スーパーでの日曜日

月に1回か2ヶ月に1回か、肉のハナマサで買いだめすることを習慣にするようになって何年経つだろう。近くの、でも普段行くスーパーより10分くらい余分に歩くところにある。多くて月に1回のイベント。
そんな日曜日は何もしない日である事がほとんどで、一日家で過ごしている。冷蔵庫の中が寂しくなってきたことを感じる1週間を過ごしたあとで、いよいよ行くかと重い腰を上げる。何もしない日曜日の免罪符のような側面も持っていたりする。

普段はあまり通らない道。
欅や銀杏が多い東京の街路樹の中で、この通りは柳が植わっている。
そんなところが好きだし、18時まで営業時間のはずなのにもう閉まっている肉屋、中華屋の店内を覗くと私より30歳も年上の人たちが料理を食べながら店の入口の上に設置してあるテレビに注目しているのが好きだ。
銭湯から出てきた親子はちょっと薄着でも湯気が上がっているように見えるのが不思議だし、ここを歩くと私の日常から一枚一枚剥がれつつある生活に触れられるから、大好きだ。きっといま見える人たちから見た私の生活はどこまでも無味無臭の非日常なのだろうなと思ったりしながら歩く。

お店につく。
右手でカゴを取り、入り口の野菜コーナーから物色する。
いつも買うのもが決まってきている。葱ともやしとピーマンと、キャベツの半分にカットしてあるものと、きのこの中からぶなしめじとエリンギ、にんにくとしょうが。そんな野菜たちを買う。やっと秋になったと感じさせてくれていた梨の姿はもうなく、柿があらたに陳列されているのを見て、思わず一つ買ってしまった。そういえば、歩く道すがら渋柿が色づくのを見るのが最近の楽しみでもあったことを思い出す。梨は好物だけど、柿はそうでもない。

肉のコーナーに行く。
豚肉、牛肉、鶏肉。この日は全部の肉を見る。
あらかじめどの肉をどれくらい買おうなんて考えていないから、見ながら、値段を考えながら、冷凍するから容量を気にせずに肉コーナーをうろうろする。豚コーナーは女性が多く、牛肉コーナーは男性が多い。男性は比較的若い人が目に付く。私と同様1人で買いに来ているようで、迷いなく300gのステーキを手に持ってさっそうとレジに向かっていく男性が目についた。
私は豚肉も牛肉も鶏肉も、それぞれ目的に応じて買うことにした。

あとは日常使いのもろもろを補充して、レジに向かう。
夕方の混む時間までまだしばらくある店内は空いていて、私の前には1人並んでいるくらいだった。3つあるレジのうち、1つのレジでは70代くらいの女性が店員と話しながらゆっくり会計をしていて、ほっとする。会計を待つ間、ぼうっとしていると私と70代の女性が通路を塞いでしまっていたようで、後ろから、通ります、と小さく声をかけてきた女性に気づく。通れるように少し移動し、その女性は出口から出ていった。その拍子に70代の女性のカートがゆるゆると動き始めていって、私がそれを受け止める。そのカートに買い物袋を置こうとしていた70代の女性に、恐れ入ります、とにこにこしながら声をかけられる。とんでもないです、と思わずわたしもにこにこしながら返す。ただそれだけのちょっとした出来事。でも、こんな出来事がすこしずつ積み重なることがうれしいことなのだということを知るようになった。

帰り道、少し買いすぎたせいで両手にぶら下げた袋は私の腕がちぎれそうになるくらい重い。この店に来るときの帰り道は絶対こうなってしまう。そして家まで15分ほども歩かなくてはいけない。無心で、ただただ重いと思いながら、でもできるだけ腕に負荷をかけないように静かに早歩きで帰る。

家に帰ったら肉を小分けにして冷凍して、今日の夕飯を考えようと思いながら。


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