出雲大社の起源 大国主神様の国譲り 神様も“失敗”して成長した 。百四十
大国主神さま一つの願い
こんにちは。今週は移動もあり時間もバラバラでしたが、なんとか毎日「ことの葉綴り」に向かえました……ふぅ~です(^^!
神さまも“失敗”して成長した、神話の物語。
大国主神さまのご自慢の、二柱の息子神の
言代主神(ことしろぬしのかみ)さまと、
建御名方主神(たけみなかたのかみ)さまは、
「豊葦原の中つ国を譲る」と承諾なされました。
建御名方主神さまを信濃国の諏訪まで追いかけて、
「譲る」と服従させた建御雷神(たけみかづちのかみ)は、
再び、出雲の地へと戻ってきました。
そして、大国主神さまと、改めて向き合われたのです。
「あなたの子どもの言代主神と、建御名方主神は
天つ神の御子の命にそむきませんと、申された。
さて、あなたの心はいかに?」
と、国を譲る気持ちがあるかどうかを問いました。
ご自慢の息子神がすでに承諾されています。
それを受けて大国主神さまも、国を譲る肚を決められたのです。
そして、建御雷神さまに向かい、ゆっくりとこうお告げになったのです。
そうですか。
我が子、二柱の神の申し上げた通りです。
異存はございません。
この葦原中つ国は、仰せの通り、天つ神にお譲りいたしましょう。
ただ一つお願いがあります。
私の住み家として、
天つ神のご子孫が、天津日繼(あまつひつぎ)という、天照大御神さまの大御業(おおみわざ)を受けて継がれるように、
天照大御神さまの御心のままに光り輝く宮殿をつくってください。
このように壮大な宮殿をつくってくださるならば、
地底深く掘り、しっかりとした岩盤を土台として
そこに届くほどの太い宮柱を立てて、
そして、天の高天原に届くような、千木(ちぎ)を高々とそびえた神殿をお造りください。
そう祀ってくださるならば、
私は、多くの曲がり角を曲がり曲がった
果てなく遠い黄泉の国に身を隠すことにいたしましょう。
また私の子どもの百八十神(ももやそがみ)、多くの子たちは、
先頭に立ちしんがりとなる八重事代主神に従いお仕えしましょう。
天照大御神さまに誰も背くものはありません……。
千木とは、社殿の屋根の上に突き出ている装飾のことです。
大国主神さまは、地底深く立派な柱、
高天原に届くほどの屋根の千木
と、立派な住まいがあれば、
そこに静かに隠遁されると仰ったのです。
出雲大社の由来!
そして、出雲の国の多芸志(たぎし)の小浜(おばま)に、
それは、それは立派な宮殿が建てられました。
これが今も多くの人がお参りする、島根県の「出雲大社」です。
2000年、「神話のお話が、実は“本当だった”」と、報道されたのをご存じですか?
出雲大社の、拝殿の下から、巨大な柱が発掘されたのです。
そこから推定すると、かつてこの地に、高さ48メートル以上
階段は、なんと109メートルにもおよぶ神殿が建っていたことが
判明したのです!!
大国主神様が、国譲りをされた神話。
世界の神話でも、戦わずに話し合いで、
平和の中で「譲る」なんて
ものすごく稀少のようです。
すごいですよね!
神話は今も生きている!
―次回へ。
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