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脚本と小説の書き方の違い その2

「脚本と小説って、つまるところどこが違うの?」
と訊かれることが多いので、以前こんな投稿をしました。

ここに書いたのはそれぞれの「描写の仕方の違い」ですが、その他にもいくつもの相違点があります。
今、私は「小説を原作とした映画脚本」を書いているため、日々その辺りを意識していまして、
「こういうことだよね」
と気付いたことを備忘録としてツイートしました。

こういう相違点がある前提で、映画の脚本家は、ストーリーの構成を原作小説とは違ったものにすることがあります。
例えば、ある登場人物の過去の辛い経験が現在の行動に大きく影響を及ぼしているとしましょう。
構成としては、
A:過去の辛い経験→現在の行動、と時系列順で描く。
B:まず現在の行動を観客に見せ、「なぜそんなことを?」と思わせた上で、過去を解き明かしていく。
などが考えられます。
小説はどちらの構成になっているのか?
その構成は、映画にも適しているのか?
適さないならば、どう変えるべきか?
……といった判断を脚本家はするわけです。
小説としていかに完成度が高くても、その構成が映画にもふさわしいとは限らない、ということですね。

また通常、長編小説の内容を”逐語訳”のように映像化すると、一般的な映画の尺である二時間には収まりません。
無理やり押し込むと小説のダイジェスト版のようになってしまい、映画として面白いものにはならないので、ここでも「構成の見直し」が必要になります。
例えば、「原作小説では三つの事件が同じ分量で描かれているけれど、映画ではそのうちの一つを主軸にする」といったことです。

”小説の逐語訳”のような脚本を書くと、他にも問題が起きます。
例えば主人公がカフェにいて、隣のテーブルのカップルを見ながら自分の過去の失恋を思い出しているという場面があるとしましょう。
小説ならば、地の文で失恋した際の主人公の心情を事細かに語っていても、特に違和感はないはずです。
これを映画に”逐語訳”して、「隣のカップルを見ている主人公の表情に、小説の地の文の内容を全てナレーションにして被せる」というシーンを作るとします。
そうすると映像上は数分間にわたって動きがほぼなくなって、冗長になる可能性があります。
それならば……ということで失恋した場面を回想シーンにして映像で見せることも多いですよね。
ですが、回想シーンが常にベストとも限りません。
例えば「主人公が自分を振った相手と再会し、話をするうちに気持ちが昂ぶって、当時の思いをぶちまける」というシーンを作った方が効果的、ということもあり得るわけです。

これらのことを一つ一つ「どうすべきなのか?」と考えながら、脚本家は原稿を書き進めていきます。
さて、なぜ私が長々とこんなことを書いているかというと、「原作モノの脚本は、脚本家のオリジナル作品よりも書くのが楽」という誤解を解きたいという思いがあるからです。
オリジナル脚本も、原作モノ脚本も、両方書いてきた私の実感として、強くお伝えしたいのですが、どちらとも難しいです。
難しさの種類に違いはありますが、「どちらかが楽」などということはあり得ません。

脚本というものに触れたことのない人が、なんとなく「原作あるなら脚本書くのなんて楽でしょ」と感じるのは無理もないと思うのですが、脚本家志望の人の中にも一部、そう思いこんでいる人がいて、
「本当は小説家になりたかったんですけど、難しくて無理かなって思って、でも原作の小説とかを脚本にするなら自分でもできそうな気がしたんですよね~」
と無邪気に言っていたりします。
私はネット上に人を批難するようなことを書くのはあまり好きじゃないので、これを言われたときにどう感じているかは書くのを差し控えますが、この種の発言をした人が、後に脚本家になったのを見たことは一度たりともありませんし、これからもないだろうと思います。

【追記】「脚本と小説の書き方の違い その3」も書きました。

お勧めの脚本術の本もご紹介しておきますので、ご興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。

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