ少なかれ最後に意外な結末が待っていたりしますが、結末が分かってしまわないように、なんらかの工夫をしないといけません。

 たとえば、新美南吉の童話「飴だま」。
 子どもを二人連れた女の旅人を乗せて、渡し船が出ようとしている。そこにヒゲを生やした侍が乗ってくる。侍は居眠りをしてこっくりこっくり。子どもが笑うと、母親は侍が怒りだしては一大事と注意する。子どもの一人が飴だまをねだる。
 母親は与えるが、飴だまは一つしかなく、子どもたちは争う。子どもの声に侍は目を覚まし、刀を抜いてやってくる。母親は居眠りをじゃまされた侍が子どもたちを切り殺すと思うが、侍は飴だまを刀で二つに割って分けてやる。

 このラストが手品的などんでん返しですが、もちろん、最初に「これは侍が子どもたちのために飴だまを割ってやる話です」と言ってしまったら台なしです。
 また、そのことは覚られないように、「黒いひげをはやして、つよそうなさむらいが」と設定し、親切などはしないような雰囲気を醸しておく。このへんの勘所は手品や話術と同じです。

短編には切れ味が必要

 太宰治に『親友交歓』という短編があります(『ヴィヨンの妻』所収)。
 昭和21年9月、主人公の「私」は罹災して生家の津軽に避難している。そこに小学校時代の同級生の平田という男が訪ねてきます。この友人がまた傍若無人な振る舞いをし、「かかにお酌をさせろよ」などと言って私をさんざん振りまわしますが、私はウィスキーを出したりしてもてなします。

 帰り際、友人は「ごちそうになったな。ウイスキイは、もらって行く。」と言い、私は四分の一ぐらい入っている角瓶に、友人がまだ湯呑茶碗に残しているウィスキーを注ぎ足してやる。すると、「ケチな真似をするな。新しいのがもう一本押入れの中にあるだろう。」と言う。私は煙草まで持たせて友人を玄関まで送るが、最後に彼は私の耳元でささやく。
「威張るな!」
 これが最後の一行で、この作品はこれで終わっています。真似したくなりますが、下手にやるとセンスが問われそうな小気味よい終わり方です。

 さて、次ページでは、芥川龍之介『魔術』、太宰治『魚服記』、生島治郎『暗い海暗い声』、向田邦子『三角波』を紹介します……

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※本記事は「公募ガイド2014年6月号」の記事を再掲載したものです。