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VS うつ病リターンズ Part.3 寿司パーティーは突然に

9月16日。父は深夜に帰宅していたようだ。ぼくは睡眠薬を飲んでいてまったく気づかなかった。朝に部屋に顔を出して、半分寝ているぼくを起こしていった。両親はノックをするのだが、ぼくが返事をする前に開ける。自分の行動を優先し、ぼくの自尊心を傷つける癖だ。

精神科に通院する前は、父が朝3時くらいに部屋に来ては不眠でやっと寝つけたぼくを叩き起こして、説教をしていく習慣があった。なぜこっそり来るかというと、ぼくに説教していることを母にバレたくないからだ。事なかれ主義の母はぼくの傷に触れない代わりに、共感もしなかった。
「なんで普通にできないんだ?」
「何かやりたいことはないのか?」
「死ぬ気で何でもやってみればいいじゃないか」
「社会人なら誰だって苦労してるんだ」
階下で何か音がすると緊張した。階段を上ってくる音に絶望した。ぼくの耳は異常なほど鋭く敏感になっていた。幕末の人斬りかな?というレベル。ぼくを責める言葉は、ぼくは役立たずで親不孝な価値のない人間だと切り捨てて、ぼくはバラバラになった。

そんなことがあったので、父が部屋に顔を出すことが怖ろしい。ドアは外開きだが、入れないようにバリケードを張ろうと思ったぐらいだ。この日は父が無事に病院から帰ってきて安堵した。

しかし、父との二人暮らしはつらすぎる。その上、母が入院して寂しくなったのか、やたら声をかけてくる。ぼくがやってる家事を手伝いもしないのに、声をかけてなぐさめる役までやらせるのか? うつ病や不安障害になってから一回も心配の声をかけたことがない人に差し伸べる手はない。でも、このまま気分が落ち込み続けるのも見ていられなかった。

そこでぼくがとったのは、父方の従姉に連絡をすることだった。ぼくの不安障害もあってすっかり疎遠になり、電話を取ってもらえるかどうかも賭けだった。この決断が事態を大きく前進させることになる。
電話は繋がった!2歳年上の従姉に今の状況を話した。従姉は彼女の父(ぼくの父の弟・父と同じく長く透析をしていたが他界)の経験もあって、的確に要点を聞き取ってくれる。ぼくが頼んだのは、父の力になってほしいということだ。すると、なんと晩ごはんを買って持って行く!と言う。

行動力の化身!!従姉はぼくと正反対でとにかくパワフルな人だ。ぼくは長らく顔も見せていなかったので「頼めた義理ではないんだけど…」と伝えたが、「いつでも電話してきていいから。あと、おじさんの体調も報連相してね!」と悩む様子もなく即断する強さに勇気づけられた。

ぼくは夜の面会時間に下着類を届けるために、大型スーパーを訪れた。女性の下着売り場なんて通るのが気まずいスペースでしかなかったのが、今回は踏み込まねばならない。ただ、独りでなんとかする気力もなく、女性店員さんに事情を話して着やすそうな肌着類を選んでもらった。こういう親切な対応にいちいち泣きそうになる。

無事に購入し、家に帰って荷物を整理してから30分限定の面会へ(感染症対策で時間限定)。母はかなり顔色が良くなっていて安心した。今は連休中ということで主治医が決まっていない状態。火曜日に担当が決まって、方針が決まってくるようだ。必需品を渡して、ちょっと話すだけで30分だ。家事のことで訊きたいこともあったが、どうにか洗濯もできてるのでまあいいかとこの日は帰った。

そして、帰宅すると従姉が夫と従妹を連れて三人で来てくれていた!しかも、寿司持参!「父はあまり食べられないから少しで大丈夫」と言ったのに、寿司がめちゃくちゃ並んでいる!しかもたい焼きまである!ありがたい!親戚を招いて食卓を囲むなんていつぶりなんだろう。灯が消えたリビングが生き返った。亡くなった叔父さんの話も交えながら、いろんなことを話すきっかけを作れて本当によかった。ぼくは基本的に借りてきた猫状態なのだが、無理に話さなくても話が広がるのがもうありがたかった。

従姉たちの近況。これから始めたい夢の話。素敵だなあと聞いていた。
ぼくにも目指したい夢や目標が見つかる日が来るのだろうか。
まずは少しずつでも不安障害のリハビリをしていきたい。

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