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【HSS型HSP】私のお仕事遍歴

こんにちは。はじめまして。
28歳会社員のことみと申します。

私は最近、SNSからHSPという気質について知り
興味をもって調べていくうちに、HSS型HSPという気質に自分が当てはまることに気づきました。

HSPは病気ではなく、気質のため
まだまだ世の中的には理解が少ないですが
書いてあった気質の内容が、あまりにも私と一致していたので
個人的には、ある程度信憑性があるものなのではないかと感じています。

何より、今まで自分の努力不足、豆腐メンタル、破天荒が原因だと思っていた様々な失敗が、実は自分の気質に原因があること知って
衝撃を受けるとともに、心が救われたような気がしました。

周りと同じようにできないのは、私の気質のせいだったのかー!と

まだまだ色々と悩みは尽きませんが
私の頭の中の整理と、同じ気質を持っている方の参考に少しでもなればと思い、HSS型HSPに関するnoteを書いてみることにしました。

同じ悩みを持っている方々に
ぜひ、ご覧になっていただけますと幸いです。

今回は、私の仕事の選び方と、うまくいった仕事、合わなかった仕事について書いていこうと思います。
(※わたしはHSPのスペシャリストではないので、ここではあえてわたしの言葉でHSPやHSS型HSPについて説明はいたしません。
HSPについて知らないという方は、ぜひググってみてくださると嬉しいです!)

--わたしのお仕事遍歴--
▼高校時代
・陸上部のマネージャ(3年間)
・ファストフード店(半年)

▼大学時代
・スポーツジムの受付、プール監視員(1年間)
・個別塾の講師(4年間)
・赤ちゃん用品店(10ヶ月ほど)
・カフェ(1年)
・期間限定アンテナショップ(3ヶ月)

▼社会人
・SIerでの法人営業(3年)
・ECクラウドサービスの法人営業(5ヶ月)
・セキュリティソフトの法人営業(1年10ヶ月)
・SIerでの法人営業(出戻り)←いまここ

1.高校時代

陸上部のマネージャ

とても向いていた。人のためになる、感謝される、合宿に行けたり他の高校と交流があって楽しい、マネージャーの先輩がいなかったため自分で仕事を作っていくことができた。

ファストフード店

全然向いていなかった。
マニュアルにがんじがらめになり考えすぎて思考停止。お客様がいない時間も動き続けなければならないのがしんどい。海外みたいにお客様がいないときくらい漫画読ませてほしい。気の強いフリーターの先輩が怖い。

さて、わたしの人生初のしごとは、陸上部のマネージャーです!
マネージャーは、仕事じゃなくて部活だろ!と思われるかもしれませんが
仕事と通ずる部分がありましたので、遍歴に入れさせていただきました。

高校時代の思い出を振りかえると、ほとんど部活をやっていたような気がします。
部活動が盛んな高校だったので、部活がお休みの日は週1あるかないかくらいで、平日は夜暗くなるまで、休日も朝早くから学校に行き
いつもグラウンドへ向かっていました。

とはいっても、わたしは選手ではなくマネージャーでしたので、部活がキツかったような思い出はありません。
むしろ、毎日毎日部活のおかげで最高に楽しかったです。

もともとマネージャーがおらず、基本的に雑務もすべて部員がやる習慣がついていたため、入部当初は、マネージャーなんてうちの部活には要らないと先生にも部員にも言われておりましたが
私以外にもう1人、同級生のマネージャーがいたこともあり、二人でめげずに仕事を探したり作ったりして
1年後には、マネージャーとしての立場をしっかりと確率することができました。

メニュー表を確認して、すぐに練習ができるように白線を引いたり、目印となるコーンをおいたり
練習についていけない部員のフォローをしたり
大会では部員の心身のケアをしたり。

その結果、マネージャーとしてではなく、同じ部活仲間として部員から受け入れてもらい、感謝されるマネージャーとなることができました。
私にとって高校時代の部活のマネージャーは、青春でありながら、人生初の仕事の成功体験でもあります。

