分からないことを「分かりません」と言う勇気(『韓非子』初見秦篇)
今回取り上げるのは『韓非子』初見秦篇からの言葉。
よく知らないのに口を出すのは、自分の不知を明らかにすることであり、知っていて言わないというのは、相手への真心が足りないことになる、という意味。
よく分かっていないのに知ったかぶりをしてしまうと、かえって自分の不見識を明らかにしてしまいます。
また、自分が知っていることを相手に伝えないのは、相手に対する思いやりが足りません。
知らないことは知らないと認め、知っていることは相手にきちんと教えてあげるのが大事なのです。
私は変なところにプライドがあり、仕事中に自分が知らない単語が出てきても「あ、○○ですね、ええ、知ってますー」と知ったかぶりをしてしまいます。
会話が終わったあとにこっそりと調べて対応するのですが、よくよく考えるとこれって結構無駄なことをしているな、と思うのです。
その場で聞いておけば一瞬で済むことなのに、自分で一から調べようとすると時間がかかってしまいます。
また、知ったかぶりをしながら会話をしているせいか、ところどころの理解も浅くなってしまいがちです。
すると結局、細かいところで内容がよく分からず、後で確認し直す羽目になるのです。
相手からしても「さっき知ってるって言ってたじゃない」という感じになってしまい、余計な手間をとらせてしまうばかりか、自分への信用も損なってしまいます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言いますが、本当にその通りだと思うのです。
知らないことは知らないと言うこと。
その一瞬は恥ずかしい思いをするかもしれませんが、中長期的に見ると得の方が多いです。
調べる時間も節約できますし、内容をその場で理解することができます。
しかも、あとで聞き返すこともなくなるので、相手の貴重な時間を無駄にしません。
まさにWin-Winの関係です。
このことに気づいてからは、分からないことは「分かりません」と言えるようになりました。
ちょっと恥ずかしかったり、情けない気持ちにもなるのですが、後々のことを考えると今のうちに聞いておいたほうが楽なんですよね。
そして、韓非子の言葉をより大事にするために、自分の知っていることは積極的に教えるようになりました。
困っている人がいたら「○○という場合もあるので、一度確認してみると良いかもしれません」とアドバイスしてみたり、自分が過去に困ったことがあれば、それについての手順書や解決法を資料として残してみたり。
相手にとって役立つことをアウトプットすると自分の理解も進みますし、相手にも喜んでもらえるので一石二鳥です。
なので、この言葉は私の中でもとても大事な言葉になっています。
知らないことは知らないと言いましょう。
知っていることは積極的に教えてあげましょう。
最初からなんでも知っている人はいません。
誰もが最初は初心者だったのです。
分からないことがあれば教えてもらって、次に誰かが困っている時に教えてあげれば良いのです。
きっと世界はそういうふうに回っているのだと思います。
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