『優しさと金は返らない』(会話劇)
「ぼくはさ、優しさと金って、返ってくると思うのが間違いなんじゃないかって思うんだよね」
「最初からあげるつもりでやれってこと?」
「そうだね。まあ、金は貸すものだけど、優しさは貸すものじゃないって違いはあるかな」
「優しさを恩に言い換えたら高く売れそうね」
「きみに恩を売るのは高くつきそうだなあ。恩返しとかさ、本人が自分の意志ですれば美徳だと思う。問題は世間とか同調圧力ってものが、それを押しつけてくるってことだ」
「鶴だって恩返しするのに、あんたって子は!」
「さすがにそんな気が利いたことをウチの親は言わないよ」
「恩返し、親孝行、親不孝、親の心子知らず。親には都合がいい言葉よね」
「親の心子知らずなんてさ、子どもが親の心を察し始めたらもう危険信号だ。親こそ子の心を知らなくてはならない。この子はどう思っているんだろう? 何がしたいんだろう? どんなことに傷ついているんだろう? 子の心を知ろうとするからこそ、子は愛される自覚が持てるし、相手に寄り添える人になりえるわけで」
「親世代の話を聞いてるとね、いい会社に入って、結婚して家庭を持って、子どもを育てて、そうすれば幸せよ。みたいな謎の攻略法を押しつけてくるわよね。時代が違うのは理解できるわ。でも、子を愛するのに時代なんて関係あるのかしら? そもそも、その幸せ必勝法を聞いてる子どもの気持ちって考えたことがある? ないから、あなたみたいに屈折したまま大人になるんだろうけどね」
「あいかわらずきっついなあ。その通りで返す言葉もございませんが。ウチの親は金と物さえ与えていれば、親としての義務は果たした!って人たちだからね。毒親にはそのパターンもあると読んだことがある。ケンカするとさ、『ここまで育ててやったのは誰だ?』って言うの反則だよね? 借金の取り立てかよって話。恩は感じててもさ、恩度は冷めるよね」
「むしろ、怨になるパターンだよね」
「ウチの親ってさ、親と子と、愛情と支配の区別がついていないんだよ。自分が不安だと思うと、子を支配することによって安心する。それは自分の不安なのにもかかわらず、子どもの不安を解決した愛情として語られる。いや、騙られるという方が正しいな。子どもは自由に行動したいのに、親の不安で縛られるんだから。ウチは外泊が厳しくて、泊まりで出かけたことなんて人生で数えるほどしかないよ」
「何歳だと思ってるんだろうね? いい大人だっていうのに。それは引きこもるわよね」
「そこが難しいんだよね。親にとっては子はいつまでも子どもなんだ。でも、年月が経てば大人になる。子が一人の独立した人間だと信じて自由にさせない親は、その親子幻想から抜け出せない。子離れができないってやつ。だから、子どもが大人になろうとするほど、その心を折ったりする。自分の支配下でいてほしいからね。それでいて、説教はしてくるんだからたちが悪い」
「説教なんてこの世で最も無駄な会話だわ。上下関係でしか物を語れない人間がするものよ。その説教をあなたより上の人にできる度胸があるなら聞いてあげてもいいわって言っちゃいたい」
「その度胸はさすがに無謀だと思うけど──そういういざという時に意見を持てるかどうかは大事だと思う。そこで忖度しちゃうようなら、その人は信用できないね」
「権力や支配とか、そういうものが剥がれた時に人間性は出るわよね。自分が護られていたことに気づかないような王様なら、裸になるしかない」
「そんな王様の裸なんて見たくもないけどね」
「まったくだわ」
「ああ、その話はあながち外れてもいないのかもしれない。人は目には見えない服を着ているんだ。それは愛情だったり、期待だったり、優しさだったりね。感じようとしない限り見えない特別な服。それをきちんと受け取って、身につけているという自覚は大事だろうね」
「そして、その透明な服はその人しか着れないし、お金で買うこともできない。売ってお金にもできないのよ。ただ、その服を着せてもらっていると自覚している人は、その透明な服を誰かのために縫うことができる」
「相手には見えないかもしれない服を、誰かに縫い続ける。それが人生の大仕事なのかもしれないね」
「急に人生とか大きいこと言い出したわ。裸の王様なんじゃない?」
「せめて王様だったらまだマシな人生だったな──」
『Kindness and money cannot be returned』 is the end.
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