今思うと、人の役に立てることが大好きなHSS型HSPの特徴をフルに活かすことができていたのかもしれません。

また、マネージャーの先輩がいなかったことも私にとってはよい環境で
自分で仕事を作っていける楽しさがありました。

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陸上部のマネージャーは高校生活の3年間しっかりと続けましたが
高校2年生のとき、どうしてもダンスを習いたくなった時期があります。

部活も忙しかったので、並行して習い事をやるのは難しいことはわかっていましたが、憧れが先行して、やりたい気持ちを止められなかったので
アルバイトをしてお金をためて、土曜日の夕方だけでもダンスをやろうと決めました。

そこで習い事のお金を稼ぐはじめたのが、某ファストフード店でのアルバイトです。

チェーンのファストフード店であれば、シフトの融通はききますし、家の近くにあるので通いやすいと思い、すぐに面接を受けて、休日だけ働くことになりました。
今思うと、学校と部活と勉強、よく全部やろうとしたなと思います。

人生初のアルバイト。ドキドキしながら仕事を覚え、大学生の先輩方とコミュニケーションを取って、はりきって仕事に取り組みましたが、、
結果、4ヶ月も続けることができませんでした。

シフトに入る回数がすくなかったため、仕事がなかなか覚えられず
駅前の店舗でお客様も多かったので、ほぼ休みなくレジ打ちをし続け
ふとお客さまの波が途切れたタイミングでも、雑巾を洗ったりストローやペーパーナプキンを補充したりと、やること満載です。常に動いていないと怒られてしまう気がして、バイト中は常に神経が張り詰めていて、
バイトが終わった後はフラフラになって家へ帰りました。

結局、バイトに疲れてダンスを習う余裕もなかったので
バイトもダンスもきっぱりと諦め、部活1本に専念することにしました。
高校時代のファストフード店でのアルバイトは、人生で初めて
自分で始めたのにどうしても辞めくなってしまったことだったと思います。

あのときは、シフトに入れる回数少なかったし、部活もやってたし、仕方がないか!と、辞めたくなってしまったことに対して深く考えることはしていませんでしたが
今思うと、自由に動くことできないことや、常に人に見られている環境、大学生グループに入れない孤立感にストレスを感じて
続けることができなかったのだと思います。

2.大学時代

スポーツジムの受付

そこそこ向いていた。
カウンターでの受付意外にも、プールの監視や水質検査、入会手続きなど様々な仕事をやらせていただき、飽きなかった。
時給780円(当時の最低賃金)じゃなければ続けていたかもしれない。

個別塾の講師

とても向いていた。
大学時代、唯一卒業まで続けたアルバイト。
生徒に合わせてカリキュラムを作り、自分で授業を組み立てることができて自由度が高い。また、自分の努力が生徒の成績アップというわかりやすい指標で帰ってくるためやりがいがある。
また、保護者面談で親御様から感謝されることもあり、人の役に立ちたい欲が満たされる。自分の勉強にもなる。

カフェ

あまり向いていなかった。
常に笑顔でお客様対応をしなければならないこと、立ち仕事は心身ともに疲れた。
お客様のクレーム対応に疲弊。暇でも帰れないのが辛かった。

期間限定アンテナショップ

とても向いていた。
4ヶ月の期間限定で開催していたアンテナショップだったが、オープンスタッフとして入ったため、仲間と一緒に、集客を伸ばすための方法を考えたり、効率的な食品の提供方法を考えたりするところから携わることができた。

さて、続いて高校を卒業して大学生編です。

大学生になって私が楽しみにしていたことの1つは
アルバイトができることでした!笑

大学生になったらアルバイト頑張って、海外旅行にたくさんいくぞ!
いろんなアルバイトをやって社会経験をたくさん積もう!
高校生のときから、そんな風に考えていました。(勉強しろ)

が、しかし、ここでもHSS型HSPを発動しまくって
うまくいったアルバイトもあれば、すぐに辞めてしまったアルバイトもあり
私はなんでこんなに、できることとできないことの差が激しいのだろうかと
悩み始めたのも大学生からだったと思います。

特に向いていたと感じるアルバイトは、個別学習塾の講師です。
2対1で授業を行うスタイルの塾で、私は学生時代から英語が得意だったので
中学生向けの英語講師を担当していました。

