見出し画像

コウノトリが運んでこないタイプの愛

愛とは。永遠のテーマである。
私は親に愛されていない、といえば大抵の人はいや、そんなことはないだろうと言うだろう。私だって言います。私は親に愛されていると思うしそう思いたい。だけどふとした瞬間、何故か私のために親がしてくれたことが私にとって愛ではない何かのように感じて無性に気分が悪くなることがある。それは特定の行為とかではなくて、おそらく私のその日の機嫌とか、あるいは親の機嫌とか、状況とか雰囲気とかいっぱい原因はあるのだろうけれど。どこまでがお前の仕組んだことでどこからが想定外だった?どこまでが貴様の引いたレールでどこから私を操縦不能になった?よくわからない。親は多分子供を操縦したいと多少なりとは思っているだろうし、無償の愛なんて存在しないとして私はその事実を受けれようとしてはやはり吐いてしまう。気分が悪くなる。私は親を利用しようとしているのに、親には操縦されたくない。これは傲慢なのではないだろうか。そうかもね。しかし私は操縦されたくない。それは自立したいとかそういう気持ちの表れ、というよりは中途半端な計画性のない操縦をされたくないのだと、おそらくそうだと思います。
例えば家庭の都合で、本来は進学したかったのに、就職を余儀なくされた。これは私も実際あったし、似たような経験をした方も多いと思う。親の都合で就職したとしても、そんなこと他人にはわかりやしないし、就職活動は必要最低限は自分で行った訳だから、一応他人からしてみれば個人の選択となる訳だ。それはもう本音と建前というやつで、「貴方はどうして弊社で働きたいと思ったのですか?」と聞かれたならばそれ相当の志願理由を答えなければならない。「親に言われたので」なんて、事実だとしてもそんなことは理由になりやしないのですよ。でも本音はそれだ。「家庭の事情で就職して欲しいと言われたので御社を志願しました」。間違えではない、正しくもないが。
そう生き方をしていると何だかずっとねじ曲げられたような気がしてしまう。最初の選択肢を奪われたのにここからはお前の自由だと言われるのは何だかいきなり片道を塞がれて、ここからはひとりで生きていけと言われたように感じるし、それはもう親の人生では?とかいちいち要らんことを考えてしまう訳ですよ。
勿論、それに逆らうことだって出来る。二十歳過ぎれば自分の人生だ(と私は思っている)し、家だって出れる、結婚だって出来る、転職だって勝手にすればいい。でも考えてみて欲しい、お金がなくて父親がいなくてそんな状況の家を出れるだろうか、そんな状況の家に「いや、私は進学するから」なんて厳しいことが言えるだろうか。私は辛いです。他人のための選択なのにそれすらどうせ上手くいかないのだ。そういって就職した会社だって病気になって二年で辞めた。私はこの家に親に何も貢献出来なかったんだなあとしみじみと感じたし、今も感じている。
私の考え方がねじ曲がっているのかなあ。父親が出ていったあの日から、母親は私にとっての唯一の親だし、お互いに協力していこうとするパートナーみたいなものになった。父親と別居して数年。私は母親を守りたかったしその時点で私は私を殺していたのかもしれない。私たちは親子から逸脱し、共に生きるための伴侶、つまりは私が子供を超えてしまったのだ。親のエゴで。別にこれは批判とかではないけど。親には感謝しているし、母親も父親も愛しているし。でもエゴだ。私の両親は話し合いから逃げた。全てからもうずっと逃げ続けている。でもそれは仕方のないことだということ、それは子供の頃からもうわかっていた。だって出ていく前から父親はほとんど家にいなかったし、父親と母親はほとんど口も聞いていなかった。どちらかが何かアクションを起こすのは時間の問題だったはずである。悲しいですね。
思えば父親が出ていってから子供らしいことなどほとんど言った覚えがない。いや、実際はそこそこ言ってはいたんだろうけど。
子供はひとりだし、だから私が結婚したら母親はひとりになってしまう。それが本当は苦しくて悲しい。けれど仕方のないことなのだと思う。そこを配慮して私がじゃあ結婚相手は母親と同居してくれる人にしよう、とするとそれはこれまでの人生の二の舞だ。また私が他人のために生きて、内部分裂するだけ。
私は私の人生を生きますよ。自分のことは自分で決めます。それは母親のやることではない。

私たち家族に幸あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?