生徒に合わせてカリキュラムを作り、授業を組み立てていく仕事は自由度が高く、また講師も椅子に座って授業を行うスタイルだったので
長時間の授業でも苦になりませんでした。

他の講師もみんな頭が良くて個性的な方たちばかりで
塾講師メンバーとは、社会人になった今でも仲良しです。

講師3年目には主任講師の1人として教室のまとめ役も担い
プレ社会人としてもよい経験をさせていただきました。

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逆に向いていなかったアルバイトは、レジ打ちです。
塾講師とレジ打ちって、相反する仕事であるように思いました。

ロボットのように、定時時間になるまでひたすらマニュアル通りに動く仕事は、私にとっては苦行で
特に恐ろしかったのが、バイト先のお局おばさん。
私のレジ打ちを監視して、対応が下手な部分があれば
ヒステリックに叱ってくるのです。

一度、マニュアル通りに対応できなかった作業があったときに
お局さんにお客様の前でこっぴどく叱られ、泣きながらバックヤードに戻ったことがありました。
あの日の屈辱的な気持ちは今でも忘れられません(笑)

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学生時代のアルバイト経験から私の苦手なことが見えてきました。
・マニュアル
・定時
・立ち仕事
・退屈
・他人の目

比較的得意だった仕事の共通点は
・自発的にできる
・工夫できる
・自由度の高さ
・同じ世代の人たちが多い
職場だと思います。

上記のことを就職活動での自己分析で発見できていればよかったのですが
私の苦手なことを、周りの人たちはそんなにストレスなくこなしているように見えたので
他の人ができるなら、私もできるはず。
私は我慢が足りないだけなんだろう
と考えて、当時は自分で自分の苦手を認識することができていませんでした。

3.社会人

SIer法人営業

とても向いていた。新規顧客の開拓を担当させていただき、チラシを持って都内の様々な企業へ飛び込み営業をかけて、うまく行けば名刺交換をして関係性を構築した。
毎日都内の様々な企業へ営業をかけることができて飽きなかったし、新人だったためすべてが新鮮に感じて、見積作成も資料作成もミーティングも、全ての作業が楽しかった。
何より、かなり自由に営業活動をさせてくれて、数字に関してあまり厳しく言わない上司だったため、営業ならではのプレッシャーが少ない環境だった。
技術マウントを取ってくるエンジニアはとても苦手だったが、嫌なことよりも楽しい気持ちが上回っていて、前向きに仕事をすることができた。

法人向け通販ソフトの法人営業

うまくいかなかった。新卒で入社した会社での法人営業に飽きて、刺激を求めて転職をしたため、その後の目標がなかった。
勢いで転職した結果、思い描いていた仕事内容と違う仕事をやることになり、モチベーションが低下。
業界柄、メンバーも尖った攻撃的な人が多く、精神的に疲弊。

セキュリティソフトの法人営業

向いていなかった。営業メンバー7名のうち、半分以上が女性営業で、皆きっちりとした常識のある方たちだったため、同じように動かなければならないというプレッシャーが常にかかっていた。
人数が少ない上に、皆仕事中に雑談をしたりメンバーに話しかけたりしないため、オフィスが静か。
自分の電話の声を他のメンバーが聞いている環境がとても嫌だった。
常識人で、多様性をあまり認められない気質の方たちだったため
グループ内で浮いてしまった。テレワークとなり、新規顧客の開拓が難しくなった。

続いて、社会人編です。

大学では教育学を専攻していた私は、大学3年生頃まで
卒業後は小学校の先生になる予定でいました。

教育実習も終え、教員採用試験への勉強を周りの人たちが始めるころ
当時付き合っていた5つ年上の彼氏が、私に対して運命的なアドバイスをします。

「卒業してすぐに先生になったら、学校しか知らない人になるよね。
先生ならいつでもなれるから、一回会社員になってから、そのあと先生になれば?」

それまで、教育学部に入学したからには先生になるのが当たり前と思っていいた私は、彼の言葉で一気に視野が広がりました。

そもそも子どもが好きで教員になりたかったからではなく
教育学そのものに興味があったことと
何かしらの資格があれば今後の人生でなにか大変なことが起きても
食いっぱぐれないのではないかという考えから専攻していたため
卒業後、教員になるという道に違和感を感じていて
彼の言葉で自分の気持ちに気づくことができて、大変救われました。

一般企業への就職活動に少し遅れて参加したため
若干就活には苦労しましたが
これからITが来るんじゃない?という安易な理由と
アイアンマンのトニー・スタークにあこがれて
IT企業のシステムエンジニア職にESを出し
その会社でまさかの営業職として内定をもらい
SIerの営業職として、社会人の第一歩を歩みはじめました。
(色々とめちゃくちゃですね。笑)

でも、情報戦の就活で同じ学部に就職活動をしている友人がほどんどいない
情報弱者の私でしたので、内定をもらえただけで万々歳だったんです。

新卒で入社したのは、従業員数1000名ほどの中堅SIerで
その会社で担当した新規開拓営業は、私にとても合っており
3年間があっという間に過ぎ去っていきました。

BtoBのため、様々な企業と商談ができてとても楽しかったですし
企業間のやり取りのため、ある程度お客様の質が担保されていたこと(対企業として会話をするので、理不尽なことを言うお客様が基本いない)
何より、当時の上司との相性がよく、上司が私の適正をみて仕事を割り振ってくださっていたように思います。

新規開拓営業は、私によって天職のように感じていたのですが入社から3年ほど経ったあたりから、だんだん不安になってきました。

毎日楽しくて、仕事にストレスがないということは
私は他の人と比べてがんばれていないのかもしれない。
このままじゃ成長できない、新規顧客開拓だけやって30歳になりたくない。
もっと仕事をして成長して、稼ぎたい。

HSS型HSPを言い訳にしてよいものなのかわかりませんが
そう思い始めると、もう止めることができません。

行動力はピカイチなので、善は急げと言わんばかりにすぐに転職活動を始め
これからは営業からモノを買う時代ではなくて、ECが流行っていくだろうという考えから、ECシステムの企業への転職をすぐに決めました。

今思うと、ここでしっかりと自己分析ができていれば
まだ自分に合った会社への転職ができたのかもしれません。

転職した会社で、私は全く活躍できませんでした。

会社の雰囲気が悪く、メンバーもすぐに入れ替わる会社で
相性の悪い社員と一緒に働くこととなり、会社に向かう度にお腹が痛くなりました。

この会社では自分が自分ではいられない。
そう思った私は、情けないことに入社後3ヶ月ほどで転職を決意。
ストレス耐性の低さに驚きますよね。
本当に、自分が情けなかったです。

ただ、その当時は、自分の無力とワガママを責めつつも
今すぐこの会社から立ち去りたい一心でした。

転職エージェントさんがかなり親身に相談に乗ってくださり
家から比較的近くて、しっかりとした女性営業の多いソフトウェアベンダーへの転職を決めたのが、2社目へ転職してから5ヶ月ほど経った頃です。

逃げるように退職をして、3社目となる企業へ1ヶ月後に入社をしました。
2019年秋頃だったと思います。

当時、その会社は顧客に導入したソフトウェアの不具合が多発中。
導入に携わった営業担当が複数名退職してしまったことで、ほとんどの営業メンバーが火消しに忙しくしている状況でした。

メンバーはみんな優しくてしっかりした方々だったのですが
社内はてんやわんやな状態で
みんな毎日残業をしていて、私は担当するお客様がまだついていなかったので、忍びない気持ちで毎日退社していました。

また、3社目の営業スタイルは、今まで経験してきた直販営業とは違い
パートナーセールスだったため、営業方法にもあまりなれておらず
販売パートナーの開拓にかなり苦戦していました。

そして、年が明けると、少しずつ日本にも広まり始めたコロナウイルス。
最初は期間限定であることを前提に在宅勤務がスタートしましたが
収束の目処が立たず、ダラダラと在宅勤務が延長されていきました。

上司はプレイングマネージャーだったため、入社してからずっと、自分の業務をこなすのに精一杯な様子。
私も自分のお客様を増やしていなかければならない状況だったのですが
コロナで展示会などはすべて中止となり、なかなか新規パートナーを開拓することができない状況。

そんな中、6月頃には、在宅勤務をスタンダードとすることが正式に決まり
なんだかんだで入社後、メンバーと打ち解けることもなく、自分の顧客もなかなか増やせないまま、9ヶ月があっという間に過ぎていきました。

悶々と日々が過ぎ去り、このままではだめだと思い、上司に相談して、先輩の担当するお客様の中でアクティブでないお客様のみ
譲っていただき、施策を立てて、営業をかけたり
新規の販売パートナーを獲得するために、ネット検索をかけて、ヒットした企業に電話をかけたり。

初めは自分を奮い立たせて、数字をあげるために行動をしたものの
1年も経つと営業に対する気力がだんだんとなくなり、疲弊してきてしまいました。

メンバー全員がルート営業を行っている中、一人新規開拓営業を行っていたため売上が上がらず
会社にも行かないので気軽に相談できる先輩もいません。

なんで私は営業なんてやってるんだろう。

自分で立てた施策がうまく回ってきたり
何件か受注に至った案件もあったものの
鳴かず飛ばずで1年半が経過した頃
在宅勤務&テレアポ生活に飽き飽きした私は
再び転職を考えはじめました。

在宅勤務のおかげで、転職活動をするチャンスはたくさんありましたが
自分で自分自信の得意と苦手がわかっていなかったため
また失敗するのではないかと思い、新しい企業への転職に踏み込みこむことができませんでした。

いや、今思えば、認めたくなかっただけで、何となく自分の不得意なことには気づいていたかもしれません。
でも、営業職に飽きていたとしても、転職は経験者採用がほとんど前提なので、営業職はやめられないし、人事や企画やマーケティングに興味はあるけれど、未経験のため、求められるパフォーマンスが発揮できる自信がありませんでした。

結局、新卒で入社した会社の人事の方に相談をして、最初の会社に出戻りをしたのが、半年ほど前のことです。

今は、新卒で入社した会社の
以前とは別の地域で、1から新規顧客の開拓をしています。

以上が、私のいままでの職歴となります。

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私の仕事の話を周りの人に話すと、必ずこう言われます。

「なんで会社辞めちゃったの?」

この質問に対して、私はいつもうまく答えることができませんでした。

他の会社で働いてみたかったから。
同じ環境に飽きたから。
1つの会社でずっと働いている人より、複数の会社で働いた経験のある人のほうが魅力的に感じたから。

この理由は、世の中には通用しません。

忍耐力がないんだね。
軸がないんだね。
放浪癖があるんだね。

きっとそう思われてしまうし、その通りなんです。
だから、自分の悪い部分にはなるべく蓋をして
タイミングのせいにしたり、環境のせいにしたり。

今後は、ダメな自分を律して、考え方を改めて、忍耐力を身に着け、1つのことを極めるスペシャリストを目指していかなければならない。
そんな風に考えていました。

そんなときに見つけたのが、HSS型HSPに関する記事です。

自分を矯正するのではなく、自分を受け入れる。
その考え方を知って、初めて
今まで直視できずに蓋をしてきた自分の「悪い部分」を
自分の「特徴」として、やっと、見つめることができたように思います。

▼わたしの特徴
・行動力がある(思い立ったらすぐ行動)
・0⇒1を考えるのが好き
・初対面の人と話すのが得意
・好奇心旺盛
・とんでもなく飽き性
・常識人が苦手
・高圧的な人がすごく苦手
・小心者
・頑固

世の中に通用しないとしても、これが私なんです。
この私を、違う私に変えることはできません。

自分を矯正しないで、自分にあった生き方を探す。

これからは、自分をちゃんと受け入れて
自分にあった働き方、生き方を探していきたいです。

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とはいっても、自分のことを受け入れることができたのは、ほんの最近の話です。

今後、どのように自分らしい生き方を模索していくべきか
社会の荒波の中、わたしの強みをどうやっていかしていこうか
具体的な計画はまだ立てられていません。

こんな私を受け入れてくれている会社に感謝し

しっかりと自立して生活できている自分を褒めつつ

自分が納得できる働き方ができるよう
考えていきたいと思っています。

絶賛悩み中、働き方模索中ですので
このnoteに共感してくださる方がいらっしゃいましたら
皆様の経験や、働き方をシェアしてくださると
とっても嬉しいです。


このnoteが読んでくださった皆様のお役に少しでも立てますように。





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